
所在地:秋田県にかほ市象潟島
蚶満寺(かんまんじ)は、仁寿3年(853年)に慈覚大師円仁の開山と伝えられる。
寺院名の「蚶」は、かつて象潟の地を「蚶方」と書いていたところから来ている。
真言宗の不動明王の真言は「のうまくさんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ
そわたや うんたらた かんまん」という。天台宗真言でも、同じく最後は「かんまん」と
いうが、一度真言宗に転じ、梵語より寺号がおこったという諸説もあるとのこと。
蚶満寺は、国道7号から線路を越えた場所にあり、線路沿いには
象潟の島跡が見え、かつては景勝を見る為に多くの人が訪れた古刹である。
蚶満寺の祖先は、潟跡の開田を実施する本荘藩の政策に対し意義申し立てて、
捕えられてしまったが、現在の象潟の景観を守る先駆けとなった。
松尾芭蕉は、奥の細道で「きさかたの 雨や西施か ねむの花」など三句を残している。

奥の細道時代の旧参道
蚶満寺(かんまんじ)は、仁寿3年(853年)に慈覚大師円仁の開山と伝えられる。
寺院名の「蚶」は、かつて象潟の地を「蚶方」と書いていたところから来ている。
真言宗の不動明王の真言は「のうまくさんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ
そわたや うんたらた かんまん」という。天台宗真言でも、同じく最後は「かんまん」と
いうが、一度真言宗に転じ、梵語より寺号がおこったという諸説もあるとのこと。
蚶満寺は、国道7号から線路を越えた場所にあり、線路沿いには
象潟の島跡が見え、かつては景勝を見る為に多くの人が訪れた古刹である。
蚶満寺の祖先は、潟跡の開田を実施する本荘藩の政策に対し意義申し立てて、
捕えられてしまったが、現在の象潟の景観を守る先駆けとなった。
松尾芭蕉は、奥の細道で「きさかたの 雨や西施か ねむの花」など三句を残している。

奥の細道時代の旧参道