無題放免

バンドやってます。

無題

2015-08-04 | つれづれ
暑いことこの上ないのである。
北の国生まれのデブには生きづらい季節なのである。長期予報によればこの暑さは今月いっぱい続くとか続かないとか。
クーラーのない生活は考えられないのだが、これが体調に悪い。特に夜は寝れないのでクーラーをかけて寝るのであるが朝起きると喉が痛く鼻水が出ていて風邪気味。したがって体がだるい。何もしたくない。したくないでござる。でも、寝れない。寝られないのでござる。と、悪循環。先日の日曜日などはクーラーかけながら1日中家に引き籠りながたもなにもせず。家のあちこちに埃がたまっている。風呂はカビだらけ。でも、やる気が出ないのでござる。家の中は荒れ放題。どうしたもんかねぇ。
子供の頃の真夏ってこんなに暑かったっけ?30度を超える日なんてこんなにあったっけ?当時でいう日射病なんて気を付けていればかからないし、ましてや今みたいに死人が出るなんてあまり聞いたことがなかったような。当時今ほどクーラーなんて普及していなっかたはずだし、日射病もいつの間にか熱中症なんて新しい言葉になっているし。
確実に亜熱帯化しているな。恋は熱々亜熱帯。抱けば火傷するかも。。。

考えてみれば家でベースを弾いてないな。。これはいかん。
でも、楽器を弾くと体から汗が出ませんか?
ただ今わたくしは歯痛で歯医者通いですが歯を磨くと歯茎から血が出ます。りんごをかmうbpwgrcehwxknep@p@

このままじゃいけないと思ったわけではないが久しぶりに家の近くを走ってみた。ほぼ1年ぶり。
結果、まったく走れませんでした。自分でもびっくりするくらい。。そういや現状、腿も脹脛もだらんとしてるし体全体もゆるゆるだしな。まったくもって堕落しきっている体にムチ打って走ってみるも300~500m走って体がだるく息が切れがしてぜいぜいいいはじめしばらく歩くの繰り返しで5㎞の行程をほぼウォーキングで終わってしまった。たぶん風邪の影響なのであろう、喉が痛くなりひゅうひゅう言っている。大袈裟か。でもそんな感じ。足も上がらない。体全体がだるい。でもそんな感じ。鶴見川の堤防で予想以上に体力が落ちていることに愕然と立ち尽くす俺。徐々に慣らすしかないか。。。久しぶりに堤防を歩いてみると写真のとおり道にこんな案内がかかれている。ここから河口まで6,0kmということなのであろう。その1km先には7,0の文字があった。なして今にしてこんな表示が必要なのだろうか。ふーん。

と、走って、いやウォーキングして体を鍛えているはずなのに風邪がさらにひどくなってしまった。。喉が痛い。鼻水もずるじゅる。どうにもこうにも我が身体はクーラーに弱いみたいだ。設定温度27℃もしくは28℃で就寝しているのにこれ以上どうせいと言うんじゃ。これじゃ走っても喉がひーひー言うだけなので回避することにする。やっと脚が慣れてきたところだったのに。残念である。

国会がわけわからんことになっている。憲法を変えたいけどあれこれやっても無理、一政党が法治国家の根幹である憲法をねじまがった史観のまま変えてしまおうなんて土台無理なのだ。集団的自衛権の内容をひとつとってみても党内でさえ解釈が違うのだからそれを法制化するのに無理がありすぎる。議論を尽くしてつくしすぎても誰も文句は言わないだろう。現状のままの解釈をもって集団的自衛権を法制化すれば拡大解釈、こじつけた解釈、ねじれた解釈でもっていかようにでも戦争を仕掛けようとしてくる屋から出てくるのは必須である。統帥権を拡大解釈し陸軍が暴走しついには国会までその狂気に飲まれていってしまった戦前の日本の失敗を学ばなかったのであろうか。すでにもう「利己的個人主義による自己中心による国民としての義務の遺棄」などと言い始めるも出てくる始末だ。こいつみたいなのは戦前には掃いて捨てるほどいただろうが戦後は消滅した。しかし、またぼつぼつと出没し始める時期なのかもしれない。日本が滅亡したことを教えてもらっていないのか、忘れてしまったのか。憲法の大前提である基本的人権の尊重を後回しにして国家のために滅私奉公だと?笑わせるな。何時代だよ。まだ30代の自民党の政治家にしてこれである。他にも表面化はしてないが同じような意見の輩はいっぱいいるはずだ。残念なことだ。そしてこれが日本の与党政治家の1人なのだ。恐ろしいことが始まる前兆かもしれない。

明治維新以来日本は外圧と資源の調達とに悩まされ続けてきた国だ。明治時代、迫りくるロシアやイギリス・ドイツの侵略に対し涙ぐましい努力で奇跡的になんとか潜り抜けてきた。それこそちょん髷を結っていた時代から数十年で。なんの産業もない国力もない資源もない国が欧米列強と肩を並べようとして背伸びし続けた結果夜郎自大に陥いり一度滅んだ先に我々はいるわけでこのことに学ばんとして如何せざるや。今、状況は似ているのだろう。隣の国(K国じゃない)の膨張に対して指を咥えてみているだけの状況が今の姿だ。そりゃ怖いです。ひとたびことが起これば取り返しのつかないことになるのは必至。武力には武力で対峙し均衡を図るのはよくわかるが、これではまた同じ歴史を繰り返すだけの話だ。そして同じ歴史を繰り返すのが人間なのだろうか。
戦前の日本精神でもって外敵を討つのが日本人の矜持であったならば、日本国憲法の精神にのっとって粛々と戦争を放棄するのが今の日本人の矜持とはならないのだろうかね。(ちなみに私は決していわゆるひとつの憲法擁護派ではありませぬ。)

我が心の師司馬遼太郎先生が生きておられたらいかが論ずるのだろう。

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