所在地:埼玉県川越市末広町1-7-1 曹洞宗
市指定史跡 安井政章墓がある。安井政章は天明7年(1787)7月川越で生まれ、
安井久道に養われ安井姓となる。通称与左衛門または珍平といった。
幼くして儒教を学ぶと共に、槍術の宝蔵院流師範となる。松平大和守斉典の
家臣で、川越藩の郡奉行を務め、二百石を給せられ、治水、開墾、植林などに
多くの功績を残した。ことに弘化2年(1845)比企郡川島領の堤防が二度も決壊し、
領民が大いに苦しんだとき、藩主の命で43ヶ村、150余町の間に土手を築き、
多年の災いから藩民を免れさせた。嘉永6年(1853)6月19日、病のため齢67歳で没す。
市指定史跡 安井政章墓がある。安井政章は天明7年(1787)7月川越で生まれ、
安井久道に養われ安井姓となる。通称与左衛門または珍平といった。
幼くして儒教を学ぶと共に、槍術の宝蔵院流師範となる。松平大和守斉典の
家臣で、川越藩の郡奉行を務め、二百石を給せられ、治水、開墾、植林などに
多くの功績を残した。ことに弘化2年(1845)比企郡川島領の堤防が二度も決壊し、
領民が大いに苦しんだとき、藩主の命で43ヶ村、150余町の間に土手を築き、
多年の災いから藩民を免れさせた。嘉永6年(1853)6月19日、病のため齢67歳で没す。