囲碁とロック

好きなことについて

マニアフェスタに出たら、囲碁教室が生まれた話

2020-07-31 15:40:31 | 日記

どうも、囲碁アートの関です。

 

普段、囲碁の先生などをしています。

いくつかの場所で入門教室(ですが実力問わずすべての人対象)をさせていただいていますが、その中で平井の本棚さん2Fでの教室。

なんとマニアフェスタがきっかけとなって生まれたものなんです。

奇数の水曜、19時半からワイワイやってます。

 

あれは第2回のマニアフェスタ。2019年の2月、秋葉原での初開催のときですね。

店主の方がブースに来てくださり、

 

「うちで教室やりませんか!?」

 

いきなり!!!?1?!?

 

というのはだいぶ誇張しているわけですが

お話しするうちに、本屋さんの2Fで囲碁教室できる人をちょうど探していた、ということになりました。

予想外のダイレクトアタックに驚きながらも、大変ありがたいことです。

「こんな面白い展開はない!!」と思ったので、関わらせていただくことに・・・!

 

(平井駅のホームからも見えます)

 

新刊も古書も扱う本屋さん(本棚、ということ)なのですが

その2Fでは、いろいろなジャンルのマニア心をくすぐるイベントがたくさん

 

平井の本棚 トークイベント 2019年5月29日 『世界の把握の仕方 〜地理の目x囲碁の目』 ダイジェスト

 

地理人さんと囲碁でコラボしたり。

さまざまなマニアさんの合流点?梁山泊?

かなりの珍スポットの一つなのではないかと思います!

 

 

 

2周年おめでとうございます!

 

平井は人情にあふれる街

これからもいろいろな繋がりが生まれていきそうです。

 


引き分けが、引き分けじゃないゲーム。

2020-07-28 19:54:35 | 日記

どうも、囲碁アートの関です!!

 

前々回、「コミ」についてのお話でした。

白の陣地を6.5目、プラスする。

勝負を互角にして、引き分けをなくして、しっかり勝ち負けがつくようにしたものです。

なくてはならないもの、のような感じがしますね。

 

しかし、これが公式戦で導入されたのは昭和の初めごろでした。

いまも行われている「本因坊戦」の初回、1939年~1941年。

そのあたりから、だんだんと採用され始めてきたようです。

 

ということは・・・一般的になってわずか「80年」?

何千年といわれる囲碁の歴史のなかでは、だいぶ最近のことみたいです。

 

じゃあ、その前はどうなってたんだ・・・

勝負、成り立つんでしょうか。

 

そこには、囲碁の「勝ち負けじゃなさ」がぎっしり詰まっていたのです。

 

 

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コミが導入される前。代表的なのは江戸時代の囲碁界です。

囲碁は、

「黒番が有利」

「引き分けがある」

ものでした。とはいっても、

黒が有利だと気付いていなかったから、ではありません。

昔の人もちゃんと黒番有利を知っていました。

 

そのうえで、表面の勝ち負けだけではない、

明らかに「ゲーム」であることを超えた

「棋道」としての見方があったのでした・・・。

 

たとえば、

1841年 黒:本因坊秀和 対 白:伊藤松和 の一戦

 

黒の秀和(しゅうわ)は歴代でも最強クラスの人で、当時の覇者のひとり。

伊藤松和(しょうわ)のほうが年長で、ベテランの立ち位置でした。

この一局は松和の「一生の傑作」といわれていて、「名人クラスの碁を打った」(意訳)と評されました。

不利な白番を持った松和、超がんばります

▲の二手が有名で、普通の発想では思いつかないやつ。やばい 神

 

一生の傑作です。人生でもこれ以上はないような、一番力を出し切った碁です。

さて、結果は・・・?

 

持碁。

 

引き分けでした。

勝ってないんですよね。

でも、その結果も含めて「一生の傑作」です。

 

当時の価値観をざっくりと書いてみると

黒→有利だから、最後までリードを守って勝ち切る。堅実。

白→不利だから、なんとか頑張って逆転を目指す。積極的。

が一般的です(人によりますが)

黒と白で、やることが全然違うんです。

 

なので、黒が勝つのは当たり前。

どんな内容で、どのくらいの差で決着するか?

というところに、表面の勝ち負けとは別の価値が置かれていたようなのです。

 

これも、だいたいですが

黒3目以上勝ち・・・黒が頑張った。勝ちといってよい。

黒2目勝ち・・・お互い頑張った。

黒1目勝ち・・・黒が相当追い詰められた。白も褒められるべき

引き分け(持碁)・・・白すごい。大成功

白勝ち・・・はっきり白の人のほうが強い

 

みたいになります。

 

今回の松和の「持碁」は、

「あの最強の本因坊秀和に白を持ったにもかかわらず、黒の有利な分を帳消しにして引き分けた。内容も素晴らしい。」

という点で評価されていると思います。

 

他の強豪の中には、結果は負けなのに最高の出来とされたもの もあるくらいです。

 

 

なんなんでしょうね、囲碁って・・・勝負って・・・笑

 

トーナメント戦がなく、棋士の数も少なかったので

一発でキッカリ白黒をつける必要が、今よりも薄かったわけです。

それよりも、何より最優先だったのが「技を競ってぶつけあうこと」。

別にコミがなくても、それはできていたのでした。

 

「囲碁」とひとくちに言っても、こんなに理路整然と成り立っているように見えても、

文化が違えばまったく異質なものになるわけですね。

 

10年後、100年後にさらに面白くなっているように

私なりにいろいろやっていこうと思います。


囲碁アートは「ドット絵」なのだろうか。

2020-07-22 22:56:03 | 日記

囲碁アートマニアの関です!!

 

先日20日、NHKのEテレ「沼にハマってきいてみた」という番組に生出演させていただきました。

(見逃し配信もありますので、日曜までならご覧になれます!)

 

囲碁の特集・・・ではなく、「ドット絵」の特集です。

 

トップランナーといえる方から、トリッキーな作風の方まで。

ドット絵文化を広く取り入れた特集をされていました。

その中の一つとして、うれしいことに、私の作品も扱っていただけることに。

お話をいただいた瞬間は(え、私なんかが・・・)という感じでした。今もちょっと思っています笑

囲碁アートをドット絵として見てもらうのが初めてだったのです。

 

せっかくなので、

囲碁アートはドット絵なのだろうか?

という、この一か月の私の中の迷いを書きたいと思います。

 

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まず、ドット絵の定義を探してみたのですが・・・

「明確な定義はない」

「あなたがドット絵だと思うものがドット絵」

おおむね、このような感じのようです。

 

(同じく出演されていたAPO+さんにも、そのように言っていただけました。報われた気持ち)

 

あ、じゃあ囲碁アートもドット絵でええやん

ということになりますが、せっかくなのでもうちょっと掘ってみて

一般的に「ドット絵」と思われるものと囲碁アートを、いくつかの点で比較してみます。

 

 

・そもそもの形態

 

ドット絵は、最小のマス目(ドット)の集合体で作られる絵のこと。

それ以上小さくしたり、分割したりできない。それでいて目に見えるもので作られています。

 

ここは囲碁アートも全く同じと言えそうです。

囲碁の最小単位は黒白の碁石。そして何もない場所である、線と線が交わった碁盤の一点。

 

 

・制約のある中で作られた歴史

 

ドット絵と聞いてすぐに思い浮かべるのは、ファミコンやゲームボーイなどのグラフィックです。

限りある容量の中で、大きさ・色数の制約の中で、いかに豊かに表現するか・・・

というのがドット絵のルーツとなっているようです。

 

その点、私の囲碁アートにも思うところがあります。

ええ、制約だらけです笑

 

広さの面では、最近のはけっこうデカいですが・・・

初期のころは

 

(ソフトクリーム 13×13 コミ6目「半」なので引き分けにはならない)

 

9路、13路、19路など、実際に使われている(市販されている)

人間が遊べるくらいのサイズで作っていました。

もともとは、囲碁教室で遊んだりすることを想定していたのも理由です。

 

特に19路は、普通に囲碁すると「広い」と感じられるのですが

絵を描くとなると、ものすごく狭いんですよね。

どのように収めるか、毎回苦心していました。

 

色数。黒白と碁盤の三要素しかありません。

その上、引き分けにする・・・

 

しかし、そういったところが作品の見どころにもなっているので

喜んで制約を受けているわけです。

 

 

・ならではのデザイン、というもの

 

ドット絵であることとは。

ドットを使って描いていれば全部それでいい、ともいえないはずです。

最近のゲームの美麗でなめらかなグラフィックが、相当細かく見ればドットで出来ていたとしても

写真の画像データを荒くして拡大すれば、ドットになるとしても

それを「ドット絵」と呼べるかどうか。

 

このあたりは線引きが難しいところに見えます。

 

ドットであることで良さが引き立つような表現

を追究されているところに、ピクセルアーティストの皆さんのすごさを感じます。

 

 

この点、囲碁アートは今のところ

ほぼこだわっていません。

 

(「東中野風景」 229×300)

 

離れてみると、写真みたいで碁石かどうかわからない。

もしかしたら、碁石じゃなくてもこのデザインは成り立つかもしれない。

それでもいいと思って作ったものです。

むしろ拡大したときに「碁石だ!!」ってなることを目指しています。笑

 

周囲の風景は、モデルの写真の線にかなり素直に追従しています。

そうかと思えば、猫のところだけは絵的なデフォルメをしました。

 

色々な作り方を試す段階だと思っていることと

「囲碁で互角」という最大のアイデンティティが既にあるので

形や描き方のこだわりがあまりないのだと思います。

 

なので、「ドット絵」と囲碁アートが一番違うところは

見た目

かもしれません。笑

まだ「碁石が最も引き立つデザイン」というのを確立できていない気がします。

 

 

過去作では、これが最も満足に近い。

適度に小さい(それでも31×31は普通は広いですが)ことで、碁石がどんどん主張していますし

囲碁としても、無限に動いて時計になっています。

ドット絵と囲碁がよく合わさっているかも。

 

 

今回いただいた「ドット絵」という視点。

新しい表現を見つけていきたいと思います!


【コミ】囲碁は引き分けにならないようです。

2020-07-17 14:41:14 | 囲碁アート

こんにちは、囲碁アートの関です。

 

「ここから囲碁すると引き分けになるんですよ~~」

 

ということを、囲碁アートを紹介するときに言います。

 

引き分け。

つまりいい勝負の囲碁にしていることで、

碁石で並べただけではなく、「囲碁」そのものの上に形を作っている

そこに囲碁アートの個性がありそうです。

 

これはコンパクトな「E」です。ここから囲碁できます。

 

黒から開始です。右のほうの白の陣地を小さくするように。

 

白4で終わり。もう陣地は増えないし、減りません。

 

左の×が黒の陣地。5目(もく)です。

右の▲が白の陣地。やはり5目です。

これで引き分けとなるのでした。

ほかのもろもろの作品も、大きさは違えど、こうなるように作ってあるわけですね。

 

・・・しかしそういえば

囲碁は勝負事でした。

実際のプロの勝負で「引き分け」になってしまったら、どうするのだろうか

 

って思いませんか。

 

大丈夫、なんとかなるようにしているのです。

こちらをご覧ください。

 

日本棋院のサイトから引用しました。

あるタイトル戦、五番勝負(3回勝てば優勝、タイトルを貰える)の記録です。

右側には結果が書いてあり

「黒番半目勝ち」「黒番1目勝ち」「白番半目勝ち」

など、「」という表記があります。

数字の1は陣地の差っぽいのでわかる気がしますが、半とは。

(「中押し勝ち」は、最後までいかずに「負けました」と投了する、KOみたいなもの)

 

これは「陣地0.5目ぶん」ということを指しています。

実際の碁盤の上には、「0.5」なんていう数字は出てきません。

 

コミ」というルールがありまして、

白の陣地を「6.5」プラスして計算する、というものがあるのです。

これは

・囲碁は先に打つ黒のほうが有利なので、互角にするため。

・0.5をつけることで、引き分けをなくすため。

という機能があります。

 

上のタイトル戦。最初の「黒番半目勝ち」は、本当は

碁盤の上では黒7目勝ち

になっています。例えば黒が50、白が43の場合では、黒が7目勝ちになりそうです。

ここに「コミ」を入れます。

白が6.5増えて・・・49.5に。

差は「0.5」、つまり「半目」の勝ちとなりました。ギリギリの勝利だったんですね。

 

「白番半目勝ち」に至っては、碁盤の上では黒が6目勝ち。

黒のほうが陣地が多いのに、「コミ」により白が勝ちになります。

 

これがあるおかげで、トーナメント戦がスムーズに進みます。

たまたま黒を引いた人が超有利になったりしないし、

引き分けが起きたから、後でもう一回やりなおす・・・みたいなことも(ほぼ)無くなります。

合理的。

 

 

しかしよくよく考えてみると。

実際の碁盤の上には「無い」ものについて、勝負しているときに考えている状況が出来上がっています。

0.5目の陣地を、私はこの目で見たことはありませんが

確かに、勝負の運命を握っていますし

囲碁を打つほとんどの人が、これを当然のものとして受け入れている。

 

こうなったら半目勝ち、一回ミスすれば半目負け

目の前の碁盤には引き分けがあるように見えるのに、そこにピッタリと着地できない。

 

自然界のものや、物理的な存在を超えたところにも、現実的なものを作り出すことができる

すごく人間らしい営みなんじゃないか、と思います。

囲碁の勝負をしている人は、頭の中ではメタ的な場所で争っている、というお話でした。

 

・・・が、これがしっかり定着したのは、ここ何十年かの話です。

長い囲碁の歴史。昔は引き分けがあった、でも勝負が成り立っていた

という話を次回は書きたいと思います。