日常と非日常のあいだ

学びの備忘録。
まずはブックレビューを少々。

千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話 / 済東 鉄腸(左右社)

2023-06-12 15:00:49 | ブックレビュー


何しろこのタイトル。少しも気にならない人っているだろうか?
さらにこの表紙。こちらを伺う鋭い片目。「…とがった感じの子なのかしら?」と思いつつ読み始める。

「俺は…」で語る「俺」自身のこれまで。
社会生活でのさまざまな違和感、挫折、引きこもり、うつ状態… その苦しみの真っ只中で、彼に癒しを与えたのが映画であった。
見続けるうちに芽生えたある思いから、「日本未公開作品」を片っ端から見まくって批評を書くようになる。そして、彼の人生を変えることになる、あるルーマニア映画に出会うのだった。

「俺の脳髄をルーマニア語辞書でブッ叩いて、ルーマニア文壇へと半ば強引に引きずって」いかれたそうな。この表現。どれほどの衝撃だったのか。

とにかくこの済東氏、これはまだまだ序の口で、表現力が凄い。
自分の中に生まれた感情に勇気をもって向き合い、じっくりと言葉選びに骨を折らなければ出てこない言葉たちだと思う。

さすが自称「言語オタク」。最初から最後までそんな魂の言葉と表現の数々が次々とこちらに撃ち込まれてきて、震えた。そう、この本の魅力は、そのタイトルが普遍的な興味をそそる、というだけのものではないのだ。

特に、自らが好きな事物や尊敬(崇拝?)する人物の描写には圧倒される。
例えば、谷川俊太郎さんを語るくだり。もちろん谷川さんご自身の凄さを我々読者も知りながら読んでいるわけだから、「そうそう!」という共感もあってではあろうが、
巨匠・谷川さんを見つめるその透き通った、それでいて熱い眼差し、それが言葉として紡がれ、音楽のように流れ出てくる…本なのに、そんな「音」が聞こえてきそうな気さえしてくる。

あるいは、いわゆるノンバイナリーの人たちとか、韓国映画ファンの中年女性たちとか、
偏見を持たれがちだったり、勝手なイメージで分類されがちな人たちに関しての記述。
そんな偏見からは完全に独立した、自由でフェアな視点から見つめ、きちんと自分の頭というフィルターを通して(そしてそのフィルターはとてもきめ細やかで、人間に対する信頼と希望がしみ込んでいる)、見出した良きもの良きところに、きちんと敬意を払う。

人間に対しても、あらゆる文芸作品、映画、文化に対しても、真っ直ぐに向き合い、深く味わい、思索し、表現する作業を誠実に行う。
そんな態度を謙虚さと呼ぶのだろうか。それがベース音のように終始響き続けているところがまた、心地良く、感動を伴いながら読み進めさせる一冊にしていると感じる。

つまり、「俺は…」だけど、全然とがってはいなかった。
とがってると言うよりも、鋭敏にして希望と信頼に直結する、何か温めてくれるものがあった。さらに、ついでに言えば、礼儀正しかった。

そしてこの「俺」という言葉には実は、重層的な意味が込められている。
終盤にそれが見事に論じられていて、それが同時に
小説家、執筆家、芸術家、ルーマニア文学の一部たらんとする自身の決意表明として鮮烈に力強く輝く。
その眩しさと美しさに、通勤電車でそこを読んでいた私はマスクを外して涙拭き拭き下車したのであった。
参りました。

~~~
今後、間違いなく自身が目指す通りの文壇の顔になっていくであろう済東氏だが、文壇のみならず論壇でも活躍できること間違いなしだ。
その深い知識と鋭い感性を以てして、そうならなければもったいないと思うほどである。
本業のルーマニア語での執筆活動でご多用の日々とはお察ししますが、日本語での執筆活動を引き続き期待しております。


~~~
引きこもり生活における「焦り」との闘いとか、例えば「推し、燃ゆ」の翻訳を考える過程とか…語りたいツボ満載。ネタバレになってはいけないのでまたの機会にします。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿