今回は十数年前に活動していた
Raphael
というバンドについて
デビュー当時から知っていたわけではありませんが
メジャーデビューする話が彼らのまわりにテレビニュースとなって報道される頃には
すでに若き実力派メタルバンドとして名を馳せていたバンド
一言にメタルといっても種類は様々なので
知らない人がイメージするようなコテコテのメタルではなく
様式美を維持しながらV系独特の世界観を
歌詞 衣装 などで表現していました
一見すれば派手な衣装(メイク)
すでにメディアが報道するイメージのV系というカテゴリー のせいで
なかなか色物に見られがちだったバンドでした
その前にはマリスミゼルといった(Gacktも在籍していた、)中世を意識した衣装のバンドが存在したのも
原因の一つです
しかし彼らは当時20歳に満たない、本当に若いバンドメンバー達でした
その歌詞は、未成年・大人になる一歩前の子供達の想い
迷いやわかってもらえない気持ち
自分達の意思とは関係なく【大人が期待する子供】という世間体からすれば
ステレオタイプなイメージを持たされる
それでも前に進まされる
ちょっとでも【普通】と違うとなれば糾弾される
それでも自分達の意思を持っている一人の人間として
子供が大人に成長する物語
そういった歌詞の目立つ歌を多く作り上げていました
当時の同年代くらいのファンは
そういったメッセージに共感して
彼らを自分に見立てて
「ああ、こういう人前に立つ、自信のありそうな人達でも同じように迷いながら戦っているんだ!」
という応援して、応援されて…という立場で
彼らと共に歩んでいました
2000年10月31日
そんな彼らに事件が起こりました
歌詞や曲を主に製作していた、まさにRaphaelの世界観を作っていた
Gt.華月 が19歳の若さで亡くなったんです
元来 身体の弱かった彼は
強すぎる発作を抑えようとしたのか、持病の薬を過剰摂取してしまった
というのが現在認知されている原因です
メンバー間とファンとの清い交流もあったため、亡くなったファンのために曲を製作したり
CDジャケットは天野喜孝さんに描いてもらったり
バンド結成から3年間の間に、本当に周りからも有望視されていました
いま華月が生きていたら
どのようなバンドになっていたのか
残念でなりません
残されたメンバーのうち、Vo.のYu~ki Dr.のHiro
二人はその後 rice というバンドを組み、
ただ歌いたい・純粋にドラムを叩きたい
その原始的な想いから音楽活動を続けていたといいます
そして
2012年10月31日・11月1日
彼らはRaphaelとして
再度武道館でファンの前に立ちました
それは再結成というよりも
やっと華月という仲間との思いをメンバーが昇華して、場に立つことが決心できたものなのだ
ということをライブで発表し
以降はまた各々の活動に戻ったようです
音楽はいま聴けば90年代らしい運びで作られています
古いと感じる方もいるかもしれません
しかし、英語を使わずに日本語だけで書かれた歌詞は
ストレートに間違えることなく
聴く人の耳に届きます
そんな彼らの歌を
私はいまも時々 思い出したように聴くのです
Raphael
というバンドについて
デビュー当時から知っていたわけではありませんが
メジャーデビューする話が彼らのまわりにテレビニュースとなって報道される頃には
すでに若き実力派メタルバンドとして名を馳せていたバンド
一言にメタルといっても種類は様々なので
知らない人がイメージするようなコテコテのメタルではなく
様式美を維持しながらV系独特の世界観を
歌詞 衣装 などで表現していました
一見すれば派手な衣装(メイク)
すでにメディアが報道するイメージのV系というカテゴリー のせいで
なかなか色物に見られがちだったバンドでした
その前にはマリスミゼルといった(Gacktも在籍していた、)中世を意識した衣装のバンドが存在したのも
原因の一つです
しかし彼らは当時20歳に満たない、本当に若いバンドメンバー達でした
その歌詞は、未成年・大人になる一歩前の子供達の想い
迷いやわかってもらえない気持ち
自分達の意思とは関係なく【大人が期待する子供】という世間体からすれば
ステレオタイプなイメージを持たされる
それでも前に進まされる
ちょっとでも【普通】と違うとなれば糾弾される
それでも自分達の意思を持っている一人の人間として
子供が大人に成長する物語
そういった歌詞の目立つ歌を多く作り上げていました
当時の同年代くらいのファンは
そういったメッセージに共感して
彼らを自分に見立てて
「ああ、こういう人前に立つ、自信のありそうな人達でも同じように迷いながら戦っているんだ!」
という応援して、応援されて…という立場で
彼らと共に歩んでいました
2000年10月31日
そんな彼らに事件が起こりました
歌詞や曲を主に製作していた、まさにRaphaelの世界観を作っていた
Gt.華月 が19歳の若さで亡くなったんです
元来 身体の弱かった彼は
強すぎる発作を抑えようとしたのか、持病の薬を過剰摂取してしまった
というのが現在認知されている原因です
メンバー間とファンとの清い交流もあったため、亡くなったファンのために曲を製作したり
CDジャケットは天野喜孝さんに描いてもらったり
バンド結成から3年間の間に、本当に周りからも有望視されていました
いま華月が生きていたら
どのようなバンドになっていたのか
残念でなりません
残されたメンバーのうち、Vo.のYu~ki Dr.のHiro
二人はその後 rice というバンドを組み、
ただ歌いたい・純粋にドラムを叩きたい
その原始的な想いから音楽活動を続けていたといいます
そして
2012年10月31日・11月1日
彼らはRaphaelとして
再度武道館でファンの前に立ちました
それは再結成というよりも
やっと華月という仲間との思いをメンバーが昇華して、場に立つことが決心できたものなのだ
ということをライブで発表し
以降はまた各々の活動に戻ったようです
音楽はいま聴けば90年代らしい運びで作られています
古いと感じる方もいるかもしれません
しかし、英語を使わずに日本語だけで書かれた歌詞は
ストレートに間違えることなく
聴く人の耳に届きます
そんな彼らの歌を
私はいまも時々 思い出したように聴くのです
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます