2012年NHK大河ドラマ「平清盛」により、神戸市では2012年1月21日~2013年1月14日まで
「KOBE de 清盛2012」という平清盛のゆかりの地を案内する歴史ガイドツアーや、
歴史館やドラマ館、PRキャラバン隊のイベントなどが行われている。
平清盛を見るまでは、平安時代の歴史はほぼ知らなかったのですが、見ている内に
平清盛が描いていた理想などに興味を持ち、改めて日本の歴史を勉強したくなり、
幻の福原京に赴くことにしました。
三ノ宮駅で清盛1dayパスを購入した。このパスは、1日乗り放題の乗車券にドラマ館・歴史館の
両館入場券および生田神社・須磨寺・和田神社の祈念品引換券が付いたお得な券です。
午前9時過ぎに大輪田泊会場「歴史館」に着き、9時30分の歴史ガイドツアー
2時間コースに申し込んだ。
日宋貿易の拠点である大輪田泊)に交易の拡大と風雨による波浪を避ける目的で築造された
人工島「経ヶ島」は、工事が難航した。当時は人柱で竜神の怒りを鎮めていたが、平清盛は
何とか人柱を捧げずに埋め立てようと考えて、石の一つ一つに一切経を書いて埋め立てに
使ったと言われる(経石)。しかし、一説には、人身御供をする事となり清盛の侍童・
松王丸が入水して工事が終わったともいわれる。それが伝わる築島寺(来迎寺)では、
松王小児入海之碑が残る。右側の石碑は清盛の寵姫・白拍子の妓王と妓女の墓。
大輪田泊の石椋(いわくら)。平清盛より前の時代、奈良時代から平安時代中期の石椋。
浄国山金光寺(こんこうじ)。平清盛が開基したと伝わる。
能福寺。平清盛所縁の寺で、福原京遷都計画にともなって平家一門の祈願寺に定められ栄えた。
清盛が剃髪(ていはつ)出家した寺院でもあります。
兵庫大仏。この大仏は1944年(昭和19年)に金属類回収令で国に供出されるまで
日本三大大仏の一つに数えられた。
境内には平相国廟(へいしょうこくびょう)[平清盛廟]と十三重石塔(平清盛供養塔)があり、
平清盛が京都でふされた時、能福寺の住職円実法眼が清盛の遺骨を持ち帰り寺領内に
葬ったと伝えられています。
下記写真は、ジョセフ・ヒコ(浜田彦蔵)による寺の由来碑(日本最初の英文碑)。
維新志士を資金面で支えた勤王豪商・北風正造君碑がある。碑文は初代兵庫県知事でも
あった伊藤博文が書いている。高田屋嘉兵衛にも資金面で援助しているなど、北風家は
兵庫の歴史にいくつも関わっている旧家。特に、姫路藩が官軍の攻撃を受けようとした時、
15万両を支払い紛争を解決した。この歴史がなければ、現在の姫路城は存在していない。
真光寺。平清盛が弁財天を勧請した時に、僧が井戸の水で茶を立てて献上したと伝わる。
中興開祖・一遍廟所
清盛橋より大輪田泊を望む。
薬仙寺。
建武年間(1334年~1337年)後醍醐天皇が隠岐島より帰京の途次病気となり、
霊泉で薬を調進するとたちまち平癒され、薬仙寺の号を賜わったという。
福原遷都の際、後白河法皇を幽閉した跡で、萱の御所とも呼ばれています。
もっと北側にあったそうですが、運河拡張の際に移動したようです。
和田神社。平清盛が承安3年(1173年)に市杵嶋姫大神を勧請した。古事記では、
イザナギ(伊耶那岐命)とイザナミ(伊耶那美命)との間に生まれた最初の神
ヒルコ(蛭子)は、不具の子に生まれたため、オノゴロ島から流されてしまう。
そして、流れ着いたのがこの地だと伝わる。
清盛塚石造十三重塔。北条貞時建立と伝わる。
平清盛像。並んで琵琶の名手・平経正にちなんだ「琵琶塚」碑が建てられています。
入江橋にある清盛くんの像。歴史館のある付近には、かつて兵庫城があり、
明治時代には兵庫県庁が置かれていたようです。
ガイドの方には、親切にいろいろと教えていただき、貴重な時間を過ごす事ができました。
続いて、ハーバーランドセンタービルにある「ドラマ館」に行きました。幻の福原京を
CGやジオラマで再現しており、衣装や小道具などの展示、平清盛役を演じた松山
ケンイチの等身大フィギュアがあり、一緒に撮影することがきます。
湊川神社、須磨寺、生田神社
平清盛由縁の場所はもっとありますが、1日しか神戸に滞在できなかったので、
すべては見ることはできませんでしたが、ガイドの方のおかげで知識が得られて
満足した1日でした。また、神戸に寄った時に本日行けなかった場所も行きたいです。
「KOBE de 清盛2012」という平清盛のゆかりの地を案内する歴史ガイドツアーや、
歴史館やドラマ館、PRキャラバン隊のイベントなどが行われている。
平清盛を見るまでは、平安時代の歴史はほぼ知らなかったのですが、見ている内に
平清盛が描いていた理想などに興味を持ち、改めて日本の歴史を勉強したくなり、
幻の福原京に赴くことにしました。
三ノ宮駅で清盛1dayパスを購入した。このパスは、1日乗り放題の乗車券にドラマ館・歴史館の
両館入場券および生田神社・須磨寺・和田神社の祈念品引換券が付いたお得な券です。
午前9時過ぎに大輪田泊会場「歴史館」に着き、9時30分の歴史ガイドツアー
2時間コースに申し込んだ。
日宋貿易の拠点である大輪田泊)に交易の拡大と風雨による波浪を避ける目的で築造された
人工島「経ヶ島」は、工事が難航した。当時は人柱で竜神の怒りを鎮めていたが、平清盛は
何とか人柱を捧げずに埋め立てようと考えて、石の一つ一つに一切経を書いて埋め立てに
使ったと言われる(経石)。しかし、一説には、人身御供をする事となり清盛の侍童・
松王丸が入水して工事が終わったともいわれる。それが伝わる築島寺(来迎寺)では、
松王小児入海之碑が残る。右側の石碑は清盛の寵姫・白拍子の妓王と妓女の墓。
大輪田泊の石椋(いわくら)。平清盛より前の時代、奈良時代から平安時代中期の石椋。
浄国山金光寺(こんこうじ)。平清盛が開基したと伝わる。
能福寺。平清盛所縁の寺で、福原京遷都計画にともなって平家一門の祈願寺に定められ栄えた。
清盛が剃髪(ていはつ)出家した寺院でもあります。
兵庫大仏。この大仏は1944年(昭和19年)に金属類回収令で国に供出されるまで
日本三大大仏の一つに数えられた。
境内には平相国廟(へいしょうこくびょう)[平清盛廟]と十三重石塔(平清盛供養塔)があり、
平清盛が京都でふされた時、能福寺の住職円実法眼が清盛の遺骨を持ち帰り寺領内に
葬ったと伝えられています。
下記写真は、ジョセフ・ヒコ(浜田彦蔵)による寺の由来碑(日本最初の英文碑)。
維新志士を資金面で支えた勤王豪商・北風正造君碑がある。碑文は初代兵庫県知事でも
あった伊藤博文が書いている。高田屋嘉兵衛にも資金面で援助しているなど、北風家は
兵庫の歴史にいくつも関わっている旧家。特に、姫路藩が官軍の攻撃を受けようとした時、
15万両を支払い紛争を解決した。この歴史がなければ、現在の姫路城は存在していない。
真光寺。平清盛が弁財天を勧請した時に、僧が井戸の水で茶を立てて献上したと伝わる。
中興開祖・一遍廟所
清盛橋より大輪田泊を望む。
薬仙寺。
建武年間(1334年~1337年)後醍醐天皇が隠岐島より帰京の途次病気となり、
霊泉で薬を調進するとたちまち平癒され、薬仙寺の号を賜わったという。
福原遷都の際、後白河法皇を幽閉した跡で、萱の御所とも呼ばれています。
もっと北側にあったそうですが、運河拡張の際に移動したようです。
和田神社。平清盛が承安3年(1173年)に市杵嶋姫大神を勧請した。古事記では、
イザナギ(伊耶那岐命)とイザナミ(伊耶那美命)との間に生まれた最初の神
ヒルコ(蛭子)は、不具の子に生まれたため、オノゴロ島から流されてしまう。
そして、流れ着いたのがこの地だと伝わる。
清盛塚石造十三重塔。北条貞時建立と伝わる。
平清盛像。並んで琵琶の名手・平経正にちなんだ「琵琶塚」碑が建てられています。
入江橋にある清盛くんの像。歴史館のある付近には、かつて兵庫城があり、
明治時代には兵庫県庁が置かれていたようです。
ガイドの方には、親切にいろいろと教えていただき、貴重な時間を過ごす事ができました。
続いて、ハーバーランドセンタービルにある「ドラマ館」に行きました。幻の福原京を
CGやジオラマで再現しており、衣装や小道具などの展示、平清盛役を演じた松山
ケンイチの等身大フィギュアがあり、一緒に撮影することがきます。
湊川神社、須磨寺、生田神社
平清盛由縁の場所はもっとありますが、1日しか神戸に滞在できなかったので、
すべては見ることはできませんでしたが、ガイドの方のおかげで知識が得られて
満足した1日でした。また、神戸に寄った時に本日行けなかった場所も行きたいです。