二組の夫婦神と大己貴命を祀り、縁結びの神様、家庭円満の神様としても
篤く尊崇されており、毎年多くの結婚式が挙げられています。
所在地:埼玉県川越市宮下町2丁目11
川越の総鎮守である氷川神社の歴史は古く、その創建は欽明天皇の即位二年(540年)
9月15日武蔵国足立郡氷川神社を分祀奉斎したと伝える。長禄元年太田道真・道灌が
川越城を築城するに及び、道灌は当社を篤く崇敬し、「老いらくの身をつつみてこそ
武蔵野の 草にいつまで残る白雪」との和歌を献納している。
江戸時代においても、川越城主代々の尊崇篤く、毎年元旦には奉幣の儀が行われ、
社家は登城城主目通りの上年賀を言上している。本殿は、川越城主松平斉典を
筆頭として、同社氏子の寄進によって天保13年(1842年)に起工され五ヵ年の
歳月を要して建立されたものである。
また、毎年100万人以上の人手を集める通称「川越まつり(川越氷川祭)は、
川越氷川神社の祭礼(例大祭・神幸祭)である。平成17年2月には「川越氷川祭の
山車行事」として国の重要無形民俗文化財の指定を受けました。町内ごとに違う
等身大の人形を乗せた山車が蔵の街を練り歩き、山車と山車が道ですれ違うときに、
回り舞台を向かい合わせる「曳っかわせ」が、一番盛り上がる場面といわれています。
また、境内にある八坂神社は毎年7月には例祭が斎行され、お神輿が街中を廻ります。
社殿は、寛永14年(1637)に江戸城二の丸の東照宮として建立されました。
後に明暦2年(1856)川越城内三芳野神社の外宮として江戸城から移築され、
さらに明治5年(1872)現在地に移され、八坂神社の社殿となりました。
明神型の大鳥居は、木造では日本最大規模。鳥居中央に掲げられた社号は勝海舟によるものです。
篤く尊崇されており、毎年多くの結婚式が挙げられています。
所在地:埼玉県川越市宮下町2丁目11
川越の総鎮守である氷川神社の歴史は古く、その創建は欽明天皇の即位二年(540年)
9月15日武蔵国足立郡氷川神社を分祀奉斎したと伝える。長禄元年太田道真・道灌が
川越城を築城するに及び、道灌は当社を篤く崇敬し、「老いらくの身をつつみてこそ
武蔵野の 草にいつまで残る白雪」との和歌を献納している。
江戸時代においても、川越城主代々の尊崇篤く、毎年元旦には奉幣の儀が行われ、
社家は登城城主目通りの上年賀を言上している。本殿は、川越城主松平斉典を
筆頭として、同社氏子の寄進によって天保13年(1842年)に起工され五ヵ年の
歳月を要して建立されたものである。
また、毎年100万人以上の人手を集める通称「川越まつり(川越氷川祭)は、
川越氷川神社の祭礼(例大祭・神幸祭)である。平成17年2月には「川越氷川祭の
山車行事」として国の重要無形民俗文化財の指定を受けました。町内ごとに違う
等身大の人形を乗せた山車が蔵の街を練り歩き、山車と山車が道ですれ違うときに、
回り舞台を向かい合わせる「曳っかわせ」が、一番盛り上がる場面といわれています。
また、境内にある八坂神社は毎年7月には例祭が斎行され、お神輿が街中を廻ります。
社殿は、寛永14年(1637)に江戸城二の丸の東照宮として建立されました。
後に明暦2年(1856)川越城内三芳野神社の外宮として江戸城から移築され、
さらに明治5年(1872)現在地に移され、八坂神社の社殿となりました。
明神型の大鳥居は、木造では日本最大規模。鳥居中央に掲げられた社号は勝海舟によるものです。