Salsa する?

Salsaの力を信じてます。
ココロの核にしみ込んで、カラダの芯が躍動します。

映画『マダム イン ニューヨーク』  おちこぼれ見聞録編

2014-08-12 12:44:39 | NY編



日曜日えらい雨嵐の中、観に行ったインド映画『マダム イン ニューヨーク』。
予告の時から絶対観よう!と決めていた映画だった。
こんな嵐の中、観に来るバカはおらんだろう。。
そう思って行ったら、ワタシのような長靴にカッパを着たバカばかり…
30分前なのに、もう席は埋まりギリギリで入れた。


◆映画『マダム イン ニューヨーク』◆



インドの平凡な主婦シャシ。
インド人なのにチャイは飲まず、毎朝ネスカフェを飲む。
得意な揚げ菓子「ラドゥ」を作りデリバリー、シャシの作る「ラドゥ」は絶品。

海外に一人で行ったこともない主婦がニューヨークに住む姪の結婚式のため、
5週間の滞在をしなければならなくなる。
シャシはヒンディー語しか話せず、英語はカラッきしダメ。
夫は会社で、娘は学校で、、二人とも英語しか話さない…
シャシは二人にとって、何も出来ない主婦。。
そんな風に見られてることに、何も反論出来ず心にいつも水たまりがあった。

シャシの水たまりが溢れてしまったのがマンハッタンのカフェでの出来事。
一人でマンハッタンでコーヒーを飲もうと入ったカフェで、
注文が出来ず、簡単な英語も通じない。
シャシの思わず出た言葉が「ネスカフェ・・・」
その言葉に嘲り笑い、まくしたてる店員の英語に家族と同じ侮蔑の視線、、
堪らず店を出て、路上で号泣してしまう。

打ちひしがれてるシャシの前に大きな看板が。。
「4週間で英語が話せる!英会話クラス」の広告だった。
シャシは家族に秘密で、色んな人種の集まる英会話クラスで勉強し始める。
やさしく、美しく、懸命に勉強するシャシが徐々に変わり始める。
サリーを着てマンハッタンを歩く姿は、絶景!で天女のよう。
妻として、母として、女性として尊厳を持ちたいというシャシの願いは、
とうとう叶った。

惹き込まれるように観てしまった。。

内容は大人の切り口で、誰もが持ってる隠したい心の水たまり。。
ちいさな小石でも落とされたら、たちまち溢れて波紋が広がる。
ならば、死ぬまで水たまりを持ってウジウジする?
答えはノーしかない。。

イヤな事、辛かった事が、変われるキッカケをくれたりする。
中途半端に逃げなければ、チャンスはある!

この映画は町の映画館でしか上映されてないらしいの。
女性にも男性にも観てもらいたい!オトナの映画です。


◆落ちこぼれ見聞録編♪◆


この映画で、ヘンなこと思い出した!

マンハッタンのカフェでの殺伐とした対応の店員。
注文したジンジャエールを叩きつけるように渡す。
シャシが号泣するのも分らなくはない。
文化の違いだろうか?
「おもてなし」の言葉はゼロだった。。

それとは真逆の店がマンハッタンにあった。
有名なサンドイッチの店で、ワタシが日本人だと思いきや、、
店主が「アラシぃ アラスィ シッテル♪」と記念写真を見せてくれ、
ワタシのIPhonで<サンドイッチとワタシ>の写真まで撮ってくれた。
とどめに「うちのケーキは最高!」と明るくノタマうため、ケーキを注文。

とても日本人には食べれない味のケーキをニコニコしながら、
「デリシャス♪」と言いながら無理やり口に運ぶ。
自分が骨の髄まで日本人なのを思い知ったケーキだった。

いろんなカルチャーショックに、これがニューヨークなんだ…
思わず出た日本語だった。。


最終日のケネディー空港に向かう途中だった。
JTBの方と松井秀喜さんの話で盛り上がってた時、
運転する彼の言葉が止まった。
「ハリケーンが来そうですよ!
今からの便ならギリギリ免れますよ。
私はお送りしたら、すぐ自宅に帰りますよ。」

↓全てにおいてスケールも文化も違ったニューヨーク。
もっといたかったなぁ~としんみりした機内。

成田に着いたら天国だった。
どこでもトイレ&ウォシュレット、どこでも飲めるタダの水。
ワザとクシャクシャにしたアメリカドル札。。
使ったらイヤな顔される20ドル札もバイバイ。
福澤さんも樋口さんも野口クンも財布に入ると、
一生、日本で暮らしたい!そんなことを思った二年前だった。




**帯表紙**

夜8時、ハーレムのジャズバー。
次々と仕事帰りに来るハーレムの住人たち。
晩ごはんとお酒とジャズを愉しみに来る。

日本人の男性は寝てましたけど・・・

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国境 ああ野麦峠。。。 さらばニューヨーク♪

2012-11-05 19:54:31 | NY編


長~いNY編でした。
毎日の珍道中ゆえに、思い出深いものになったことは確か。
その中で一番長~ぃ一日になったのがナイアガラの滝だった。

◆世界一のナイアガラの滝◆

NYにいるのだから、ちょっと足を延ばしカナダのナイアガラの滝を見たい。
で、行く事に決めた。
JTBの説明では、何故か一日の行程が長い。
余程、遠いのだろうと軽く思っていた。
その時不思議な説明を受けたが、JTBの方は「稀ですけどね」
と言って「大抵は大丈夫ですけども。。。」と締めくくった。

朝8時にホテルロビーに集合、ケネディ空港からバファロー空港へ。
そこからバスでスルって国境を超え、ナイアガラの滝へ順調に行き観光。
そしてホテルでランチ。
ナイアガラの滝がホテルから見え、カナダが誇る貴重なアイスワインを注文。
あまりの甘さに驚いた。
白ワインにたっぷり蜂蜜が入ったお味ですかね。
多分、一生飲まなくてもいいかなぁ。
これで一杯1600円。
た、高い!

夏休みという事もあり、世界中の家族連れ・ハネムーン・一人旅で
ナイアガラは溢れていた。
遊覧船での観光だったため、全身青いビニールカッパ着用。
乗船までは1時間半ほど待った。
船着き場の長い列には乗船の直前に着用するようアナウンスがある。
しかし世界各国から来てる観光客は大半の人は聞きやしない(笑)
夏の炎天下でビニール袋を着た集団は、見る見る内に玉のような汗で
ビニールの内側はびっしょり。
せっかち集団は待ち時間長さに汗でぐったり。
ワタシは乗船してからピンクの麦わら帽子の上からすっぽり。
ピンクの3頭身ドラえもん♪
見知らぬ外国人の方に受け、爆笑ものでした。

ようやく乗船、アメリカ側の滝とカナダ側の滝巡りがコレ↓
ナイアガラの滝は年30センチづつ山を侵食し大きくなっている。
巨大で美しく、感動するかと思いましたが、やはり滝は滝でしたの。。。
ははは

◆国境 ああ野麦峠◆

帰路のカナダからアメリカへの入国が大変だった。
順調に国境まで来た時に、バスの出入り口にロックされた。
今から呼び出されるまで、バスから降りる事は出来ないと言う。
そこから2時間以上缶詰め状態で、トイレも行けず。
バスには50人の日本人観光客。
後続のバスにも別のツアーの日本人観光客が。
だがワタシ達が国境を出る時には飛行機の離陸まであと20分を切っていた。

ワタシ達のバスが国境を出る時、後続のバスから大きなどよめきが起きた。
なぜか次の順番の彼等はバスから降りれなかった。
それはNY行きの最終便に乗れない事を意味していた。
そう、バッファローで一泊する事になるのだ。
JTBの不思議な説明は
「最終便に乗れなかった場合の宿泊をつけますか?」
と、当たり前のように言われたものだった。
島国の日本では陸続きの国境を越える事の大変さは分らない。
こちらが一泊する事になっても関係ないのが国境。
この時に初めて「国境を越える」意味が分った。

ワタシ達のバスもすでに危なく、旅行代理店の方の説明では
搭乗口に乗客がいないと出発時間を待たず、離陸する場合があるというのだ。
空港に着いた時は、離陸5分前。
観光客で手分けして航空券の名前を呼び配布。
3番目に貰えたワタシが猛ダッシュで手荷物検査から搭乗口へ。
一番手で搭乗口に着いた時、ワタシは手に靴を持ち裸足。
かろうじて最終便に乗ってNYに戻れた。

深夜12時半にホテルに着きお腹はペコペコ、うろうろするには怖い。
そこで晩ご飯を屋台飯で。
マンハッタンで有名な屋台HALAL。
イスラム教徒が食べる料理でラム&チキンが乗ってる辛いご飯。
食べた事のない味ですが、ほんとに美味しかったです。
女性は食べきれない量ですが完食!
これで信じられない6ドルです。


◆ミニインタビュー◆
NYを案内してくれた日本人ガイドの方達が必ず
「何でも訊いて下さい」と仰る。
それはNYに関してである。
でも、不躾だと思いながら訊いた。
「なんでNYに居たいと思ったのか?」

一人の女性は居住20年。
「NYは全てがあり、常に動いてて早い。自分はその中に居たい。NYにハマった」

ハーレムのガイドの彼は居住15年。
「仕事があったから、でもNYは観光する所で住む所ではない」
ワタシが最後に車から降りる時に
「ちゃんとした事答えなくて、すいません」と言った。

こちらこそ変てこな事を不躾に訊く輩である。
だが、彼等はNYに魅せられ住み続けている。
短い旅だったが、魅せられる理由が分る気がした。
このお二人の言う言葉が凝縮していた。

楽しかったNY。驚いたNY。もっと知りたいNY。
さらばNY!また逢う日まで。。。
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ニューヨーカーはビーチサンダルがお好き♪恐るべし!メトロポリタン美術館

2012-10-29 15:23:16 | NY編


あのぉ~~~言いづらいのですが、NY編です。
面白かった事が多すぎて、やっぱり書きたい!
うちの左大臣(仮名;旦那さま)には、飽きた!やめろ!
と言われとりますが。
中途半端で終わるのは勿体ない。
最後までノンフィクション珍道中ストーリーを続行しますよん。
では♪

◆ニューヨーカーはビーチサンダルがお好き♪◆

帯表紙の女性と後ろの男性、ビーチサンダル履いてます。
そうなの。
最初にマンハッタンを歩いてて驚いた事はコレ。
通勤のニューヨーカー達、特に女性の大半がビーチサンダル。
皆この格好なの。。。憧れのニューヨーカー達がねぇ。
5月の下旬の辺りから初夏の日差しが出てくると、コートとブーツを
脱ぎ棄て、肌露出MAXの華やかなサンドレスと
別世界のちんけなビーチサンダルのコラボ。
これはコラボ?とは程遠いセンスだ。

なんでこんなにビーチサンダルが愛されてるのか?
好奇心で目が釘付け。
普通の安物の人もいれば、なんとブランド物のビーチサンダルの人も。
そしてオフィスの前辺りで、おもむろにピンヒールのパンプスに履き換える。
でもこれは割に少数で、職種によってはそのままの人も多かった。
もはやビーサンはニューヨークでは市民権を得ているのだ。
通勤時に楽で鞄にすっぽり入るのと道路の凸凹がピンヒ―ルでは
歩きづらい。というのが一番の理由らしい。

大半の観光客の老いも若きも、ワォーキングシューズを脱ぎ棄て
途中からマンハッタン中をビーサンで闊歩する。
ワタシはと言えば、エナメルの黒の6センチのヒールサンダルで通しました。
普段サルサシューズ履いての練習の賜物ですかねぇ。
ワタシにとってビーサン文化だけは無理だった。。。

◆恐るべし!世界一のメトロポリタン美術館◆


何が凄かったか。って、激寒なクーラーの効き方なのだ。
巨大な館内全てキンキンにかき氷のように寒い。
アジア圏の人達はあまりの寒さに震えていたくらい。
かと思えば、南米系の方達はタンクトップにショートパンツ&ビーサン。
彼等は全く平気のへの字。
地球のあっちとこっちの体感温度の違いに苦笑。
館内は国宝級の絵画、彫刻、屏風、陶器、家具、神殿、石棺などが
あるためだろうか、湿度と高い気温は許されないのだろう。

寄贈され展示されてる物を見ると、美術館の希望額25ドル払っても、
まだ足りない位の価値だと思う。
実はワタシはメトロポリタン美術館を国立か州立だと思っていた。
私立の美術館で、入館料と寄付で賄っている。
アメリカの名士達からの基金とコレクターからの寄贈で成り立ってる美術館。
美術館の希望額以下でも以上でもいいわけで。
25ドル払えない人でも、最高の芸術を観れるシステムなのだ。
そういう意味では、アメリカという所は努力する全ての人に門戸が開かれ、
チャンスがある所なんだと実感。

◆インディ―ジョーンズか!?◆

この館内で一番驚いたのはエジプトからのお墓丸ごと、神殿の巨大柱乱立、
スフィンクスの小型版などにたまげた。
どう考えてもバチあたりで、しかもそんぐり現存している。
あながちインディ―ジョーンズの世界は嘘っぱちの世界じゃあない。
こんな巨大な遺跡を何百日もかけてアメリカまで運んできた。
不謹慎だが途方もない巨額のお金がつぎ込まれているのだ。

ニューヨークに行かれたら是非ともメトロポリタン美術館に行って下され。
ほんとに素晴らしいですぞ!

なんて言いながら、ワタシはあの寒さに何度も挫け屋上やカフェで暖をとった。
寒さにやさぐれて美術館の屋上からとった風景がコレ↓
こんもりとした森がセントラルパークです。
大きなリスが走ってて可愛かった。
リスと遊びたかったなぁ~(T_T)/~~~ 

コバルトブルーの空を仰ぎながら「また来たい。。。」と心の底から思った。

      つづく      えっ?

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フーテンのぼんくら。。。in NY

2012-10-22 17:11:17 | NY編


NY編、多分最終章の第7話。
今回はサルサとは全く関係のないワタシの歩き回った話。
写真多めです。
帯表紙はケネディ空港到着からマンハッタンを一望出来る場所へ直行。
そこで自分で撮影したもの。
第一印象は「カッコいい!!!大人っぽい♪」
実は13時間のフライトでかなり具合悪く、吐きそう。
この風景を見た瞬間、現地のJTBの方に抱きついた。
嬉しくてね。

◆2001年9.11 同時多発テロ ワールドトレードセンター◆
午前8時46分と午前10時28分に起きたテロによる大惨事のその後。
奥に見えるビルが建設中のWTC。
本来はツインビルだったが、この1棟になるという。
2012年秋に完成予定が未だ出来ず。
セントラルパークにはビルのシンボルだった焼け焦げたオブジェが展示。
そのあたりから撮影したもの。
もう既に12年経過、テロの爪痕はまだ終わってない。


◆私を野球に連れてって!ヤンキーズスタジアム◆

またもやお決まりの行き当たりばったり。
当日の朝行くことを決め、ヤンキーズのクラブハウスへ。
驚いたのは券が高い!
最初のクラブハウスでは1万4千円しかなく、他のクラブハウスへ。
3件目で4千円の外野席が手に入った。
そして地下鉄に乗り、憧れのヤンキーズスタジアムへ。
この日は気温30℃で内野席は、ほぼ灼熱の甲羅干し状態。

ワタシの外野席はイチローの真後ろ♪
一番後ろの背中がイチローさんです(*^^)v
しかも屋根付き、背中には売店だ。
ビール飲み放題。
視界には5センチのイチロー!

ショーマンシップに溢れたアメリカ大リーグの野球だ。
暑くてビールを飲みすぎて炎天下で爆睡中の太った紳士を
すかさずカメラが何度もズームイン。
周りにいた観客も何度も爆睡中の紳士を取り囲み、みんなでピース。
スタジアム中、大爆笑。
なんともお茶目なアメリカ人だ。

よくよく観客を見ると、3世代で来てるファミリーなど家族で観戦。
小さな子どもが蟻んこみたいにいたのも驚いた。
ちょうど学校が新年度に入る前と連休で巨大スタジアムは満席だった。

そしてイチローはNYでも超有名人なのに驚いた。
だが一番驚いた事は松井秀喜という大リーガーがニューヨーカーに
深く感謝というか、敬意を払われていた事だった。
それは2001年9月11日の同時多発テロからの復興に、
松井秀喜という日本人がNYに来た事で経済効果は
計り知れないものだったという。
だからか誰に聞いても「松井秀喜」と言うだけで、
マツイを見た事ある!
とか
マツイは何処何処に住んでる。
など、親切に教えてくれたりする。
凄いんですよ。
日本に帰らないで、アメリカでがんばれ松井秀喜!

そして楽しかった観戦が終わり、スタジアムにフランク・シナトラの曲
「NewYork NewYork」がかかり、老いも若きも歌いながら
スタジアムを出ていく。
野球を観る愉しみって、こういう感じなのかな。

スタジアムの出口では売れ残ったアイスを配っていて、一人2~3個貰い
みんな食べてましたよ。
ちょっと大盤振る舞い(笑)

後日のハーレムのガイドの方に聞いた所、ヤンキーズスタジアムの場所は
治安が悪く、タクシーは絶対に行かない地域。
試合のある時に地下鉄が行くようになっていて、普通の日は通過する駅。
見た風景は荒涼としてたが、全く危機意識を持たなかった。
日本は平和ボケしてるんだろうなぁ。。。

でもアメリカで活躍して、尊敬されてる日本人が「松井秀喜」
なぜかその話が出る度に、嬉しかったの。
張り切ってスタジアム行く前に、こんな帽子を買って行きました。


今回はこれまで。また次回。。。オイオイ
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嘘っぱちからの脱却 NYサルサコングレス

2012-10-15 15:13:17 | NY編


NYサルサコングレスの第5話。
1話で終わるはずが、こんなに長くなった。
書いている自分ですら驚く。

まさか自分がNYに行くことすら考えてもなかったしね。
ちょっと寄り道するけど。。。いい?
行くきっかけはひとつの恒例の行事?だった。

◆嘘っぱちからの脱却◆
今年の元旦、左大臣(自称;旦那さま)がワタシに恒例の質問をした。
「今年はどこか行きたい所ある?」
ワタシは間髪入れず、言い切った。
「ニューヨーク」
左大臣
「。。?。。。!?ニューヨーク!」
困惑を隠しきれない左大臣。

実は我が家の諸事情と左大臣の会社での立場を考慮すると、
ワタシが旅行に行ける時間などあるはずがなかった。
実際は何処にも行けてないのだ。
だから毎年の元旦は「大阪かな♪」とか言って、嘘をつく事が元旦行事。
ワタシの強烈な一言で、恒例の嘘っぱち大会はそこでチーーーン!撤収。
だが、ワタシはとうとう生まれて初めて本音を言った。
「ニューヨーク」ってさ。
口をついて出た言葉のきっかけは、3年間頭の片隅にあった
「ある先生の言葉」だった。

◆サルサは世界中の人と踊れる。。。◆
3年前サルサのペアーダンスを習い始めようと、ある男性の先生についた。
サルサの要のベーシックステップの体重移動を出来るまでは、先に進まない。
カタツムリの行進のようなレッスン。
その先生がいつも口癖のように言っていた。
「体重移動の出来るベーシックステップを毎日家で練習しなさい。
 それが出来るようになれば、世界中の人と踊れるようになるよ。
 NYには世界中の人と踊れるフェスティバルがあって、
 世界中の素晴らしい踊りを踊る人達と踊れるよ。」

現に、その先生はON1.ON2・キューバン・コロンビアスタイルと
全て踊れ、どんなお国の人達とも臆せず踊った。
それはワタシにとって夢であり、憧れだった。
サルサのペアダンスを習ってからの目標でもあった。
でもほとんど諦めていたのも事実だ。

それがワタシの思わぬ嘘っぱち脱却から数カ月後、急展開。
NYに行き、世界中のON2の人と踊れる事に(汗)
そう、清水の舞台から飛び降りた。いや、落ちた。。。

◆忘れない。。。絶対◆
メインフロアーでは何百人もの人達が踊っている。
だがメインではない豪華な絨毯ではプロのダンサーが色んな人達と踊り始め、
景色もダンサーが放つオーラも万華鏡のようにくるくる変わった。

ヒール9センチのサルサシューズで華麗に踊るダンサー。
女性のダンサーは殆ど肉感的で分厚いが、軽やかに踊る。
色んな女性ダンサーが観客と次々踊る。
その中で突然ワタシの目の前に大きな円陣が出来た。
彼女はとても小柄で豊かな黒髪に大きな黒目に褐色の肌、
BAILA SocietyのAhtoy(アトイ)さんだった。

何重の円が出来、ワタシの1メートル先で彼女が3人の男性とシャッフルで踊り始めた。
男性陣は3人とも流石に上手く、華やかな動きを見せつけた。
一人の南米系の男性が派手ばでしい動きで、スペースを存分に使っている。
ワタシが見てもかなり力強いテンション。
大抵の女性はついていけない強さとダイナミックな動き。
アトイさんの足は着実に絨毯を捉えて離れる事はなかった。
彼女のベーシックステップは美しくパーフェクト。
上半身がしっかりと足の体重移動に連動していた。
固唾を飲んで見入った。

今も目に焼き付いている風景は、絶対に忘れる事はない。
無茶苦茶な決断と勢いできた事に感無量だった。
あのカタツムリの行進から、NYコングレスの会場で踊って、見て、
そして学べた。
3年前のあの先生の言葉の通りのアトイさんのベーシックステップ。
ペアダンスの全てはベーシックステップにかかっている。

短いNY旅行から、1カ月半経った今。
ハーブを使って、こんなもん作った。
NYサルサコングレスのリストバンド。
サルサに懲りない、大切な大切なワタシの一生の想い出に。

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