私はというと、毎日、播磨灘付近の引き潮の時間を確認していた。
今日は朝に「反応が悪くなったので、もう近い。覚悟しておいて」との連絡が…。
引き潮は15時1分だ。
いつものようにベッド脇で見守る。
もう血圧の高低差がない。
血圧は、さらに47とか42まで低下。42まで下がると線は一直線。アラームが鳴りっぱなし。
下顎を動かして呼吸している。
昨日までは呼びかけに反応していたし、手をあげて、大好きな野球のボールを握るような動きもしていたのに。
14時半頃に、急に、さらなる血圧低下。
看護師が飛んできて、「急いで、連絡したい方には連絡してください。もう最後です」と。
そのあとに先生が飛んできた。
14:50頃には、ベッド脇の監視モニターの線全てがほぼ一直線に。
呼吸をしていないのがわかる。
亡くなったのだ、と涙がこぼれた。
手を握ると温かい。
「じいちゃん頑張ったね。最後の時に、立ち会えてよかったよ」と言うと、先生が鼻をすすっているのがわかる。
じいちゃん、この内科のN先生が大好きだった。
モニターを黙って見つめる。
母と私と看護師と先生の4人。
静寂が異常に長く感じられる時間。
そこに、母の弟と、うちの旦那が飛び込んできた。
モニターにはまだ、心臓の反応が送られていて、少しの波が出る。
心臓は止まっているが、何か拾うのか? 電気信号が現れるようだ。
やがてそれも亡くなり、「14時56分に…」と先生。
おじいちゃん、まだ温かいが、皮膚の色が正気を失ってどんどん土色になっていく。
本当に引き潮ぴったりに逝ってしまった。
急いで病室の荷物を片付ける。
死後の処置をしてくれている間に、葬儀社に電話。
お寺さんにも電話。うちは、浄土真宗本願寺派だ。
そして、私の仕事の電話もしておく。
お迎えの車でおじいちゃんを運んでもらい、あとは、打ち合わせ。
枕経が明日の8時。早いなぁ。
金曜が友引のためお通夜になって、土曜が葬儀と初七日。
母の弟が喪主だが、体調が悪くて打ち合わせには来ない。母もダメだ。動揺しているのか、全く判断だ下せない。80歳になるとこんなものか。
どんどん私が打ち合わせを進めていく。
孫の立場で進めていいのかなぁと思う。
「納棺の際に、お風呂に入れますか? お風呂はナシでスタッフが白装束に着替えさせましょうか? それともご自分で着替えをさせますか?」と聞いてくれたので、「自分で着せます」と答えた。
母は「怖いのでイヤ」と言っているが、スタッフさんに教えてもらって、金曜のお通夜前に、髭を剃ってあげて、自分でおじいちゃんに白装束を着せる。
硬直で着せにくいかなぁ?
「生花を入れて送りますか?」と聞かれたので、「花がないのも寂しいので、入れます」と。
そういうので、どんどん料金が加算。
贅沢にしないでいい、と生前言われていたが、あまりに質素なのも…。
お通夜の料理と、告別式あとの初七日の料理を決め、大体の人数も呼んだ。
一気に慌ただしくなって、悲しみにひたる暇などない。
落ち着いたら、どん…と悲しみが襲ってくるかもしれない。
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