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光が丘公園

2015-12-12 15:48:09 | 日記
光が丘公園 
 元は武蔵国豊島郡上練馬村田柄、高松および下土支田村(土支田)にまたがる地区で、広大な農地だった。
地区の中央部である、現在の地域医療振興協会練馬光が丘病院(旧・日本大学医学部付属練馬光が丘病院)付近には、西から東へ田柄川(江戸時代は土支田川と呼ばれる)および田柄用水(現在の光が丘第二アパート付近の分水堰で田柄川と分水)が流れ、流域の東部に水田が、北と南の一部には、練馬大根の畑があった。地区の北西部(ふれあい橋周辺)は、盛岡藩抱地(かかえち)で南部山と呼ばれる畑山があった。曲がりくねった農道と、屋敷森が随所に見られる農村地帯で、約80世帯が居住していた。
成増飛行場建設までは、以下の神社や道路があった。
神社
稲荷神社 - 現在の光が丘公園駐車場入口付近
阿夫利神社 - 現在の夏の雲公園付近
道路
土支田通り - 旧導者道、現在の土支田通りの延長。現在の光丘高校角交差点から、ゆりの木通りを結ぶ。
平林寺道 - 現在の光が丘公園西交差点と光が丘北交差点の中間点から、光が丘第八小学校付近で土支田通りと交差し、たがら公園南を結ぶ。
学校道 - 現在の旭町南地区区民館から、夏の雲公園の北付近で長命寺道と交わる。
長命寺道 - 現在の光が丘児童館南から、田柄高校角交差点、光が丘美術館前を通り、現在の光が丘消防署前交差点の南から、光が丘第三小学校前交差点付近までを結ぶ。
長久保道 - 現在の夏の雲公園南の交差点から、セガワールド光が丘の南の道までを結ぶ。
豊島園通り - 旧上練馬道。現在の田柄五丁目交差点から、田柄第三小学校の中央を通り、田柄高校角交差点を結ぶ。当地以外は、現在の豊島園通りと同じ。
現在の田柄第三小学校の中央から、田柄高校角交差点までの間は、長命寺道と豊島園通りが重複する。(ウィキペディア参照)

光が丘公園、赤塚入り口。赤塚新町三丁目交差点の銀杏の木。

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