どんなに暗いきもちを書いても
知り合い誰にも知られることがない場所がほしくて初めた。
海外生活三年目。慢性的な孤独感、孤立感、被害妄想、人間不信がピークにきている。
子供の学校が始まればまたあの辛い送迎がはじまる。
今まで自分なりに努力したり心をつくしてきたからこそ
傷が深い。
幼いころからおなじところばっかり傷ついて、傷ついてはかさぶたができ、
時には優しい人が絆創膏を貼ってくれて。
でも根本が治療できてなくて。
絆創膏はすぐに剥がれ、かさぶたができたところにまたすぐ傷がつく。
かさぶたを触られたくなくて、怪我をしないように外にでなくなる。
人と話さなくなる。
それでもそこには長くいれなくて。
周りの穏やかな会話はきこえてくる。
窓を閉めても 耳をふさいでも。
こどものためにがんばらなければいけない。
自分から発信できる人に変わらないといけない。
わかってるし
今までずっと挑戦してきた。
でも痛いもんは痛い。
きもちでどうにかする方法も散々調べて実践してきた。
でも痛いもんは痛い。
こどもを守らないといけないのに
こどもの幸せを求めないといけないのに
自分がしんどくてできない。
どうして 私のことをなんとも思ってない人達から冷たくされるぐらいで
こんなに心が凍ってしまうんだろう。
私が死んでもなんとも思わない人達に対して。
いままであまりに優しい嘘に囲まれていたから 人間の冷たさがこれほどまでとはしらなかったからだろう。
明日がくるのが辛い。
明日も私は傷を自分の笑顔の絆創膏で覆ってやりすごすんだろう。
傷をみせてはいけない。
心ある日本人にはみせることができるようになったのはひとつの進歩だけど。
ここのひとと関わるときは 私は別の自分でいるしかない。
それがここでやっていく道だと思う。
最初から心をこめずに ただ具体的に問題を解決できるように。
人からとらわれないことをとらえないように。
というのが結論。
でも、今日も私は傷を抱えて生きてる。
私を愛してくれてる人はいるのに。
冷たい人のことで心が満たされてしまうおろかさ。
私は目線を、心をつくすことをかえるべきだ。
大事なことはわかってるのに。
痛くてできない。
でもやるしかない。