稚内を目前に見えてきた礼文島
先日、大和田獏さんが旅番組で
忘れられない旅という事で礼文島の話をされていました。
泊まったYHでみんなで歌った歌が忘れられない と。
そんな話に私も思い出したことがありました。
長い風力発電の道
もう30年以上昔の事、
今では家族のような付き合いになったT君が
当時、大きな試練に見舞われていて
夏休みを利用してバイクで北海道を走りに行きました。
「 ちょっと走ってきますわ 」
共に苦労した大事な仲間です。
少し心配だったので立ち寄ると言っていた礼文島から
絵葉書を送ってほしいと頼みました。
約束通り礼文島から届いた絵葉書には
「 いい歌に出会いましたよ 」とあり安心したものです。
この歌だったのですね。
島の山に分け入り咲いていた薄雪草
その歌は礼文島の桃岩壮YHで40年以上歌い継がれている
「 旅の終わり 」 という昭和のフォークソングです。
夢のような旅だった。
遠い北の国の
僕は旅の喜びと旅の辛さを知った。
北の国の少女たちと過ごした夢のせつな
今日は君もほかの街へ僕もほかの街へ
こんな辛い旅はもう嫌だ
旅を終わろう 汽車に乗ろう
人と人の出会いなんて
いつも別れで終わる
僕は君のくれた夢を明日も持ち続けよう
こんな辛い旅はもう嫌だ
旅を終わろう 汽車に乗ろう
こんな辛い旅だけど
強く生きる事を知った 旅の終わり
( 礼文島YH の歌 旅の終わりで検索できると思います。)
夜、歌詞カードを手にみんなで集まり一緒に歌ったその歌は
ピュアな心に深く届いて
忘れられない瞬間になったのでしょうね。
昭和のフォークソング・・・染み入りますねぇ。
翌朝、稚内に渡る船に乗ると
港にひときわ目立つ見送りの若者たちがいました。
聞くと、YHで共に歌った人たちのようで
一足先に本土に戻る仲間を応援しているのだとか・・・
「頑張れよ~ 応援してるぞ~ !! 」
こんな渾身の力で叫ぶ見送りは見たことがありませんでした。
思わず目がしらが熱くなる思いがしたものです。
多分YHでたまたま一緒に歌ったふれあいなのでしょうが
それぞれ異なった場所へと帰っていく仲間への思いですね。
同じ時代、同じ瞬間に同じところでのすれ違いなのに
青春ていいなあ、純粋でいられる時代っていいなあ・・・
この人たちは当時、青春の真っただ中にいたのですね。
船が本土へと向かって行く間
ずっとユリカモメが追って来て
彼らの見送りを引き継いだようにも思えました。
彼らは旅の途中できっと
辛いのは自分だけじゃない、明日へと頑張って行こう と
同じYHに集った仲間たちとあの歌から
何かしら力を貰ったのでしょうね。
今日の写真は全て過年に北海道を1周したときのものです。