制作好房

初志貫徹 ~志無くして進歩なし

曳山回顧(昭和51年統前将軍野二区)

2016年07月12日 22時50分37秒 | 土崎港曳山祭り
昨日、写真のアップに手こずったせいで今日は寝不足ですが、
本日はお隣り、将軍野二区。
なにやら雲板さんのお父様が委員長だったようで。
伊藤家とはなんだかんだ繋がりが深い。



外題 「荒野に靡く 征夷の旗風」

外題は何度も使われる、土崎に縁のあるお話なので改めて何も書きませんが、
この人形の組み合わせはなかなか見ることができないレアものです。
↓この平成11年9月おなごりフェスティバルin能代の時くらいしか見たことがないような。

大きいヤラレに対してはこれくらい手を振りかざした人形の方がバランスがいいですね。
この主役も今と昔では両手の角度が全然違いますが
個人的には腕を高く上げている昔の方が迫力あったかなと。

さて将軍野二区さん、この同じ外題を平成15年の統前でも使っています。
同じように岩をブン投げているといった構図でしょうか。

昭和51年の方は突き出しの人が岩に当たって気を失っているような・・
躍動感があって良い山車。そして凄いタイミング。笑
そんな岩の配置や人形などを含め、昭和51年の方が動きがあって好きですが
いずれにせよ、両方バランスがよくて良い山車ですよね。


見返し 「黒い翼に 揺れるミキ」

見返し札が横にくっついてる!
昔の写真を見る度に今の祭りの窮屈さを感じてしまうのは私だけでしょうか。



当方HP↓(写真の人形と関係ございません)



3 コメント

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おっと、出た!! (雲板)
2016-07-13 13:19:36
「さわやかに君よ五輪の花と咲け」ってのは、ウチの親父の考えそうな文章ですね 「呑めばいい助」のくせして(爆)
昭和51年にはまだ総括制度がなく、統前町の委員長が「統前総委員長」なんてなピンクの地色のタスキをかけて、普通の委員長と現在の総括とを兼務してたんですよ
なんで、委員長でありながら自町内の山車を離れてる時間が多かったんです
ってなことから、親父の時と同じ場面・同じ外題で奉納させていただいたってな次第です
杉も松も立派な物を準備してもらったんで、「いっそのこと前に出しちまえ」とこんな形になりました
昭和51年の見返し札が横にくっついてる件は、相染新田踏切が電化されてた当時だったのかな? あの当時は高さ制限が4.3メートルだったはずですから
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雲板さん (yukke)
2016-07-13 19:48:16
そうだったんですね。
お父様と同じ外題で時代を繋ぐ・・カッコイイですね!

当時の方が高さ制限厳しかったんですか。
知らなかったです(--;)
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雲板さんの (夫婦岩)
2016-07-15 08:27:25
奉納曳山の裏側エピソード、興味深いすな!
札ぶつ切り?はスゴいですね(^-^;
15年の松は立派すぎて、小笊に載ってるのが印象深いです(笑)
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