11年選手・・・KIRARA KizZ
昨日は20年選手のSMAPの紹介をしましたが、今日は11年選手の紹介です。・・・と言ってもSMAPとはまったくつながりはありません。
2001年の夏、当時美作市にパソコンの勉強会があり、その仲間のつながりでバンドが誕生しました。スタートは3人。ギター2本とべース。
その年の11月に、記念すべき第1回の自主コンサートということになったのですが、全くの怖いもの知らず。この時メンバーは8人という大所帯バンド。
幸運にも練習場所やライブ会場は、街並み保存館として、昔ながらの「蔵」が無料で利用できたので、定期コンサート他、様々なイベントがいつでもできる環境でした。
この第1回の記念コンサートは、興味に誘われて立ち見が出るほどの大盛況で、約70名が観客席を埋めました。
プログラムは、マジック、カラオケ、そしてKIRARA KIzZの演奏です。セットリストはフォークがメイン。飛び入りやイントロ当てクイズなど趣向を凝らしました。
楽しさを前面に押し出した満足のコンサートでした。
以降数年は年2回、七夕コンサート、クリスマスコンサートが続き、メンバー最多の時期が10人になりました。
しかし観客は減少傾向。
マンネリ化を危惧し、年一回にしたり、お友達バンドとのジョイントコンサートに路線を変更したりもしました。
そんな中メンバーの入れ替えもありました。環境の変化、これは避けられないですね。
2004年にはメンバーの1人を病気で亡くしました。味のある最高のギタリストでした。奇しくもコンサート当日が告別式と重なり、彼に背中を押されコンサート決行しました。それが今の湯アコの前身です。
この時から音楽活動が加速し湯アコが誕生しました。
自主コンサートも回を重ね、2009年12月20日の第15回を最後にしばらく活動を休止していました。
4月28日に演奏依頼が舞い込んできたのをきっかけに、メンバーに呼びかけたところ6名の手が上がり、昨日その打ち合わせをしました。
オリジナルメンバーは揃いませんが、KIRARA KIzZの味を出したいと思っています。
今からとても楽しみです。
こちらでもまた、
『継続は力なり』を実証していって下さいね。
手が足りない時はまたいつでも声をかけて下さい。
又ジョイントできる日が来るようにしたいと思っています。
その時は首を横に振らないでくださいね。
継続ですね。
手も足も肩も腰も足りない状況は変わっていませんが、
それなりに何とかやりくりしています。