2021/3/13(土) 晴
今日の最高気温16°出発は11時、気温14°。北風が強いので北方向を目的地とし、玉名市伊倉経由岱明海床路へポタリングに出る。
県道31→国道208→県道170を走り、伊倉南八幡宮の大樟に立ち寄り、熊本県指定文化財があるという本堂山緑地に向かう。
西側階段下に案内板(写真4参照)がある。ここは、山上がほぼ墓所のようだ。
階段の途中左側に直径5~6mの墳墓(写真5参照)がある。
大明振倉謝公墳説明板(写真6参照)には、「この墳墓は、中国明人謝公の墓である。墳墓の構造は棺郭も屋根型の厚い屋蓋も特殊な漆喰造りで棺郭の中の木棺と接するように別の木棺一基があり、謝公夫妻の墓であろう。
このような全面漆喰造りの墳墓形式はきわめて特異なものである。
中国明代(1368~1615)の末期、日本への貿易をめざして移住した明人の多くは有明海、八代海の河港近くに住み東洋の各地と交易をしていた、謝公もその一人である。
この謝公墳は伊倉堀川町の郭公墓とともに十七世紀の初めごろまで伊倉が海外交流の拠点であったことを示す貴重な文化遺産である。」とある。
東側入り口近くに、「補陀落山渡海供養塔及び板碑群」(写真7参照)がある。
説明板(写真8参照)には、「現在地は、中世寺院であった中尾山報恩寺跡であり、現在、大小十基からなる板碑の一群が残っており、その中の一基に補陀落渡海碑がある。
補陀落渡海とは、海上にあるとされる観音信仰における補陀落浄土を目指して往生(船出)することで、その供養として立てられてのが補陀落渡海碑である。
この補陀落渡海碑は、安山岩の自然石で三角形を帯び・・・「補陀落渡海行者下野之住夢賢上人」・・・施主を明らかにする「本願尾州之住月照上人」の文字が刻まれている。・・・全国的にみても大変貴重なものである。」とある。
この墓所中央の高所にあるのが「宇佐公満墓・宇佐大宮司公長逆修塔・伊倉一方地頭沙弥行恵供養塔(宇佐一族の墓石)」(写真9参照)である。
説明板(写真10参照)には、「伊倉はかつて菊池川沿いの港をもち、肥後北部の要衝として宇佐大宮司の直轄神領として伝領された。公満は・・・伊倉地方の発展の基礎を造った人・・・行恵は・・・地頭で、関東御家人であった。」とある。
伊倉南八幡宮の大樟・本堂山緑地に立ち寄り、岱明海床路に移動する。
海床路からの帰路も伊倉を通る。平地から丘陵地に上がるこの坂道は、御幣振坂(写真14参照)というようだ。
「・・・近世まで「住吉の松」といって樹齢800年位の木があり、唐人町の「一位樫」や「舟繋ぎの銀杏」とともに伊倉の三名木であった。・・・住吉神が祀ってあった。・・・」とある。
ここにも、伊倉が中世まで港であった歴史の伝承がある。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)35km→岱明海床路33km→熊本(自宅)
所要時間6時間(実5.5時間) 総計68km 走行累計39,091km
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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