所在地:埼玉県川越市喜多町3 曹洞宗
広庵芸長和尚が開山し、中興開基は本田右近親氏、
元和四年寂。大導寺駿河守政繁が建立。
中島孝昌墓があり、幼名を徳三郎といい、のち徳右衛門と改め、家業を継ぐとともに
五代目絹屋与兵衛を名乗り、川越鍛冶町の名主役をつとめた。川越の地誌として
最も過ぎれた「三芳野名勝図絵」三巻を著わし、後人を裨益するところ多大なものがあった。
墓石には「啓宗其馨居士」とあり、「消えてこそまことなりけり雪仏」という辞世の句が刻まれている。
腮(あご)なし地蔵。腮がないから歯がない。歯がないから歯痛がない。歯痛に苦しむ人が
ここに来て祈願すれば、歯痛が治るという。治ったら柳の枝で楊子を作って奉納する。
しわぶきばば。風邪や咳きに効き目のあると伝えられているお地蔵様。
広庵芸長和尚が開山し、中興開基は本田右近親氏、
元和四年寂。大導寺駿河守政繁が建立。
中島孝昌墓があり、幼名を徳三郎といい、のち徳右衛門と改め、家業を継ぐとともに
五代目絹屋与兵衛を名乗り、川越鍛冶町の名主役をつとめた。川越の地誌として
最も過ぎれた「三芳野名勝図絵」三巻を著わし、後人を裨益するところ多大なものがあった。
墓石には「啓宗其馨居士」とあり、「消えてこそまことなりけり雪仏」という辞世の句が刻まれている。
腮(あご)なし地蔵。腮がないから歯がない。歯がないから歯痛がない。歯痛に苦しむ人が
ここに来て祈願すれば、歯痛が治るという。治ったら柳の枝で楊子を作って奉納する。
しわぶきばば。風邪や咳きに効き目のあると伝えられているお地蔵様。