ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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6府県で緊急事態宣言解除へ

2021-02-28 22:12:48 | 時事



福岡県の緊急事態宣言が、本日をもって終了することになりました。

福岡や関西などの6府県で、先行解除……

これはしかし、なかなか微妙なところで、福岡県民としても素直に宣言解除と喜ぶことができません。
新型コロナ感染者の新規確認数グラフをみると、下げ止まりの感があり、へたすれば来週か再来週ぐらいにも増加に転じるのではないかとさえ見えます。
いまの状態での先行解除は、せっかく収束しかけているところでもリバウンドを促すことになってしまうんじゃないでしょうか。

解除に前のめりになるのは、それがオリパラ開催の可否に関わるからだと指摘されますが……
そのオリパラでは、著名人ランナーの聖火リレー辞退が相次いでいます。要は、今そういうかたちで関与することがむしろイメージダウンにつながりかねないと見られているということでしょう。こんなにも祝福されないオリパラがかつてあっただろうかと思わされますが、政府の側は止めるつもりもなさそうです。というより、そもそも日本側に中止の権限はないらしいですが……
それにしても、オリパラを見据えての先行解除というのは、本末転倒でしょう。
いまこの状況でオリパラが最優先なのかということと、いま解除すれば、また感染拡大を引き起こし結局直前になってやっぱり中止というような事態を招きかねないという二重の意味において。

頼みの綱はワクチンということになるでしょうが、それがどの程度に進められるかも現段階では未知数。
ワクチン頼みの先行解除だとしたら、それはやはり、望み薄の楽観的見通しにすがりついて判断を誤り続けた旧大日本帝国の轍を踏んでいるような……

まあひとまず、来月以降の感染状況がどうなるか、注視したいと思います。



CCRの名曲を振り返る+α

2021-02-26 20:52:30 | 過去記事

CCR「雨を見たかい?」(Creedence Clearwater Revival, Have You Ever Seen the Rain?)

9月になりました。いくらか過ごしやすくなってきましたが……しかし、まだまだ暑い日が続きます。そんな暑い日々にうってつけの曲として、今回は「雨を見たかい?」という歌を紹介した......


過去記事です。

CCRの「雨を見たかい?」について書いています。

今回も、動画をリンクさせておきましょう。

Creedence Clearwater Revival - Have You Ever Seen The Rain (Official)

ふだんは「記事を投稿したときには見つけられなかった動画」ということでやってますが、この動画は、当該記事をアップした時には公開されていなかったようです。2018年に、CCRデビュー50周年を記念して制作された動画とのこと。

ついでなので、CCRの曲をいくつか。

まずは、以前ジョン・フォガティの記事でとりあげた Fortunate Son
こちらが、CCRのバージョンです。

Creedence Clearwater Revival - Fortunate Son

そして、「雨を見たかい?」と並ぶCCRの代表曲 Proud Mary
多くのアーティストにカバーされていて、かのエルヴィス・プレスリーも取り上げました。

Creedence Clearwater Revival - Proud Mary (Official Lyric Video)


最後に、おまけ。
今日2月26日はジョニー・キャッシュの誕生日ということで、だいぶ前にこのブログで紹介した、ジョニー・キャッシュの Ragged Old Flag です。

Johnny Cash - Ragged Old Flag (Official Audio)



沢田研二「勝手にしやがれ」

2021-02-23 18:01:30 | 音楽批評


今回は音楽記事です。

以前タイガースの記事で予告したとおり、今回のテーマは沢田研二さん。GSの時代から現代まで、古稀をすぎてなお活動し続ける生けるレジェンドについて書きましょう。



沢田研二。
愛称は、ジュリー。これは、本人がジュリー・アンドリュースのファンだったためで、ソロデビューアルバムのタイトルも、JULIEでした。

のっけからいきなり余談めいた話になりますが……ジュリーさんは、先日紹介した『ストーンズジェネレーション』にも登場しています。

そこに掲載されているインタビューによれば、彼は英国でミック・ジャガーにも会ったことがあるそうです。
マリアンヌ・フェイスフルを同伴するミックにTo Julie と書き添えられたサインをもらい、なにか欲しいものがあるかと尋ねたら日本刀を所望されたたとか。まあ、結局日本刀は送らなかったそうですが……



ジュリーさんといえば、最近の話題としてライブのドタキャン騒動なんかがありましたが……長い芸能生活の中では、トラブルもいくつかあって、たとえば複数回にわたって暴行事件を起こしたことがあります。
テンプターズのショーケンさんも、暴行事件を起こしたことがありますが、ある種そういう危険なところが魅力でもあったということでしょう。

1970年代半ば、短期間に二度にわたって暴行事件を起こしたときには、ジュリーさんは、一か月間の謹慎をみずから申し出ます。

その謹慎明けに、復帰後第三弾シングルとして出てきたのが、代表作の一つ「勝手にしやがれ」でした。

暴行事件での謹慎明けにこのタイトルは、なかなか挑戦的です。
作詞の阿久悠さんが発案ですが、ある種確信犯的な挑発だったのかもしれません。

結果、この「勝手にしやがれ」が、大ヒットとなったわけです。
このタイトルはヌーベルバーグを代表するゴダール監督の映画『勝手にしやがれ』に由来しますが、セックス・ピストルズの アルバムNever Mind the Bollocks の邦題にも同じ「勝手にしやがれ」があてられています。個人的には、このピストルズの感覚が「勝手にしやがれ」というフレーズに一番しっくりくるように思えます。ある種の自暴自棄というか……この感覚は、ジュリーさんの新たな境地を開拓したものともなり、その後グラムロック的な方向にむかう転機の一つともなっているようです。

ここで、その「勝手にしやがれ」をSHOW-YA というバンドがカバーしている動画をリンクさせておきましょう。

SHOW-YA - 勝手にしやがれ

だいぶヘビーな感じになっていますが、それがきっちりはまる曲になっています。GS時代とはだいぶイメージが変っているわけです。


しかし、あくまでもそれは、沢田研二というアーティストの一側面にすぎません。

その長いキャリアのなかで、ジュリーさんはさまざまな顔を見せてきました。

GSの時代があり、“ニューロック”を志向したPYGの時代があり、グラムロックふうのソロ時代があり……

そして、近年は政治的な発言でも知られます。
彼は明確に護憲主義者であり、その姿勢は音楽活動にも表れているのです。

その文脈でよくとりあげられるのが、たとえば「わが窮状」という曲です。

「窮状」というのは、「9条」をかけたものであり、アルバムの9曲目に収録されているというのも、同趣旨。
かつてのアイドル時代には、事務所の関係などがあって、そういう政治的な発言をしようとしてもできなかった。そういうしがらみを脱した今は、こういうことも歌える――といったようなことをご本人はおっしゃっています。

作詞はジュリー自身。作曲は、「勝手にしやがれ」と同じ大野克夫さん。大野さんはスパイダースの元メンバーであり、PYGで活動をともにしたこともあります。すなわち、GS時代はライバル、そしてその後は同志――その大野さんが、2010年代まで活動をともにしてきたということにも胸が熱くなります。

以下、歌詞の一部を引用しましょう。

  諦めは取り返せない 過ちを招くだけ
  この窮状 救いたいよ 声に 集め 歌おう
  我が窮状 守れないなら 真の平和ありえない

  この窮状救えるのは 静かに通る言葉
  我が窮状 守り切りたい 許し合い 信じよう

なかなかにストレートな歌詞です。
「窮状」=「9条」ということを頭にいれて読めば、なおさらでしょう。
方向性にだいぶ違いはあるにせよ、晩年の忌野清志郎がメッセージ色の強い曲を多く発表していたことと通じるものがあるかもしれません。逆に、それぐらいのレベルの存在にまでならなければ、いいたいこともいえない状況が日本の音楽業界周辺にはあるということかもしれませんが……その芸能界を半世紀以上にわたって生き抜き、いいたいことをいえるようになったジュリーさんは、それだけのレジェンドということなのです。



漱石の日

2021-02-21 19:34:54 | 日記



今日は、2月21日。

“漱石の日”なんだそうです。

漱石とは、もちろん、あの夏目漱石です。

今月は、“ビートルズの日”、“ストーンズの日”がありましたが……なんと日本文学界におけるレジェンドの記念日までありました。
そんなわけで、今日はこの夏目漱石という人について書こうと思います。


夏目漱石は、1867年2月9日生まれで、1916年、12月9日に死去。

つまり、2月21日というのは、誕生日でもなく死去した日というわけでもないんですが……ではなぜそれが漱石の日なのかということ、これは文学博士号を授与するという申し出を受けた漱石が、それを辞退した日ということなのです。

1911年の2月21日、当時の文部省が、夏目漱石に文学博士の称号を贈ると伝えたものの、漱石は「自分には肩書は必要ない」として辞退。このできごとを記念して、2月21日が漱石の日ということになっているのです。

ちなみに夏目漱石は、明治末期に首相をやっていた西園寺公望からの招待を断ったりもしています。

“文人宰相”として知られた西園寺は「雨声会」という文人を集めた会を主宰していましたが、漱石はその招待を計七度も断ったのだそうです。
他に招待されたのは、たとえば森鴎外や島崎藤村、泉鏡花といった名だたる文豪たち。断ったのは、漱石のほか、二葉亭四迷や坪内逍遥……
四迷と逍遥は、まあ同じサイドに立っている人でもあり、その文学的スタンスからして政治家の誘いを断るというのも納得がいくんですが……漱石はどちらかといえば四迷・逍遥とは反対の立場に立つ人です。

その漱石が、なぜ首相の誘いを断ったのか。

そこには、ロックな姿勢があるのかもしれません。

顕彰やら何ならの辞退という話で思い出すのは、このブログでも以前書いた、ジョン・レノンです。ジョンはじめ、ビートルズの面々はMBE勲章というものをもらってるんですが、ジョン・レノンは、ナイジェリアのビアフラ内戦に対するイギリスの姿勢に抗議するために、後にこれを返上しています。

まあ、“抗議”というのとはちょっと話が違うかもしれませんが……要は、漱石の場合も、権威というものになびきたくないということだったんじゃないでしょうか。
それはたとえば、山本周五郎があらゆる文学賞を辞退したというのに近いかもしれません。あるいは、このブログで以前に一度書いた話でいうと、ブラックジャックが無免許医であるとか……つまりは、権威によって箔をつけるなどということではなく、ただ自分の作品それ自体によって評されたいという、そういう矜持でしょうか。

実際、夏目漱石はロックのアティチュードを持っていたと思います。

彼の作品には、旧態依然たる“世間”とそのしきたりに従わない個人の確執が時おり描かれます。
その闘争が、ロックなのです。

島崎藤村の場合は、その確執を個人の内面の問題に帰するという日本的なやり方をとってしまった……そこが違いなのか。そんなことも考えます。自然主義の作家というからには、首相に呼ばれたって辞退するのが筋じゃないかと。政治家に招待されてのこのこ出かけていくなんてのは、ロックじゃないんです。

そこへいくと、夏目漱石のほうが、己という個人と“世間”との距離感によほど自覚的なのです。

記念日の話に戻ると、博士号授与を辞退した日が“漱石の日”になっているというのは、やはり世の多くの人が、そこに何かかっこよさを見出したためでしょう。こいつ、ロックだぜ――と。
そんなわけで、このブログとしても漱石先生をアティチュードとしてのロックンローラーに認定したいと思います。

ついでに動画。
漱石の出身地である東京都新宿区によるものです。

よみがえる明治の文豪 夏目漱石

タイガース「僕のマリー」

2021-02-20 21:00:01 | 音楽批評


今日は音楽記事です。

ここ最近このブログでは、いわゆるグループサウンズ(GS)のバンドについて書いてきました。

スパイダースに、その弟分、テンプターズ……その流れをうけて、今回は、GSを代表するもう一つのバンド、タイガースについて書こうと思います。



タイガースは、GSのなかでも屈指の人気を誇るグループでした。

ボーカルは、沢田研二さん。
ベースは、岸部おさみ――この方は、岸部一徳といったほうがとおりがよいでしょうか。
あの『相棒』や『ドクターX』などに出演している岸部一徳さんです。知っている人は知っているとおり、岸部さんはベーシストでもあるのです。岸部さんは、ロックの名曲“のっぽのサリー”からとってサリーの愛称で呼ばれています。そのサリーさんは、タイガース結成にいたる中心人物でもありました。



「僕のマリー」は、タイガースのデビュー曲。

これもまた、いかにもGSらしい曲です。
作詞・橋本淳、作曲すぎやまこういち――というこのタッグは、タイガースの曲ではよくみられるようです。作曲がすぎやまこういちさんというのは、タイガースのみならず、GS全体を考えるうえでも重要なポイントのように思われます。子細に分析すればいろいろあると思いますが……早い話、その音使いが非常に日本人の耳にあうわけです。

その音楽面のこととは別に、タイガースといえば、加橋かつみ(gt)の“失踪”騒動で記憶されます。

先にあかしてしまうと、これは自作自演の事件でした。
本来は、加橋さんが脱退を申し出、事務所側もそれを了承しての円満な脱退だったということなんですが……これによってタイガース人気が失速することをおそれた事務所側が、芝居を打ったということのようです。

しかし、皮肉なことに、この“演出”がバンドメンバーの動揺を引き起こし、解散の一因になったといわれています。

メンバーの中でも、とりわけ瞳みのる(Dr)はこの事件に大きなショックを受け、人間不信に陥ったといいます。バンドを続けていくモチベーションも著しく低下し、そのことが、タイガーズ解散にいたる大きな原因の一つとなっていたようです。

71年1月。
タイガースは、最後の武道館公演をもって解散します。
ちなみに――前に書いたように、この71年一月というのは、スパイダースとテンプターズが日劇ウェスタン・カーニバルでその活動に終止符を打った月でもあります。
すなわち、GS三大バンドともいうべき三つのグループは、ほぼ同時に終幕を迎えたのでした。

この三者のなかでも、タイガースというバンドは、GSというもののある種の虚構性をもっともはっきり示しているように思えます。
テンプターズの記事でも書きましたが、GSというもの、バンドというものはこうあるべきという、いささか硬直したイメージが制作サイドにあり、バンドは彼らが作った仮面をかぶらされている部分があります。ショーケンさんや、岸部さんが、バンドが解散したあと俳優業という「演じる」仕事に軸足を移していったのは、そう考えると象徴的ではないでしょうか。

結局のところ、GSはその演出や虚構性のゆえに、自滅していったのだと私には思えます。

演者にとって本意でないことをやらせるというのは、一時的にはうまくいくかもしれませんが、長い目で見れば無理が出てくるということでしょう。

そしてGS失速後には、おそらくその虚構性のゆえに、元メンバーたちは身の振り方に苦労することになります。
これまでに名前が出てきた人たちの他にも、たとえば寺尾聡さんなど、かつてGSバンドをやっていたことはあまり知られていない人が多いのです。

そんななかにあって、GS時代からあまりキャリアを断絶させずに活動し続けているミュージシャンが、タイガースの沢田研二さんということになるでしょう。

というわけで……次回の音楽記事では沢田研二さんについて書こうと思います。