父の想い出
めざしてた高校受験失敗。
自分の能力に応じた無難な学校、受かると思いこんでいたのに落ちた。
通いなれた教室にも入れず、昨日まで気軽に笑いあっていた級友とも顔を合わせられず
きまりわるさと恥ずかしさを知る。
私の父は頑固一徹の古き良き時代の厳父。笑わず、冗談もなし。
父の外出の際は玄関で見送り、帰宅も玄関で迎える。
茶の間で、食卓で物を食べながら「おかえりなさい」を云ったことがある。父は無言でジロリ。
後で母から「口に物を入れたままで挨拶するものではない」と叱られた。
父は学校の決まらない私に何も言わなかったが、ある夜父の前に座らされた。
「私立高校に話を決めてきた、試験は無い、面接のみ」ボソリといった。
なげやりで、ふてくされ状態の私は黙って頷いた。
外套のはずせない冬の終わり、父と二人で外出したのは、物心ついて初めてだったかも。
日本橋の靴屋に連れて行かれた。
父は店員に何事か話し、店員は座ったままの私にいくつかの靴を履かせ、
足の甲にベルトのついた船底の革靴を選んだ、大人の靴だった。
靴屋を出ると、高島屋の近くの洋食屋に入った。
父と向き合って、テーブルに座り、ナイフとフォークの食事は照れくさかった。
私以上に父は照れていた。
話らしい話などどこを探しても無かった。
いつも母が傍にいてくれるから、父と二人きりになることもなく、何もしゃべらずに済んでいたのだ。
黙々と黙って、食器の音さえも立てないようにしていた。
4、5日して、又父と出かけた、買ってもらった革靴を履いて。
先日のあのしらけた空気、気まずいやりきれない気分を思い出したのだが、父子面談ではしかたなかった。
玄関を出るときの見送る母のとまどった困った顔、「うまくやってよ」と目が父を見、私を見た。
国鉄電車に乗った時、離れた席をやっと見つけたふりをして座った、
父のホっとした顔が見えたような気がしたが、私はなぜか父に悪いような、すまない様な気持ちで
胸がチクンとした。
高校の校門を入るとき、先に立った父は振り返って「3か月我慢しなさい」
その意味がわからぬまま父の背中は大きく見えた。
校長室に治まった父は校長より立派に見えた。
校長は口ひげをものものしく蓄えていたが、父の鼻ひげの方が品が有り、勝っていた。
ダブルの背広もピシっと決まっていた。
2度も3度も頭を下げているのは校長のほうだった、目尻の下がった優しげな顔の校長は
「何の心配もいりません」と云う 私は病人じゃない・・・・?
父は校長と雑談をはじめた どこそこの製薬会社の話、入港した外国船の話、旧約聖書の話。
私はいまだに、その校長と父の関係を知らない。
3か月後、7月の夏休みに編入試験を受け、私を落とした高校に入学した。
「3か月我慢しなさい」父の言葉
今でも、物事を始めるときに思い出してる私です。
父の財布