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徳之島 なごみの岬公園 富山丸

2014年08月02日 | 九州
所在地:鹿児島県大島郡徳之島町亀徳

YouTube 富山丸

富山丸(とやままる)は、太平洋戦争中の1944年(昭和19年6月29日、鹿児島県の徳之島沖で米潜水艦の攻撃により沈没し、
四国、九州を中心とした三千七百余名が犠牲となった。なごみの岬公園には、1964年(昭和39年)6月29日に慰霊塔が建立された。

富山丸は貨物船で、沖縄本島への増援を目的として、将兵約4600名、ガソリンを搭載したドラム缶1500本を乗せ、
1944年(昭和19年)6月27日、「富山丸」を含めた12隻の船舶は鹿児島湾を出港する。追い詰められていた日本は、
多くの兵員と大量の燃料を一緒に船に乗せており、1坪11人くらいの割合で、座れば頭が天井につくような場所に押し込まれ、
梅雨の蒸し暑さと、軍隊特有の革の匂いや汗臭さなどが充満しており、戦況不利の戦場に向かう不安が漂っていたといいます。

1944年(昭和19年)6月29日、7時25分に米軍から魚雷が発射され、3発が富山丸に命中。
徳之島南東12キロの地点(北緯27度43分 東経129度06分)で轟沈した。

ガソリンのドラム缶が爆発して海上に燃え上がり、浮いているガソリン缶を更にあぶり、海上では次々に爆発を繰り返した。
そして、海は黒煙で空は覆われ、海上一面は火の海でまるで地獄絵図であったといいます。

富山丸が撃沈して2014年で約70年になります。戦争体験者、遺族の高年齢化などを理由に、
慰霊に参拝される方も少なくなってくると思われますが、ここに英霊が眠っていることは忘れずに感謝したいです。















外国の脅威、憲法9条の改正、特定秘密保護法など、日本をとりまく環境が数年前と大きく変わりましたが、
平和を尊い、戦争の悲惨さを噛み締め、そして領土を守るという、難しい選択が訪れるようなことがあるかも
しれませんが、我々一国民にできることは、まずは歴史を知っておくことだと感じます。

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