YOUのぐうたら日記 in 四国

四国作家の退会

朝、もう一度、地図やネットで確認をしてさぬき市へ走る。
長尾、前山、志度と三角に走る。
分かったような分からないような仕事で、やや不安を感じながら…。
さぬき市役所に出かけたら、心配なく資料をくれた。
とても優しい。ある意味感動した。
夜はエクセルで表を作り、簡単に入力。
疲れたので、続きは明日。

夕方には考えた挙句、「四国作家」に退会届けの書類を送る。さぬき市役所前のポストに投函。
直接のきっかけは、日曜日に尋ねたHさんとの会話だった。
「ニュース発行の意味は2つあると思う。1つは、報告。1つは、こんなに奥の深いところまで話あっているのだ、と感じさせて、私も合評会に行きたい、と思わせることです」と言われた。
紙面の関係もあり、そんなに奥深いところまで書くのは無理ではと思う。
が、Hさんは私を責めているのではない。ニュース担当の私に対して、本当に言いにくいことを言ってくれていると思う。
しかし、今の私の時間配分では無理。
ニュースを書くこともバタバタ。そして印刷して、封筒に入れ、切手を貼って(これも、別納郵便にはせず、ずっと記念切手を貼るように言われてきたので)、投函するまでも大変なのだ。
いつ辞めようか、と思ってきたが、11年ちょっと在籍して、もうこの辺でキリがいい、卒業だろう、という思いに背中を押してくれたと思う。
もうこれで、締め切りに追われることもないし、ページ数が足りないから編集委員は何か書け、と催促されることもない。(∩_∩;)
私の師・今井先生も、昔は「四国作家」の同人であった。いつの時期に卒後したかは知らないが、卒業時期は難しいな、と思う。
11年の間に会費や掲載料負担、付き合い等で60万円ちょっとを払った計算になる。
平成8年6月発表の「四国作家」24号から19年3月の39号までで小説は11編書いた。随筆は40編だった。
うち四国新聞社では、「話の小箱」に執筆依頼で3編執筆、「話のかざぐるま」に5編執筆だった。
随筆のうちの8編は、「心の詩」で樫山文枝さんが読んでくださったし、活字になった、紙面に載った、ラジオで流れたと、いい記念になった。
ついでに言えば、四国新聞社の「おりーぶ通信」には70稿あまりを送稿、記事となっている。
これも今年の秋で任期が終わる。次の期に続けていくかどうかは、考えどころである。

夜には、局長に局の勤務のことで「開拓支援事業の関係の仕事と、港を取材・記事を書くという仕事が忙しくなって、時間配分が難しく、以前言っていました退職という方向でお願いします」とのメールを送る。
すぐに返事は戻ってきたが、「困るなあ、大変な時期に」の1行だけで、あとは何もなし。
退職の書類はどうするんだろう? とも思ったが、まあ今は今日の仕事が忙しいので、メールもそのままで…。
ロッカーにも荷物や制服が入ったままだし、書類関係でまた行かなければならないだろう。
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