日常と非日常のあいだ

学びの備忘録。
まずはブックレビューを少々。

地獄めぐり絵図(河鍋暁斎)

2023-08-13 14:47:39 | ブックレビュー
去る8月6日(日)の
#千葉ルー #済東鉄腸 先生のトークを引きずっているのでもう少し😅💦


千葉ルー本書にもトークにも出てきたシオラン(=チョラン)の話。

「反哲学者かつ反出生主義者」で「世界を呪い続けた凄まじい存在」※ と聞くと「…怖っ」となるけれど

「私たちは誰も彼も地獄の底にいる、一瞬一瞬が奇跡である地獄の底に」※
というシオランの言葉には
全く違和感なく「うんうん、そうだよね~」と納得します。

これ
仏教の四苦八苦、『この世はキホン全て地獄』という思想に通底するものがあるように思えますし。

ただ、「シャツのように絶望を取り替え」ながら※ 人生を送ったシオランのように生きることは、
私のような凡人には、実際とても難しい気がします(幸か不幸か)。
仮に今日は絶望のシャツを着ることができたとしても、明日はついつい希望のワンポイント入りを選んでしまう人が大勢ではないでしょうか。

絶望のシャツで生き抜いたシオランの強さ、確かに凄まじいものがありそうです。


さて、そんな絶望の極みを描き続けたシオラン作品から漂う「ギロチン台のユーモア」(絶望を突き詰めた先に湧き出してくるユーモア、とでも言い換えられましょうか?)、
トークショーでもそこに話が及びました。

それで思い出した作品があります。
都内の美術館で見つけた明治時代の作品
「地獄めぐり絵図」(絵・河鍋暁斎)

明治時代のお金持ち商人が、14歳で早世した娘の供養のため腕利きの絵師描かせた絵本。それを収める木箱もまた、別の絵師兼蒔絵師が丹念に仕上げた贅沢なものとなっています。

阿弥陀三尊が娘を迎えにくるところから始まるこの絵本。文章はありません。
てんやわんやで三途の川を渡り、
冥界ではお大師様やお地蔵様、お不動様や閻魔様まで加わって地獄見物ツアー敢行、亡くなった親族に会ったり、現地の芝居小屋で歌舞伎まで見物。
一行が天に到着して娘が如来となるまでの全四十図が並びます。


どれもものすごく細やかでカラフルで、何よりユーモラス。
地獄らしいグロテスクな描写もあれば
現地の住人たちが各々働いたり遊んだりする様子もダイナミックに、かつ繊細に描かれ、
そのカオスっぷりが実に愉快。
生命力に満ち溢れています。冥界なのに。

美しく、可愛らしく、恐ろしく、繊細に、そして「おもしろ可笑しく」作り上げられているけれど、
それにしても。


いつの時代も、子に先立たれる事ほどの真の地獄はないでしょう。
本を作らせたこの商人(勝田五兵衛という小間物問屋だそうです)だって例外ではなかったに違いありません。

悲しみと絶望がこの芸術に行き着くまでに、どれほどの苦闘があったことか。


この箱入り絵本の仕上がりの細やかさと美しさが際立つほど、その悲嘆もまた鋭敏に響く。
おもしろ可笑しい魅力に引き込まれるほどに、また悲しみにも思いを馳せずにはいられない。


そこにきてシオランの話。
絶望の先に湧くユーモア。


「地獄めぐり絵図」の方は幾分「慰め」的な要素があるとしても
どちらも、それぞれの悲嘆と、それが「ユーモア」に昇華されるまでの過程をあれこれ想像すること無しに味うことはできない…

…と、読書や作品鑑賞やトークショーの余韻にまたしつこく浸りながら、考えたり味わい直したりしております。
皆様ありがとうございます。


~~~~~~~~
いろいろなもの、こと、作品に出会い、圧倒され、感動し
いろいろな方に出会ってお話を聞いたりしていると
こうやって点と点がつながって予想もしなかった線がおぼろげながら浮かび上がってくることがあります。

それが実に楽しいし、それでまた感動します。
そして己の無知=世界の広大さに打ちのめされ、むしろワクワクして嬉しくなるのです。

そんな楽しい営みをこれからまだしばらく何とか続けていきたいと思います。


【地獄めぐり絵図】
明治生命館1階の静嘉堂文庫美術館、数ヶ月前の企画展で拝見しました。

絵・河鍋暁斎、木箱・柴田是真、
明治2~5年(1869~72)の作品。

三菱財閥の二代目・岩﨑弥之助(弥太郎の弟)のコレクションらしいので
また企画展などで展示されるのではないかな?と思います。

写真のレプリカは、ミュージアムショップで買いました。
展示の前で圧倒され「…これ、持ち帰りたい!」と思っていた私…まんまと購入。
時々開いて地獄を眺めております。
箱も本体も紙製。解説本付きです。

「※」を付けたシオランの言葉: 済東鉄腸先生の「千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話」(通称「千葉ルー」、左右社)で引用されているものです。



 

千葉ルー済東鉄腸先生のトークショー&サイン会に行ってきました‼️

2023-08-06 21:53:39 | ブックレビュー
鉄腸先生、お疲れ様でした‼️
読んで感動…だけで終わらない。ご本人の語りでさらに深まる奥行き、上がる解像度、新しい発見。
サインまでいただけて著者トークショーの醍醐味満喫‼️
濃い時間をありがとうございました✨

「質問」には挙手できなかった…マイク持ったら如何に感動したかの「感想」しか出てこないから🤣😭✨

知識の吸収と執筆、INPUTとOUTPUT、しかもその圧倒的な量。
その往復の過程で才能がさらに磨かれ、作品になっていくのですね。

他の方も仰っておられたという「溢れるエネルギー」を感じずにはいられませんが、ご本人は「エネルギー?そうかなぁ🤔」という感じで😅😂
己のパワーを知らぬは当の太陽のみ☀😊

「この人は品格、優しさ、そして他人つまり社会への配慮のある人だ、
芸術そのものだけでなく、芸術の作り手、発見者、鑑賞者…芸術の価値を大切にする全ての人へのリスペクトと、それ故の謙虚さを持つ人だ」
と千葉ルーからひしひしと感じていましたが、
今日は実際にお話を聞くことで裏がとれました。

そんな素敵なお人柄を育んだご両親のお人柄もチラチラと垣間見えたことも、今日の大きな収穫(?)でした。

ご両親とザックリ同世代の私には特に、そのご両親の存在を軽く見過ごすことはできません。
ご子息の大変な時期を支え続け、今もしっかりとサポートなさっているというご両親。頭が下がりますし、
こんな希有な才能を大切に辛抱強く育てて下さり、ひいてはそれが私たちの生活をも豊かにして下さっているのです。ありがとうございます。

そうです、外国語でのDM返信に3時間使えるのも、図書館でどっぷり本に向き合えるのも、食事を用意して下さるお母様のお陰ですね😁😊

これからはお料理その他の「里の業」も、「クロワッサン📖」見ながら楽しんでみて下さいね。
料理も「知」の宝庫だったりしますから、意外とハマるかも?ですね😊

今日は「芸術が日常にもっとあっていいと思う」というお言葉が心に残りました。
芸術を頑張って生活に持ち込む、というよりも、日々の中の「芸術」への感度を上げる大切を指摘されたような気がして、ハッとしました。

「商品」としての先生の作品ももちろん楽しみですが
先生が今後も心ゆくまで芸術を探求し、表現し続けていけますように。

引き続き勝手に応援していきます!
サイン、二冊分もありがとうございました😁😆💕

勢いの走り書きで取り急ぎ失礼します。


千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話 / 済東 鉄腸(左右社)

2023-06-12 15:00:49 | ブックレビュー


何しろこのタイトル。少しも気にならない人っているだろうか?
さらにこの表紙。こちらを伺う鋭い片目。「…とがった感じの子なのかしら?」と思いつつ読み始める。

「俺は…」で語る「俺」自身のこれまで。
社会生活でのさまざまな違和感、挫折、引きこもり、うつ状態… その苦しみの真っ只中で、彼に癒しを与えたのが映画であった。
見続けるうちに芽生えたある思いから、「日本未公開作品」を片っ端から見まくって批評を書くようになる。そして、彼の人生を変えることになる、あるルーマニア映画に出会うのだった。

「俺の脳髄をルーマニア語辞書でブッ叩いて、ルーマニア文壇へと半ば強引に引きずって」いかれたそうな。この表現。どれほどの衝撃だったのか。

とにかくこの済東氏、これはまだまだ序の口で、表現力が凄い。
自分の中に生まれた感情に勇気をもって向き合い、じっくりと言葉選びに骨を折らなければ出てこない言葉たちだと思う。

さすが自称「言語オタク」。最初から最後までそんな魂の言葉と表現の数々が次々とこちらに撃ち込まれてきて、震えた。そう、この本の魅力は、そのタイトルが普遍的な興味をそそる、というだけのものではないのだ。

特に、自らが好きな事物や尊敬(崇拝?)する人物の描写には圧倒される。
例えば、谷川俊太郎さんを語るくだり。もちろん谷川さんご自身の凄さを我々読者も知りながら読んでいるわけだから、「そうそう!」という共感もあってではあろうが、
巨匠・谷川さんを見つめるその透き通った、それでいて熱い眼差し、それが言葉として紡がれ、音楽のように流れ出てくる…本なのに、そんな「音」が聞こえてきそうな気さえしてくる。

あるいは、いわゆるノンバイナリーの人たちとか、韓国映画ファンの中年女性たちとか、
偏見を持たれがちだったり、勝手なイメージで分類されがちな人たちに関しての記述。
そんな偏見からは完全に独立した、自由でフェアな視点から見つめ、きちんと自分の頭というフィルターを通して(そしてそのフィルターはとてもきめ細やかで、人間に対する信頼と希望がしみ込んでいる)、見出した良きもの良きところに、きちんと敬意を払う。

人間に対しても、あらゆる文芸作品、映画、文化に対しても、真っ直ぐに向き合い、深く味わい、思索し、表現する作業を誠実に行う。
そんな態度を謙虚さと呼ぶのだろうか。それがベース音のように終始響き続けているところがまた、心地良く、感動を伴いながら読み進めさせる一冊にしていると感じる。

つまり、「俺は…」だけど、全然とがってはいなかった。
とがってると言うよりも、鋭敏にして希望と信頼に直結する、何か温めてくれるものがあった。さらに、ついでに言えば、礼儀正しかった。

そしてこの「俺」という言葉には実は、重層的な意味が込められている。
終盤にそれが見事に論じられていて、それが同時に
小説家、執筆家、芸術家、ルーマニア文学の一部たらんとする自身の決意表明として鮮烈に力強く輝く。
その眩しさと美しさに、通勤電車でそこを読んでいた私はマスクを外して涙拭き拭き下車したのであった。
参りました。

~~~
今後、間違いなく自身が目指す通りの文壇の顔になっていくであろう済東氏だが、文壇のみならず論壇でも活躍できること間違いなしだ。
その深い知識と鋭い感性を以てして、そうならなければもったいないと思うほどである。
本業のルーマニア語での執筆活動でご多用の日々とはお察ししますが、日本語での執筆活動を引き続き期待しております。


~~~
引きこもり生活における「焦り」との闘いとか、例えば「推し、燃ゆ」の翻訳を考える過程とか…語りたいツボ満載。ネタバレになってはいけないのでまたの機会にします。



専門書ですけど。「実践SEMセミナー ~走査電子顕微鏡を使いこなす~」(著) 鈴木 俊明、本橋 光也/裳華房

2023-05-19 15:09:26 | ブックレビュー

これは素晴らしい!こんな本を待っていた!!感動!常に持ち歩きたい(泣)!

え?著者の両先生、私のこと見てた?私のための本?と思うほどツボにヒットであった。

どうして今までこういう本が無かったのだろうか。もう毎日頬ずりしたいくらい愛おしい。

これまで、こうした分析機器の専門書は往々にして

  • 難しい式がいっぱい(詳細を几帳面に伝えることに重きを置いているから?)
  • 古い(編集に時間がかかるから?)
  • どこが特に重要なのか、メリハリがわかりにくい(そりゃ全部大事だろうけど・・・)
  • 入手しにくい(高額、学会でしか売ってない、秀逸でも古くて絶版、とか)

というものが多かった。

が、この本は全てが逆。

  • 難しい式は最小限。しかも、その式で何を言いたいのかが明確
  • 新しい(もちろん装置開発のスピードが凄まじいから、すぐに古くなるかもしれないけど)
  • 何が重要か、問題や目的解決のための「キモ」が明確
  • 今ならネット通販で買える。専門書にしてはまぁまぁお手頃価格

である。

つまり、読者に優しい。とても親切。

対象とする読者層をある程度明確に定めていることが奏功の理由のひとつであろう。

職業として、または学生として、SEMを触らなきゃいけない、原理と操作は教えてもらったり勉強したりして、一通りは理解している人たち。でも何だか思うようにキレイな画像が撮れない、使っているうちにモヤモヤした疑問点が出てきてる… という人たち。

そんな人たちに、もう一歩踏み込んだ実践的なノウハウを惜しみなく教えてくれる。「ほら、あなたがモヤモヤしてるのはここでしょ、ここにヒントがあるよ」と、そっと指さしてくれるのだ。 その「惜しみなさ」に、後輩たちへの愛情と、装置業界の発展への情熱を感じる。

SEMなんて触ることもない皆さまには全く関係も関心も無いことではあろうが、

この「対象となる読者層とその困り事をしっかりイメージし、誠心誠意それに寄り添おうとする姿勢」は、分野を問わず普遍的に価値があるし、誰しも学べるものがあるのではないか!?

と思ったので、書きました m(_ _)m

 

【対象の読者となり得る、本書の購入をお考えの方へ】

 各通販サイトで巻頭部分のサンプルが読めます(2023年5月現在)。ヨドバシカメラの商品ページにあるサンプルが一番読みやすいと思います。この中の「SEM『あるある』劇場」という章を読んでみて「確かに!あるある!」とピンと来た場合は是非とも購入をお勧めします。

 EDSについても分かりやすく解説されています。少しですがEPMAについても言及があります。

 私個人は、加速電圧に関する考え方、サンプル作製のノウハウが特に参考になりました。後者については、「なるほど!これなら安価で手軽に私にもできそう!」というヒントがいっぱいで、ワクワクしています。

 それぞれの職場環境、研究環境で難しいこともあるかとは思いますが、ちょっとでもピンとくるものがあったらどうぞお手に取ってみて下さい。ともすれば孤独に陥りがちな分析機器オペレーターを勇気づけてくれる一冊です。

 

【追記】

「本にする」ってとても意義のあることですね。

困ったときには図書館をうろついてみたり(前述の通り、頼れる本はあまり多くない)、ネットで調べたりしてましたが…(日本電子さんの用語集には大変お世話になっております)。

断片的な情報も、もちろん有用ではありますが

本書のようにハッキリしたテーマに沿って体系的に解説してくれる媒体には、やはり敵いません。

著者の鈴木俊明先生、本橋光也先生、出版社の裳華房や関係各所の皆さまには改めて感謝です。

 

 


「ムラブリ 文字も暦も持たない 狩猟採集民から 言語学者が教わったこと /伊藤 雄馬 氏」

2023-05-06 15:34:06 | ブックレビュー

 タイやラオスの山岳地帯に住む少数民族のひとつ、ムラブリ。「ムラ」は「森」、「ブリ」は「人」、だからムラブリは「森の人」。
 近年は定住化も進んでいるようだが、基本的には定住をしない「遊動民」として続いてきた集団で、その数は推定500人程度。彼らの話すムラブリ語は文字を持たないこともあり、早晩消滅してしまう可能性の高い「危機言語」とされる。
著者は、大学生のころから約15年にわたり研究してきた世界で唯一のムラブリ語研究者、伊藤雄馬氏。

 日本ではほとんど知られていないこの「ムラブリ」は、どんな人たちでどんな暮らしをしているのか、ムラブリ語とはどんな言語なのか。本書は、それらをストレートに紹介、説明するだけのものではない。言語学者としてムラブリ語を調査・研究し、その文化や生活に自ら関わる中で、少しずつ変化した(おそらく今も変化しつつある)著者が、「ムラブリと出会った結果こうなっている」著者自身を「研究成果」として語ったものである。

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 私がこの本を知ったのは、たまたまいつもより丁寧に目を通した朝日新聞の書評であった。(後で気付いたが、評者は彼の柄谷行人先生であった。さすが。淡々とした「紹介」のような文章に、この本の魅力をしっかり「語らせて」いる。)聞いたこともない少数民族と、それを研究する若き日本人言語学者。「世界の文化」モノに弱い私は、「へぇ~」という単純な覗き見根性で購入した。

 さて、手にした本書をいざ開くと、序盤からなかなか丁寧に若き著者のダメっぷりが「自虐ネタ」のように描かれているのである。言語学者なのに、高校の授業は「ほとんど寝ていて」、「漢字は覚えられない」、「英語もほとんど赤点」…「文系だったが、選んだ理由は楽そうだから」。
 だが、就職が嫌で「仕方なく」大学院への進学を決めた若者は、ある日のムラブリ語との出会いに「あ、これだ」と思い、その美しい響きに「一耳惚れ」。さまざまな運と縁に恵まれて初のフィールド調査というの貴重なチャンスを得た。…のに!その初調査は「控えめに言っても壊滅的だった」。

 大学進学を目指す高校3年生の子を抱える私には、何だか他人の子の話と思えない。現地で毎晩開かれた「反省会」での指導者の先生と著者の様子には、私も横に立って一緒に謝りたくなるやら、一緒に叱りたくなるやらであった。
 しかし、そんな彼はそのお叱りをきちんと受け止めて猛省し、今度は準備も万端に第二のフィールド調査に臨む。曲折あるが、論文で賞をとったり、ひいては合格率16%(当時)の日本学術振興会特別会員(通称「学振(がくしん)」)にも認められるなど、「成功」をおさめていく。

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 私はここまで、正直、ある種の「優等生志向お母さん」的な目線で読んでいたと思う。「お母さん」目線と言っても、単なる「母性」を指すのではない。
 我が子にはたくさん勉強させて優等生に育て上げ、「良い学校」、「良い大学」に入れ、世間のニーズの高い知識やスキルを身に付けさせ、「良い会社」に就職させ、それなりの高収入が得られるように… それこそが最善だと信じて疑わない(信じて疑っていないこと自体にすら気づかないほど「当たり前」の前提となっている)心の態勢、それはイデオロギーである。

 この「優等生志向母」イデオロギーで定義される「成功」とは、往々にして経済的な成功であり、それはまた、資本市場主義の上にガッチリと築き上げられた社会に暮らす我々に、無意識のうちに刷り込まれたものである。

 「こんなダメダメな子でも学振になれるなんて…」と感涙しながら、資本市場主義版シンデレラストーリーに「良い本だね…」と言ってパタンと本を閉じる。そこで終わっていたら、ある意味ラクであったろうし、私にとっての本書の価値は、さほど大きくなかっただろう。

 しかし、この「成功」した著者は、それを自ら捨ててしまうのだ。せっかく得た大学職員の仕事を2年で辞め、車中泊生活を経て、今は実家の山に拠点を置いて独立研究者として生きる。
 あっさりと何の迷いも葛藤もなく捨てたわけでもないだろう。何しろここは資本市場主義ショーケースのような日本だ。「せっかく」とか「もったいない」とか、周囲からもあれこれ言われたに違いない。

 その資本市場主義ショーケース日本で、著者はどう育ってきたのか想像してみる。「ぼくは、とにかく怠けた生徒だった」 … 就職が嫌で「仕方なく、」…。陸上部では活躍なさっていたようだが、他にはこれという夢や目的もあったようには読み取れない。少なくとも高校時代までは、いろいろな局面で息苦しさのようなものを感じてきたかもしれない(彼の言う、嫌なものから逃れようとする、自身の「負の走”嫌”性」とはそういうことかと想像する)。

 そんな中、ある時その才能と感性のアンテナに引っかかったものがムラブリ語であった。その言語の美しさに足を止め、著者はそれと実直に向き合い、探究していく。
 ムラブリの言語のみならず、生活、価値観、垣間見える歴史。森に生きる自由と厳しさ。いまを生きるのムラブリたちの在りよう。また、ムラブリのみならず、他の研究者や識者との出会いが与えてくれるものも含め、ここまでの探究の「成果」である著者自身の語りを、ぜひ皆さまにも味わっていただきたい。それが放つ光は彩り豊かなので、皆さまそれぞれの持つアンテナによって、引っかかってくる色もさまざまだろう。それもまたお楽しみに、である。

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 ところで柄谷行人先生然り、これは学者の書き物に顕著なことかもしれないが、「語っている」のではあるが、私には「事実に語らせている」ように読める。わりと淡々と事実を述べ、その事実に語らせるスタイルであって、恣意的に感動や情緒的な動きを引き出そうとする気配が無い。そこも個人的には好きなところだ。平たく言えば「お涙ちょうだい」「感動ちょうだい」的では全然ないのである。どう理解し、どう感じるかは読者次第。読者への信頼が、読書の自由を与えてくれる。

 もうひとつ付け加えれば、そもそも言語学とはどんなものなのか、またその研究の方法論を少し覗けたこともありがたい。以前読んだジャレド・ダイヤモンド氏の「銃・病原菌・鉄」では、人類の発生以来の足取りを辿るのに言語学的な根拠が多く引かれており、門外漢の私には「言葉だけでそこまで判断できるもんかねぇ…」とピンとこなかった。
 図らずも本書でその方法論に触れることができ、初めて具体的にイメージすることができた。言葉はまさに生き物であり、同じ時代を生きた人間たちの営みを今に伝える、という理屈は漠然と了解していたけれど、そもそも言語というものがどんな変化を辿りがちなのかを少しでも知っていくと、なるほど見えてくるものがある。

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 さて、優等生志向お母さんイデオロギーに話を戻す。
 イデオロギーとは、思うより遥かに頑丈で、切り崩すことは極めて難しい。運よくほんの少しだけ損傷を与えることができたとしても、それに伴うエネルギーの消耗はすさまじい。
 だから、「ぜひレビューを書いておきたい」と思うほど本書に感動し、読み終えてだいぶ経つ今もムラブリのことばかり考えている私なのに、娘に「もう勉強なんてやめな。大学なんて行かなくてもいいし、何でも好きなことしなよ。」とは、すぐには、大声では、言えないのである。だが、確実に本書は私の心に心地よい「変化」をもたらしてくれた。
 そして、自身が研究成果である… その言葉の意義と重み。職歴の最初の約10年間が企業の研究員だった私に、「そもそも研究とはこうあるべきなのではないか?」という、もうひとつの心地よいパンチも与えてくれた。

 そう、学業も研究も、資本市場主義的な成功のためのものではなかったはずなのだ。知り、「知」を重ねていく営み。いや、そんな説明すらも意味をなすかどうか。人が短いその一生をかけてでも追求したいと思う何か。そして得られたその「知」自体が人にもたらす変化。それはいわゆる「成功」などよりずっと崇高なものなのだろう。
 娘のテストの点数よりも外側にある何かを、今後はより見て行けそうではある。