ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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ビーチの日

2022-07-31 21:47:07 | 3DCG

今回は、3DCG記事。

今日7月31日は「ビーチの日」なんだそうで……
ビーチをテーマにしたシーンを作ってみました。



使用ソフトは、blender。モデルは、このブログでずっと制作してきた「真理奈」です。前回はごまかしてましたが、今回は手と指まで一応作りました。
まだだいぶいびつではありますが……動かせるようにもなっています。


あと、水着は前回と同様、Poserの素材です。
一応変化をつけようということで、色を変えました。



また今回は、新たなチャレンジとして背景もつけてます。
3DCG用の背景としてHDRIというものがあるんですが、この背景はHDRIではありません。
単純に、平面オブジェクトに2D画像を貼り付けたもの。要は、写真を貼り付けたボードを後ろにおいて撮影してるような感じです。ゆえに、ちょっとなじんでない感もありますが、そこはまだチャレンジ段階ということで。

下は、プレーンの画像。



ちなみにこの画像は、画像素材サイト写真素材 - フォトライブラリー photolibrary からダウンロードしてきました。
沖縄の久米島にある「はての浜」という場所だそうです。



谷崎潤一郎「白昼鬼語」

2022-07-30 21:06:01 | 小説


今日7月30日は、「谷崎忌」。

谷崎潤一郎の命日……ということで、今回は小説記事として谷崎潤一郎について書こうと思います。

谷崎といえば、耽美派の筆頭というふうにいわれるわけですが、ミステリー風味の作品をいくつか書いてもいます。で、そういう傾向の作品を集めた『谷崎潤一郎犯罪小説集』というものがありました。


小説カテゴリ記事では、だいぶ前に坂口安吾の推理小説論というのを紹介しましたが、そこで安吾も言及しているように、案外昭和初期ぐらいの作家はミステリーっぽいものを書いている人が少なくないようです。谷崎潤一郎や佐藤春夫といった人たちもミステリー的な作品を書いていて、それらは安吾にも影響を与えたといいます。

安吾の場合は“ブンガク”的要素を完全に切り離すことで、むしろ本職の推理作家以上の純度で純・推理小説を書いた……と、このブログで私は評しました。
では、谷崎の場合はどうか。
彼の場合は、あくまでも自身のホームグラウンドである耽美主義文学の方向からアプローチしているように思われます。この小説集に収められている一編目「柳湯の事件」がまさにそうでしょう。ここに描出されているのは、まさに谷崎の世界です。
ただそれゆえに、“推理小説”では決してありません。
書く側にも、読者の探偵小説的興味を満足させようという意図はないでしょう。もしこの事件がミステリー的に解決されていたならミステリー史上に残る傑作となったことは疑いありませんが、残念ながらそういう話ではないのです。
ほかの三篇もおおむねそんな感じで、謎が提示されてそれを解決するという筋立てには必ずしもなっていません。そうであるがゆえに、逆に推理小説としてみるとちょっとひねりのある作品というふうに見える部分もあり……案外新鮮な感覚を楽しめるかもしれません。

感覚としては、江戸川乱歩に近いものを感じます。
妖艶・耽美・猟奇……しかし、その奥底にひそむ冷徹な理性。これはまさに、乱歩の世界でしょう。谷崎は乱歩にも大きな影響を与えているといいますが、なるほどそれもうなずけます。


「白昼鬼語」は、この短編集の中で最長の作品です。

これはまさに、乱歩の世界と私には思えました。乱歩の作品を、もう少しミステリー性を薄めて耽美主義文学のほうに寄せたというか……黒蜥蜴をほうふつとさせる女賊や、節穴から室内をのぞきこむという窃視趣味、そして、ここでは探偵小説ふうの推理も展開されます。ポーの「黄金虫」をもとにした有名な暗号解読なんかが出てきますが、乱歩からさらにポーに踏み込んでいるわけです。
物語の結末部分でも、乱歩がよく使った手法が用いられています。それは乱歩が自身の悪癖とみなしていたものなのですが……この作品においては、むしろそれが深い余韻を生み出しているようにも感じられます。乱歩がこの手法を使うとき、それは耽美主義の暴走を理性が押しとどめたというイメージですが、この作品においては逆に、この結末によって耽美主義が理性の世界を浸食しているように思われるのです。

めくるめく狂気の美――その一端が表れた箇所を、以下に引用してみます。
(私の読んだ版は現代仮名遣いですが、そっちのほうが雰囲気が出るんじゃないかということで旧仮名遣いに変換してみました)

…昨夜節穴から覗き込んだ室内の様子は、たしかに殺人の光景でありながら、それが一向物凄い 印象や忌まはしい記憶を留めてはゐない。其処には人が殺されてゐたにも拘らず、一滴の血も 流れてはゐず、一度の格闘も演ぜられず、微かな呻き声すらも聞えたのではない。その犯罪はひそやかになまめかしく、まるで恋の睦言のやうに優しく成し遂げられたのだ。僕は少しも寝覚めの悪い心地がしないで却つて反対に、眩い明るい、極彩色の絵のやうにチラチラした綺麗なものを、ぢつと視詰めてゐたやう な気持ちがする。恐ろしい物はすべて美しい、悪魔は神様と同じやうに荘厳な姿を持つてゐると云つた彼女の言葉は、単にあの宝玉に似た色を湛へた薬液の形容ばかりでなく、彼女自身をも形容してゐる。あの女こそ生きた探偵小説のヒロインであり、真に悪魔の化身であるやうに感ぜられる。あの女こそ、長い間僕の頭の中の妄想の世界に巣を喰つてゐた鬼なのだ。僕の絶え間なく恋ひ焦れてゐた幻が、かりにこの世に姿を現はして、僕の孤独を慰めてくれるのではないだらうかと、云ふやうにさへ思はれてならない。あの女は僕のために、結局僕と出で会ふために、この世に存在してゐるのではないだらうか。

実際、このせりふを語る人物は「生きた探偵小説のヒロイン」に近づいていき、そこから痴人の愛みたいなことになっていくわけです。
痴人の愛に展開していくのが、純粋にミステリーではないところであり、逆にミステリーとしてみると斬新な部分ということになるでしょう。その倒錯……江戸川乱歩という大河に流れ込んでいく一つの支流を、たしかにここに見て取れることができるのです。



『猿の惑星:新世紀(ライジング)』

2022-07-28 22:17:27 | 映画


映画『猿の惑星 新世紀』を観ました。

昨日はキングコングについて書きましたが、まあそこからの霊長類つながりということで……

『猿の惑星』も、シリーズ作が多数あります。
私はそこそこ観てるつもりではありますが、それでもまあ半分ぐらいでしょうか。この作品も、買った後になって前作にあたる作品を見ていないということに気づきました。
まあしかし、前作を見ていなくても十分に楽しめると思います。
下は、その予告動画です。

映画『猿の惑星:新世紀(ライジング)』予告編

一応、前作を観ていない人のために、映画の冒頭部分でここまでのあらすじが紹介されています。
サルインフルエンザの蔓延によって文明が崩壊した世界……このあたり、タイムリーなんじゃないでしょうか。


『キングコング』とは、単に霊長類つながりというだけではありません。
この映画もまた、戦争というものについて考えさせられる内容となっています。
観ていると、ああ戦争というのはこうやって起こるんだなあと感じ入ってしまうのです。これはもう誰にも止めることはできないんだな、という絶望感とともに……

ことの発端は、ダム。

わずかに生き延びた人間たちはコロニーを形成しており、電力供給のために近くにあるダムを復旧させようとします。しかし、そのダムがある山は、猿たちの縄張りになっているのでした。

相手に対する不信感を持った者がそれぞれのグループ内にいて、その一部は不信感を超えて憎悪を持っている……
平和共存主義者は、なんとか相互不信を克服しようと努力を積み重ねていきます。
そうして、苦心のすえにようやく信頼関係ができ、共存の基盤を作る。しかし、好戦主義者がそれを一瞬で台無しにしてしまう……
問題は、この両者が圧倒的に非対称であるということです。
共存のための努力はまるでカードの家を建てるような営みですが、それを崩すのはいたって簡単。
好戦主義者は、共存主義者の努力を一発の銃弾で台無しにしてしまえる。好戦主義といわないまでも、銃を背中に隠しての交渉は、不信感を醸成し、結局のところ成就しない……そういうことでしょう。


ここで、音楽について。

この手の映画はやはり、歌の使い方というのも重要になってきます。
昨日の『キングコング』でも音楽に着目しました。島に爆弾を落とすシーンで流れるブラックサバスの Paranoid。あるいは、ジャングルのなかで流れるCCRの Run through the Jungle …こういうところで、にやりとさせられるわけです。ちょっと前に紹介した『エイリアン:コヴェナント』では、なんと「カントリー・ロード」が使われたりしていましたが、これも、意外な選曲のようでありながら、さりげなく映画のテーマに絡んでいて、巧妙といえるでしょう。
そして……今回の『猿の惑星 新世紀』では、ザ・バンドの The Weight が劇中で使われています。
この曲をザ・バンドがエリック・クラプトンと共にやっている動画がYoutubeにあったので、リンクさせておきましょう。

The Band with Eric Clapton Perform "The Weight"

この曲が流れるのは、ダムの復旧作業が完了し、電力供給が再開される場面。
復旧した電力でレコードがかけられ、そこでThe Weight が流れてくるのです。うまい演出といえるでしょう。

その後、人間たちのコミュニティはお祭り騒ぎになり、猿たちもそれを祝福し、共存の道が開けたかと思われました。
しかし……実は、このときすでに破局ははじまっているのです。

最終的に戦いが避けられないだろうというのは、映画的な原則からしても、このシリーズの宿命としてもあきらかなんですが……しかしそれでも、何とかこのまま終わってくれないものかなあと思ってしまいます。そして戦いがはじまると、やっぱり穏やかなままでは終わってくれないんだなあという一抹の寂寥を感じずにはいられません。『猿の惑星』はいつでもそうであるように、『新世紀』もまた、深く考えさせられる映画なのです。まあ、昔の『猿の惑星』だったらもっと救いのない結末になってたと思いますが……


 

『キングコング:髑髏島の巨神』

2022-07-27 21:31:29 | 映画


映画『キングコング 髑髏島の巨神』を観ました。

先日『ゴジラVSコング』の過去記事をアップしましたが、あの映画にいたる一つの伏線といえる作品です。
この映画を観ずに『ゴジラVSコング』を観てもさほど問題はありません(実際私もそうです)が、地球空洞説、スカルクローラーといった要素がここで出てきており、そういった予備知識をもっておいたほうが、『ゴジラVSコング』、さらに再来年公開されるという新作もより楽しめるかもしれません。

映画『キングコング:髑髏島の巨神』IMAX版特別映像【HD】2017年3月25日公開

時代設定は、ベトナム戦争末期の1973年。
米軍がベトナムからの撤退を決め、ベトナムに駐留していたヘリ部隊の兵士たちが髑髏島の調査を警護……というようなことで、戦争というものについて考えさせられる内容にもなっています。

パッカード大佐率いるヘリ部隊が髑髏島のジャングルに爆弾を落とす映像は、まさにベトナム戦争をほうふつとさせます。
そして、髑髏島の守護神であるコングがそれに怒って反撃してきて、仲間が殺される。それで仲間が殺されたからといって遮二無二戦い続けようとする……髑髏島でパッカード大佐がやっていることは、まさにベトナム戦争の続きなのです。
兵士たちは、ただそれに従って犬死するだけなのか……終盤は、そういう展開にもなってきます。
そのあたりの細かいところは、例によって詳しく書きませんが……この作品が戦争というものを一つの重要なテーマに据えていることは、マーロウ中尉という人物でも表されています。
マーロウは、第二次大戦中に日本兵の軍平(MIYAVI)とともに島に不時着し、当初は敵として戦っていたものの、やがて島でともに生きていくことになったという人です。戦闘か、それとも共存か……そういうテーマが、ここでも描かれているのです。

 米兵の一人コールは、ベトナムの農民が持っていた銃を装備しています。

 「俺たちがくるまで銃なんて見たことがなかった」とそいつはいっていた。

 コールはいいます。

 敵なんて本当はいないのかもな。こっちが探さないかぎり……

しかし、パッカード大佐はあえて敵を探してしまいます。
彼は、髑髏島に戦争を持ち込んでしまうのです。

 だれも戦争からは戻れない……元のままでは

傭兵のコンラッドはいいます。
ベトナムの戦場が、大佐に戦争の狂気を植え付けた……そういうことでしょう。


と、ここまで戦争というテーマについて書いてきましたが……
もちろん、怪獣エンターテイメントとしての魅力も不足はありません。

序盤のストーリーをちょっと紹介すると、島に乗り込んだヘリ部隊は、コングの襲撃を受けて全滅。乗員たちは、島内に散り散りになって不時着します。米兵、科学者たち、反戦カメラマン、傭兵……それぞれに思惑を持った登場人物たちが、小集団に分かれて島内を移動していく多視点構成で物語が進みます。アドベンチャーの定石といえる手法で、これが髑髏島という舞台でしっかり機能しているといえるでしょう。
定石ということでいえば、女性にやさしいコングというのもそうでしょう。あるいは、未知の島にやってきた探検隊が次々に巨大生物に遭遇するという構図も……そういうふうに、過去のコング映画に対するオマージュを散りばめているところも楽しめます。


最後に、音楽について。

時代設定が1970年代初頭ということで、その頃の歌が作中にいくつか登場します。

ジェファソン・エアプレイン、ホリーズ、CCR、ブラック・サバス……そして終盤では「また会いましょう」(We'll Meet Again)なんかも。『博士の異常な愛情』でもエンディングに使われた歌ですが、あの映画で使われたような毒のあるアイロニーとしてではなく、本作ではこの歌が本来もっている意味にそって使われます。そこから導かれるエンディングも、このエンターテインメント大作にふさわしいといえるでしょう。



『ゴジラVSコング』を振り返る

2022-07-25 23:14:20 | 過去記事

『ゴジラvsコング』

映画『ゴジラVSコング』を観てきました。以前書いたようにコロナ禍で公開が延期されていたわけですが、今月2日から公開されています。あんまり新作映画を劇場に観に行くということはな......


一年前の記事です。

映画『ゴジラVSコング』について書いています。

この記事では、これがシリーズ最終作になるのではないかと書きましたが、伝え聞くところによると再来年新作が公開されるとのこと。
具体的なことはまだわかりませんが、期待しようと思います。