大学はそれぞれ違うが、3人とも高校時代からの仲良しなので、よく知っている。
朝のうちにパスタのソース作り。
にんにく、玉ねぎ、人参、きのこを刻んで、ミンチと一緒に炒め、それからバターをいためた中に小麦粉を入れて炒め、先の野菜や肉と一緒にして、ブイヨンやホールトマトを入れて煮込みミートソースを作った。
煮込んでいる間にブロッコリーをゆでたり、トマトを切ったりしてサラダ作り。
そして外側のレタスの青いところで、ベーコン、春雨と一緒にしてスープも作っておく。
お昼になってからパスタをゆでる。
アツアツにミートソースをかけて出来上がり。
3人のお客様はおお喜び。娘が「みんな美味しいって言っていたよ」と言う。
よかったのだが…若い子の弾むような歓声に、ちょっと疲れが…。
もう年なのかしら? と考え込む。
昔は、お客様が来てくれても疲れなかった。
でも、最近は疲れてならない。
長崎(諫早市)の社宅にいた頃は、本当によく人が来た。
銀行員の人までもが、帰りに遊びに来た。
すき焼きを食べ終わり片付けようとしていたら、「いい匂いですね」と言うから、「すき焼き…でも、もう鍋に残っているだけしかないよ」と言ったら、「いいです、ご馳走様」と言って食べ始めた。
その行員さんは、しょっちゅう来てくれていたが、「転勤で四国に帰るよ」と言ったら、寂しくなると泣いてくれた。
独身で可愛い男の子だった。
同僚も、上司もしょっちゅう来た。
月に2、3回は宴会をしていたのではないだろうか?
7人~10人くらいのお客様で、料理を用意するのも大変だったが、酔っぱらったら、みんなが交互に冷蔵庫をあけ、「わぁ、カニがある、アイスがある。イクラの冷凍も」という調子で、ほとんど食べつくされるのが楽しかった。
阿波池田にいた頃もよく同じ社宅の、単身赴任をされている課長さんがやってきた。
食べて、飲んで、いつも最後はカラオケ「シャンテ」へ直行だった。
1時半までの営業だったと思うが、いつも最終までいて、ひどいときには小学生の長男や幼稚園の長女が同行するときもあった。
長男の持ち歌は「昴」で、よく課長さんが「僕の持ち歌の昴を取られた」と悔やんでいた。
長男は長崎の幼稚園時代にバイオリンを弾いていたこともあり、音楽が好きだった。
ある団体の旅行の宴会で300人もの人がいる前で舞台に立ち、「昴」を熱唱したことがあった。小学生が歌う「昴」は不思議なのか、みんなに拍手をもらっていた。
高校時代に指揮者をやっていたのも、もしかしたらこういう夜中のひそかな楽しみが悪影響? だったのかも。
どちらにしても、人がたくさん集まってきて、いつも賑やかだった。
でも、〝ああ、若い子のエネルギーに疲れる〟と思い始めたら、もう年なのかもしれない。
一人の子が「いいな、かわいいお母さんで。うちと変わって欲しいわ」と言ったそうな。
だから「いいよ。いつでも変わるよ」と言った。
娘が、〝私の立場はどうしたら、いいの??〟と目をパチクリさせていた。
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