十和田自然農園

鹿角またぎ自分史 …75年生の足跡~エンディング録です

コモッセ・サポーター日記

2015年12月20日 23時40分01秒 | 日記・エッセイ・コラム


 2015年 68歳の晩秋、 《 文化の杜交流館 コモッセ 》 のサポーターを志願しました。


     
        文化の杜「コモッセ」 歩行者入口                    文化祭 10/23~10/25 生け花展

 
 今年4月にオープンした「コモッセ」には何の愛着も関心もなかった私でしたが…
 心が変わった大きな理由は二つあります。 一つは…やはり、10月のイベント〔 HANAWA音楽まつり 〕に出演したことで最後の演劇を見てしまい、全く気にも留めていなかった「サポーターの存在&活躍」を目の当たりにし、衝撃を受けたこと


    
             ルンバのエンディング                     たんぽ小町ちゃんと初ショット!
 

 もう一つは、演技が終わりホールからエントランス(こもれび広場)に出て来たところ、踊りは思った以上に好評だったようで…ホールに入れずディスプレイで見ていたお客さんからも、わざわざ私の後に付いて来た若い女性からも “素晴らしかった”と褒めてもらい、その後もコモッセ内を歩くと、同級生のお姉さんには “手足が長くてプロみたいな踊り” だったと言われるし、私のチケット(招待券3枚)を上げた自治会のサークル会員も興奮さめやらぬ様子で “とても良かった” 見に来た甲斐があったと、喜んで話してくれ…1組だけでも出て良かったなぁ~とホッとしました。

 私もあまりに嬉しくて、みんなで一緒にランチを食べ「踊りの話」に花が咲きました。 食事の後、ホールに戻る時…料理室の前で食事して居た4~5人の見ず知らずの女性達から突然!声をかけられました。 どうやら、パートナーを知ってる人達らしく、大館市の社交ダンスサークルの方でした。 サークル名も言わず、“大館にも来てください!” と言ってましたが、本気かどうかはあやふやな感じでした。

 さらに極めつけは… 忙しく通りすぎたサポーターさんのような女性に、サラッと “ 素敵でしたよ! ” と声をかけられ、このお言葉  がグラっと、気持を動かしたのは間違いありません! この時点で 《 憧れのサポーターさん 》 に思えたのも事実です。
 まあ…当日であり皆さん高揚している真っ最中でしたから、奮発して褒めてくれてるとは思いますが、話半分としても、もしかしたらダンスサークルとしてもやっていけるのでは?との実感というか、少し自信が芽生えたことも大きな要因です。
 


 上野自治会の社交ダンス『鹿角りんご』サークルとして出場しましたけど、こんなにも皆さんの反響があるのなら、これからは念願でもある「市民サークル」にステップアップし、コモッセを拠点とする「サークル活動」を展開してみようと考えたのです。

 そして、自治会長の決済をいただいた12月7日(月)、社交ダンス「鹿角りんご」サークルとして、花輪市民センターへ『サークル等調査表』を提出(サークル登録)しました。


 この先は寝ても覚めてもコモッセから離れられない運命になりそうなので…コモッセの実状を知る近道は、コモッセサポーターになるしかないと判断し、12月9日(水)【 コモッセサポーター登録申請書 】を提出、受理されたのでした。


 そして、いよいよ コモッセサポーターの初陣は…12月20日(日)に開催されるサポーター企画イベント【 こもれび広場Vol.2 】に決まり 、ついにその日がやってきました。 朝9時集合ですから、15分前に コモッセへ到着

 今日は何をどのようにどんなことをするのだろうか? 取りあえず、お客様応対がありそうなので服装はワイシャツ&ネクタイ姿で参上したが…サポーターチーフからは開口一番、“ラフでいいのに!” の一言で、一発目のカウンターが入り不安メーターが上昇…好奇心は下降線へ 不安と好奇心が入り乱れながらも、必要物品&機器類を運び出し、定位置に配置する作業の末、このようなライブ会場に早変わり… まずは、記念に1枚   チーフの言う通り、今日の役目は時間と体力勝負だと分かった! こんなこともあろうかと車には、ウインドブレーカーと滑り止め軍手を積んできたのだ。


  
           ここまで舞台や楽器・音響設備を整えるのに 約1時間半 


 その後、マリンバ&ビブラフォン、ピアノの演奏者が登場し…音合わせとリハーサルを開始、演奏に合わせ音響設備も設定&調整に入った。 11時になったので、サポーターは控室で休憩、コーヒータイム! 11時半過ぎには、年配者の方達が少しずつ集まり始めました。

 サポーターには12時半まで食事休憩が出たので、一旦帰宅し昼食後、コモッセへ戻ると駐車場の車が増えていた。 コモッセ内に入ると、すでに準備した椅子は満席状態になっている。 開演13時に向け、ドンドン入場者が増える一方なので、次から次と椅子を追加設置したが、避難通路を確保するスペースを残して「椅子を制限するよう」指示が出たので、そこで止めた。 

 あれこれお客様対応をしているうち…13時!開演となりすでに、歌の先生が「旧文部省唱歌」のような曲を歌っている。
 
  
     (写真承認済)  

 20分ほど経つと客足は止まった。 が、陣取った最後方(写真撮影位置)から左側の階段を見ると…長靴履いて、登り下りして遊ぶ小児が数人いる。 階段脇を見ると、エレベータのボタンを飛び上がって押して遊ぶ幼児もいる。 目放しならぬ危険だらけだ

 即座に、階段とエレベータの保守エリアへ移動し…【兎や熊の巻き狩り】で鍛えた「サーチ」を駆使して場内監視を行って間もなく、今度は老人ホームか介護施設のマイクロバスが入口越しに見えた。  もう後方にはスペースがない! 介護士のような女性が私に気付き目が合って真っすぐ向かって来る。 覚悟を決め “何人ですか?” と伺ったら…7人!その内、車椅子が2台との事。 私の手には負えないので、直ぐさま上司に【報連相】…階段とステージの空いたスペースに席を作る許可を貰い、椅子を5個運んだ。 車椅子の間隔も開け、何とか 7席分造った。 介護士さんと一緒に、まず5人のお婆さんを連れてきて席に着いていただき、その後、車椅子も2台到着し…歌の先生も笑顔で歌い続けてくれてたので、静かに何事もなく上手くいった。 7人全員女性でした。 


 座っている方は、ほとんど高齢の女性である。 女性100人対男性は6~7人しか見えない。 高齢男性は興味が薄いのか?生存率が低いのか?友達がいないのか?耳が聞こえなくなっているのか? 自分も少し先は…他人事ではないので気になった。

 まずは今を大事に生きよう!それしかない 今日はお客様に喜んでもらい、元気に帰っていただくのが私の務めなので…

 歌の次は…マリンバと ピアノの演奏だ。 心地よい音色が広場に響き渡り、爽快な気分になる。 直ぐ目の前で演奏するさまは、正に奏者も含めて芸術 会場の雰囲気 から… おそらく年配の方達は、人生初  の信じられない光景を見ているんだろうな?と感じました。 


 1部の3番手は、末広小学校のハンドベルと合唱である! 研修室で何回も練習してたけど、なんとか成功して欲しいなぁ~!
 プログラムでは、14時になったら舞台正面の楽器や譜面台等を、サポーター全員で寄せなければならない力仕事が待っているのだ!

 14時になったので、楽器を一旦寄せて、ハンドベルを置くテーブルを並べると…末広小学校の生徒さんが服装を揃えて登場し、大小たくさんのハンドベルを机に並べた。 間もなく…ハンドベルの物悲しい繊細な音色が広場に響きわたると、雰囲気がガラリと Xmasモード  に変わりました。
 続いて、檀上に上がっての合唱を披露してくれ、ピアノと指揮と合唱が見事に調和し、小学生とは思えぬ素晴らしいハーモニーは見事である。
 柔らかい小さな声が重なると、また可愛いものですねぇ。  子供達は先生の指揮を信じて…精一杯の声に集中している! 昔の我が子を思い出し、思わず涙ぐんでしまったが…ちょうど凄い「アンコール」の声が飛び交い、それに乗じて手を叩きながら涙も拭けた。 アンコールの “こだま” を浴びて子供達も嬉しさと、さらに自信が蘇ったのか、2
曲目は思う存分の実力を発揮… 音色のように綺麗なハーモニーが飛んできました。

 指揮者のアームを指先まで見ていたので、アームの動きと合唱が “ぴたり” と一致しているのが良く分かりました。 
う~ん!指揮者の才能は「一芸に秀でている」… 只者ではないなぁ~


      (写真承認済)   

 それにしても、ピアノと指揮は抜群に上手かったです! この子達は、指揮者の才能で育てられた子供達なんですね~!
 一朝一夕では出来ない技(芸術)であることは確かで… 小学校のポリシー&伝統の継承で培い、こんなレベルにまで到達したものと
しか考えられません!  校風を確立し続けた… 偉大な指導者の尽力のたまものですね

 末広小学校の子供達は、本当に好い先生に恵まれて幸せです。 どんな先生なのかな? ファンになりそう!


 さて、次はいよいよサポータ2名による 「紙芝居」 の出番だ!さすがは「影アナ役」もこなすだけあって丁寧な朗読である。練習の成果が出たかな…

       (写真承認済)
 前列のおばあちゃんは、紙芝居を聞きながら睡魔に誘われ「お昼寝」に入っている。  
  
 
 紙芝居の後は、2回目の楽器コラボ演奏だ!

 マリンバ奏者とピアノ奏者が必死の集中力を駆使して演奏してくれ … マリンバ独特なホワンと厚みのある 音色と
迫力が胸に響き渡り、会場全体が酔いしれていました。


 “ トリ ”は 、歌の先生による 「クリスマス曲 メドレー 」で幕を閉じ … イベントは無事、終了することができました。

    (写真承認済)

 いや~それにしても あの“ 楽しいペチカ ”の曲では “ペチカ~~”の高音地声で発声するなんて、鳥肌が立ましたね!

    
 コモッセサポーター初のお努めは…8年前(東京)までの、お得意先周り&お客様応対を思い出させる体験でした。


  追記、2015師走のつぶやき…
     本日着用の上着(濃紺)は、 某公社に入社した 昭和41年(1966年)に、母が買ってくれた 《入社記念》 の上着です。
   どんな出で立ちにしようかと悩みながら、30年ぶりぐらいに押入れ上段クローゼットの背広を物色していたら、3枚重ね
   ブレザーの一番下から出てきました。 “そうだ今日は初陣なので、これを着て行こう!” と、一発で決まりました。
   2008年退職以降、久々の公務なので、もちろん仏壇の母にも “50年ぶりにまた着てみます!” と報告して…。

   「コモッセ」がなかったら、死ぬまで着る機会が無かったかも知れませんね!【人生運命カレンダー】って、本当に決まっている
   ように思えてきました。 結婚する女性は、20代前半に《同級生と一緒に歩いていた黄色のワンピースの女性》であると知り
   10年後に会社の玄関でバッタリ出会い、本当に結婚することに、それほど様々な、何十年も先の出来事が自分達の事・世の
   中の事とも、よく当たっているからです。

   今年はかろうじて生き残りそうですが、どうも私の人生は68歳の年で終わるか? 又は急激に生命力が衰えることになって
   いるターニングポイント?の時節らしい。 確かに幼少期から「」的な事象は何度もありました。
   「夢まくら」ではないですが、なぜ事象の夢を見たり危険が迫る直前に、頭の中で誰かが叫ぶのか。それが、守護霊なのか?
   ご先祖様なのか?亡き母なのか?他の霊感者なのか?他の天体生物なのか?は全く分かりませんが… いずれ誰かがテレ
   パシーのようなものである日突然!教えてくると言うか分かることが続いていました。
   68歳厄年のことは、ずっと若い頃から…【最悪の魔物  がやって来る!】極めて危ない年であるとのことなのです。    


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