ゆみちゃんの365日

日々の出来事を綴っています。

とんどさん

2008-01-15 15:30:30 | 日記・エッセイ・コラム

2008_01150011 2008_01150014 2008_01150015 今日は小正月の一月十五日で、「とんどさん」の日だ。とんど焼きは、家から歩いて40秒の天満宮でやっている。昨年は孫娘の起床が遅く、行ったときは、すでに火は消えていた。今年は忘れない間に早く行こうと思い、玄関の注連縄を外し、旧年のお札を持った。一人で行く予定であったが、孫娘の顔が見えたので「行くか?」と聞いた所、「行く」と言ったので二人で手をつないで神社へ行った。境内では6人ほど来ていて、火にあたっていた。この火にあたれば、病気にならないと言われている。また、この火で焼いた「みかん」や「するめ」、「餅」をいただくと無病息災で、この年を過ご せるとも言い伝えられているが、誰も焼いている気配はなかった。年寄りは信じるかも知れないが、若い人は信じないかも。私は火にあたらなくても病気にならないので何と答えよう。返事に困る。持って行った物を火の中へ放り込み、本年の無病息災を祈った。
都会にお住みの方は、何所へ何日に持って行くのだろう。一般的には、とんどは15日だが、10日の所もあるようだ。

【豆知識】
【とんどの呼び方】
日本は狭いようで広い。とんどさんの呼び方は、各地でこんなに沢山ある。
1.あわんとり(千葉)
2.おんべ焼き(単におんべとも)
3.御柴灯(おさいとう)
4.かんじょ(新潟県村上市岩船)
5.さいと焼き
6.さいの神(新潟)
7.さぎっちょ

8.墨付けとんど
島根県松江市美保関町片江地区で行われる行事。1月7日に行われる。神輿が練り歩き、参加者や見物人の顔に墨を塗る。稀な例。
9.墨塗り
新潟県十日町市松之山町の行事。焼きを行った後の行事の名前から。稀な例。焼く対象を「賽の神」と呼ぶ。
10.とんど(広島県)
11.とんど焼き
12.どんと
13.どんと祭

宮城県仙台市およびその近辺で行われるものの呼称。1月14日夜に正月飾りを焼き、その火にあたると病気をせず健康で暮らせるといわれる。餅を焼くということはなく、だるまは登場しない。子供の祭りともされない。また、特に書初めを焼くということもない。
場所の確保等の問題で年々少なくなりつつはあるものの、各地域ごとの神社で行われてきた。中でも大崎八幡宮のものは20万人以上が訪れるというもっとも盛大なもので、仙台市の無形民俗文化財に指定されている。裸参りと称し、男衆がふんどし姿で練り歩く行事も行われる。この裸参りには、女性の参加も増えている。(女性はさらしを巻く)
14.大崎八幡宮どんと祭
15.どんどや(九州)
16.どんど焼き

17.どんどん焼き

18.福間三九郎(ふくまさんくろう)
長野県松本地方の呼称で、同地方で道祖神の祭りを統括する神主の名前にちなむという。だるまは一番目立つ頂上付近に飾り付ける。旧来は1月15日に行われていたが、最近は学校の休みに合わせ、1月7日頃行われるところが多い。「繭玉」と呼ばれる米の粉で作った団子を柳の枝に刺して焼いたものを食べ、無病息災の祈願をする。
19.ほっけんぎょう(九州/福岡)
20.やははいろ(東北)

Photo_2 Photo_3 故郷の鳥取、泊村では「とんど」と言っていた。今住んでいる城陽市では「とんど」もしくは「左義長(さぎちょう)」と呼んでいる。平安時代に宮中で行われていた祭事である。日本では昔から大きな火を炊くことは魔よけ、洗浄の世界を回復するための大切な行事とされており、お正月とお盆に集中している。夏に行われる京都、「花背の松上げ」もこれに入ることだろう。京都府南部の小学校では、校庭で青竹を組んで「左義長(さぎちょう)」として行っている。子供が小学生の時は、見学に行ったことがある。全校生徒の書初めを焼くときは圧巻であった。書初めが高く燃え上がれば、字が上達すると言われているが、燃やす量が半端でないので、当然のごとく高く燃え上がって子供は歓声を上げていた。

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古い風習(日待ち)

2008-01-15 02:42:40 | 日記・エッセイ・コラム

2008_01140002 咋日は、年に3度の隣組(9軒)の「日待ち」だった。今回の当屋は、我が家なので5時前に皆さんが集合した。当屋は床の間に祭壇を設けなければならない。掛け軸は、季節ごとに3種類あり隣組で代々引き継がれている。1月は「天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)」の掛軸である。掛け軸の前には三方(さんぼう)、榊、ろうそくを準備する。皆さんが集合すれば各人が拝み、その後、お神酒で乾杯をする。昔は当屋の家で、宴会をやっていたが時代と共に簡素化され、今は店でやっている。しかし地区によっては、昔のままの所があるようだ。古いしきたりを変えようと思っても一人では難しい。40代から80代のバラバラの構成では、なおさらである。日待ちに出席すれば、ノートに自分の名前と年齢を記帳しなければならない。当屋は、このノートに食事をした店の領収書を貼り付ける。ノートを見れば平成5年1月まで、爺さんが出ていた。今年は私のデビュー15周年になる。始めの頃は、年寄りばかりの宴会に行くのがいやで、たまらなかった。若い跡継ぎの方も、同じような気持ちなのか、親父さんが具合悪いときしか出席しない。昨日も9人中、6人が70歳以上で83歳、79歳の方はボチボチ50代とバトンタッチをしてくれないかと思っていることだろう。昨夜の料理は、いつもの店Hで一人7,500円ほどかかった。写真の画像にお茶漬け、コーヒー、デザートが付いた。この風習も果たして後、何年続くことだろう。全国には、同じ日待ちでも、すごいことを今でもやっている所がある。当屋に当たれば逃げたくなりそうだ。都会にお住みの貴方は、古い風習の残る田舎には、住みたくないと思うことだろう。

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[全国の日待ちの例]
1.京田辺の日待ち http://www.eonet.ne.jp/~koizumi/himachikou.htm
2.永平寺の日待ち http://www.mitene.or.jp/~katumin/monzen/ohimachi/ohimachi.htm
3.木曾の日待ち  http://www.mb.ccnw.ne.jp/tkojima/ohimati2006.htm

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