アフリカから戻ってきて3週間ほど。やっとペースがが戻ってきた…と思ったら忙しくなってしまって(いいわけですね…)いまさらですが、やっと記事を書く気になってきました。
アメリカ日記のほうで、毎日の様子がアップされているので、細かくはそちらをご覧くださいね。アメリカ日記
Jきっどさんからコメントのなかで、『アフリカのクリスチャン事情・宣教事情』が知りたいとのリクエストがあったのでまずそのあたりから。
・・・考えてみたら、確かにあまり情報がないかもしれないですね。
アフリカ全体は分かりませんが、タンザニアのMOSHIの様子だけでもちょっと真面目に書いてみます。
タンザニアは私の友人の宣教師チームがいるところです。彼らがチームとしてタンザニアに行ったのが6-7年前、そのときから毎月のニュースレターや再会したときの報告などを通して話は聞いていました。今回実際に行ってみて、初めて分かったことが沢山でした。
kili kids孤児院の小学生未満の子供達。
実は、私達がタンザニアに行く前から、不思議なように、「タンザニアをベースにしている宣教師」に沢山出会う機会がありました!
そして向こうに行ってみて、宣教師~表向きは学校の先生だったり、NGO/NPOだったり、お医者さんだったりですが、クリスチャンで、すこしでも神様の思いを感じて祖国を離れてタンザニアに住んでいる人たちが沢山いるのにびっくり!
私の友人の宣教師チームも沢山のビジョンをもっています。まずは伝道&教会開拓、リーダーの訓練をして開拓した教会を今は100%タンザニアのリーダー達に任せているとのこと。
チームのなかのある宣教師は6-7年前にストリートキッズ達のためのボーイズホームをスタート。一緒に住んでいる20人+の男の子達は、本当に礼儀正しくて、純粋で、お互いを家族のように慕っていました。
数年前からスタートした女性の支援センター。家を出された女性達に手に職を与えて自分で自分や家族をサポートできるように、その土地で手に入る生地を使って裁縫をする訓練をしています。
アメリカ、イギリス、ヨーロッパからの宣教師達が孤児院、教会、訓練センター、学校…と様々な働きをしていました。また、私達がステイしたFIの宣教師のMaryのご主人は、水道のない地域に水をひくプロジェクトをしているドイツの会社のタンザニア支局で働いていました。現地の人たちと一緒に水を見つけて、パイプを通す溝を山から村までひいていく大規模なプロジェクトを通して人々に仕えていました。
特にMOSHIという町は、日本の軽井沢みたいな感じなんでしょうか・・・。外国人が沢山集まっている感じでした。首都?のダル・エルサラームに比べてずっと湿度が低くてすこし涼しい気候で、自然が多い。大きな町まで1時間、キリマンジャロ山の麓で山の入り口へも一時間。サファリのできる国立公園まで4-5時間。インターナショナルスクールもあって、教育も西洋式にできるようです。突然停電することがよくあるのでベットサイドに懐中電灯とキャンドルがおいてあったり、道が悪いので4WD以外の車はありえなかったり、歯磨きもミネラルウオーターを使わなければならなかったり…でしたが。
でも、居心地は(他に比べて)よくても、はやりアフリカはアフリカ。いろんな意味で、神様からのCalling(召し)がなければ住めないなぁ。と思いました。
タンザニアは30%クリスチャン、30%イスラム、30%その他の宗教、という感じらしいです。以前から、西洋の宣教師が来ては伝道をするのですが形式的なクリスチャンが多いとの事。イエス様と個人的にrelationshipを持っているクリスチャンは少ないし、知識も少ないとの事でした。
みんなと一緒に、折り紙のかざぐるまを作りました。カラフルなくるくる回るおもちゃに大喜びでした!
宣教は、「魚をあげるのではなくて、魚の取り方を教える」のが目的だといわれます。
今の課題は、経済的にも、霊的、精神的にも、宣教師達に頼るだけではなくて、タンザニア人たちが自分で、自分の国、人々のために祈り、手を伸ばしていくこと。
タンザニアのどこにいっても、極限に貧しい人々がいて、水道もない村があったり、数限りない孤児がいます。『必要』・・・ということを考えたら、底なし沼のようで、圧倒されてしまってなにかしたとしても意味がないような気になってきます。
マサイ族の男の子。ここでは水も電気もありません。
貧困の故に、家族も生きていくのが精一杯。たとえお父さんが必死に仕事を見つけたとしても仕事がなかったり、子供の学校の制服を買ってあげるお金がなくて学校に行かせられなかったり。男の子は、小さい頃から農作業に借り出され熱い日差しのなかで一日中労働。女の子は、たとえ小さくても誘拐されたり、道端でレイプされたりする危険が沢山あるそうです。レイプされて妊娠すると家族から追い出されて孤児となってしまう。もちろん育てることができない女の子達から生まれた子供たちも孤児となるしかない。もちろんアフリカの医療(健康)や、エイズは大きな問題で、両親をエイズでなくした子供達も沢山。まるで、孤児を生み出す負のシステムが出来ているかのような感じでした。
今回、何箇所か、何種類かの孤児院を訪問しました。赤ちゃん、子供達、女性達・・・。そのなかのいくつかは、タンザニア人が自分の国の必要のためにビジョンが与えられ、立ち上げ、運営しているところでした。そしてそのビジョンをアメリカを始め色々な国のクリスチャン達がサポートしているそうです。神様が不思議なように圧倒的な祝福をもっていつも必要を満たしてくださる、と言っていました。
大きな必要をみると圧倒されてしまいますが、たとえ一人ずつでも彼らが自分の価値と可能性を理解して育っていくなら、かならず国が変えられていくと信じます。
0-3歳の孤児院で。一番小さい赤ちゃん・2ヶ月。ピースフルにお昼寝していました。
Fountain of Hopeというクリスチャンスクールを訪問しました。400人くらいの寄宿舎制の学校です。ここの学生の80%は孤児で、いろんな方法でサポートを受けているそうですが、学生達がみんなのびのびしているのが印象的でした。
彼らは自分は将来大統領になって国をかえる!とか、お医者さんになって貧しい人々を助けてあげたい・・・とか。貧しい人たちが共通して持っている「結局自分にはできないから…」という考え方ではなくて、可能性を見ることができる教育を受けているのがよくわかりました。
この子供達が、主にあって成長して、10年後、20年後、タンザニアのリーダー達になってくれることを感謝し、祈ってきました。
すこし話はそれますが…
タンザニアを訪ねているときにふと、日本にはどうして孤児院がすくないんだろう??と考えました。もちろん、孤児院や両親が育てられずに…という境遇の子供達が沢山いるのは認識していますが、それにしても少ないな、と。
そしてもしかしたら、日本社会の中では『中絶』という選択肢があるからかも、と思ってちょっとぞっとしたのを覚えています。お金があるから、こういうことができるんでしょうね。日本は世界でもトップクラスに中絶の数が多いそうです…。決して表には出てこない数字ですが…。
私が神様にゆだねられていること、に忠実に仕えていくこと…。チャレンジを受けている気がしました。
それからイエスは一人の子どもを連れて来て、彼らの真ん中に立たせ、腕に抱き寄せて、彼らに言われた。
「だれでも、このような幼子たちのひとりを、わたしの名のゆえに受け入れるならば、わたしを受け入れるのです。まただれでも、わたしを受け入れるならば、わたしを遣わされた方を受け入れるのです。」
マルコ9:36-37
アメリカ日記のほうで、毎日の様子がアップされているので、細かくはそちらをご覧くださいね。アメリカ日記
Jきっどさんからコメントのなかで、『アフリカのクリスチャン事情・宣教事情』が知りたいとのリクエストがあったのでまずそのあたりから。
・・・考えてみたら、確かにあまり情報がないかもしれないですね。
アフリカ全体は分かりませんが、タンザニアのMOSHIの様子だけでもちょっと真面目に書いてみます。
タンザニアは私の友人の宣教師チームがいるところです。彼らがチームとしてタンザニアに行ったのが6-7年前、そのときから毎月のニュースレターや再会したときの報告などを通して話は聞いていました。今回実際に行ってみて、初めて分かったことが沢山でした。
kili kids孤児院の小学生未満の子供達。
実は、私達がタンザニアに行く前から、不思議なように、「タンザニアをベースにしている宣教師」に沢山出会う機会がありました!
そして向こうに行ってみて、宣教師~表向きは学校の先生だったり、NGO/NPOだったり、お医者さんだったりですが、クリスチャンで、すこしでも神様の思いを感じて祖国を離れてタンザニアに住んでいる人たちが沢山いるのにびっくり!
私の友人の宣教師チームも沢山のビジョンをもっています。まずは伝道&教会開拓、リーダーの訓練をして開拓した教会を今は100%タンザニアのリーダー達に任せているとのこと。
チームのなかのある宣教師は6-7年前にストリートキッズ達のためのボーイズホームをスタート。一緒に住んでいる20人+の男の子達は、本当に礼儀正しくて、純粋で、お互いを家族のように慕っていました。
数年前からスタートした女性の支援センター。家を出された女性達に手に職を与えて自分で自分や家族をサポートできるように、その土地で手に入る生地を使って裁縫をする訓練をしています。
アメリカ、イギリス、ヨーロッパからの宣教師達が孤児院、教会、訓練センター、学校…と様々な働きをしていました。また、私達がステイしたFIの宣教師のMaryのご主人は、水道のない地域に水をひくプロジェクトをしているドイツの会社のタンザニア支局で働いていました。現地の人たちと一緒に水を見つけて、パイプを通す溝を山から村までひいていく大規模なプロジェクトを通して人々に仕えていました。
特にMOSHIという町は、日本の軽井沢みたいな感じなんでしょうか・・・。外国人が沢山集まっている感じでした。首都?のダル・エルサラームに比べてずっと湿度が低くてすこし涼しい気候で、自然が多い。大きな町まで1時間、キリマンジャロ山の麓で山の入り口へも一時間。サファリのできる国立公園まで4-5時間。インターナショナルスクールもあって、教育も西洋式にできるようです。突然停電することがよくあるのでベットサイドに懐中電灯とキャンドルがおいてあったり、道が悪いので4WD以外の車はありえなかったり、歯磨きもミネラルウオーターを使わなければならなかったり…でしたが。
でも、居心地は(他に比べて)よくても、はやりアフリカはアフリカ。いろんな意味で、神様からのCalling(召し)がなければ住めないなぁ。と思いました。
タンザニアは30%クリスチャン、30%イスラム、30%その他の宗教、という感じらしいです。以前から、西洋の宣教師が来ては伝道をするのですが形式的なクリスチャンが多いとの事。イエス様と個人的にrelationshipを持っているクリスチャンは少ないし、知識も少ないとの事でした。
みんなと一緒に、折り紙のかざぐるまを作りました。カラフルなくるくる回るおもちゃに大喜びでした!
宣教は、「魚をあげるのではなくて、魚の取り方を教える」のが目的だといわれます。
今の課題は、経済的にも、霊的、精神的にも、宣教師達に頼るだけではなくて、タンザニア人たちが自分で、自分の国、人々のために祈り、手を伸ばしていくこと。
タンザニアのどこにいっても、極限に貧しい人々がいて、水道もない村があったり、数限りない孤児がいます。『必要』・・・ということを考えたら、底なし沼のようで、圧倒されてしまってなにかしたとしても意味がないような気になってきます。
マサイ族の男の子。ここでは水も電気もありません。
貧困の故に、家族も生きていくのが精一杯。たとえお父さんが必死に仕事を見つけたとしても仕事がなかったり、子供の学校の制服を買ってあげるお金がなくて学校に行かせられなかったり。男の子は、小さい頃から農作業に借り出され熱い日差しのなかで一日中労働。女の子は、たとえ小さくても誘拐されたり、道端でレイプされたりする危険が沢山あるそうです。レイプされて妊娠すると家族から追い出されて孤児となってしまう。もちろん育てることができない女の子達から生まれた子供たちも孤児となるしかない。もちろんアフリカの医療(健康)や、エイズは大きな問題で、両親をエイズでなくした子供達も沢山。まるで、孤児を生み出す負のシステムが出来ているかのような感じでした。
今回、何箇所か、何種類かの孤児院を訪問しました。赤ちゃん、子供達、女性達・・・。そのなかのいくつかは、タンザニア人が自分の国の必要のためにビジョンが与えられ、立ち上げ、運営しているところでした。そしてそのビジョンをアメリカを始め色々な国のクリスチャン達がサポートしているそうです。神様が不思議なように圧倒的な祝福をもっていつも必要を満たしてくださる、と言っていました。
大きな必要をみると圧倒されてしまいますが、たとえ一人ずつでも彼らが自分の価値と可能性を理解して育っていくなら、かならず国が変えられていくと信じます。
0-3歳の孤児院で。一番小さい赤ちゃん・2ヶ月。ピースフルにお昼寝していました。
Fountain of Hopeというクリスチャンスクールを訪問しました。400人くらいの寄宿舎制の学校です。ここの学生の80%は孤児で、いろんな方法でサポートを受けているそうですが、学生達がみんなのびのびしているのが印象的でした。
彼らは自分は将来大統領になって国をかえる!とか、お医者さんになって貧しい人々を助けてあげたい・・・とか。貧しい人たちが共通して持っている「結局自分にはできないから…」という考え方ではなくて、可能性を見ることができる教育を受けているのがよくわかりました。
この子供達が、主にあって成長して、10年後、20年後、タンザニアのリーダー達になってくれることを感謝し、祈ってきました。
すこし話はそれますが…
タンザニアを訪ねているときにふと、日本にはどうして孤児院がすくないんだろう??と考えました。もちろん、孤児院や両親が育てられずに…という境遇の子供達が沢山いるのは認識していますが、それにしても少ないな、と。
そしてもしかしたら、日本社会の中では『中絶』という選択肢があるからかも、と思ってちょっとぞっとしたのを覚えています。お金があるから、こういうことができるんでしょうね。日本は世界でもトップクラスに中絶の数が多いそうです…。決して表には出てこない数字ですが…。
私が神様にゆだねられていること、に忠実に仕えていくこと…。チャレンジを受けている気がしました。
それからイエスは一人の子どもを連れて来て、彼らの真ん中に立たせ、腕に抱き寄せて、彼らに言われた。
「だれでも、このような幼子たちのひとりを、わたしの名のゆえに受け入れるならば、わたしを受け入れるのです。まただれでも、わたしを受け入れるならば、わたしを遣わされた方を受け入れるのです。」
マルコ9:36-37
お忙しい中、すみませんでした
でも、とても貴重な記事だと思いました。
いくら統計(数)で示されても想像できない部分は多く、しかも宣教地によっては、外部への報告すら困難を極める国もありますよね。
やはり生の声を聞け、祈れることはクリスチャンとして宝の体験だと改めて思いました。
もし、jnさまがよろしければ、今回の記事をプリントアウトして、教会で祈らせていただきたいと願いますが、よろしいでしょうか?
これは生きた教材だと思いました。
写真を含め、プリントアウト使用を許可いただけるか、お返事いただけると幸いです。
必要があれば、アドご使用ください。↓
jkmtamaki@yahoo.co.jp
私個人は、お昼寝している赤ちゃんの写真に釘付けでした。
人間的にみるとわずかと思えるかもしれない働きの中で、一人の赤ちゃんが平安に眠っている。
神の国がそこにあるかのように、眠っている。
“大きさ”ではなく、“命”の働きなんだな、
宣教って、こういうことなんだな、と何度も読み返しました。
本当に、ありがとうございました。
すっかり長くなってすみません☆
レターのお知らせも感謝です
導きに従順なタンザニアの奉仕者方のために祈ります。(今回は絵文字入れる気にんれんかった…)
熱いコメント、感謝です~!
あの赤ちゃんのホームに行ったときは丁度午後のお昼寝の時間だったんです。ちょっと残念でしたが、でも思ったよりキレイな施設で、子供達がすやすや寝ている様子をみてほっとして帰ってきました。
Jきっどさんの視点とてもやさしくてうれしいです。
応援ありがとうございます♪
私もanneちゃん、Bonくん、そしてベイビーの写真(記事)でほ~っと神様感じていますよ!
今のうちに、「祈り」を通して沢山種を蒔いておくと、気がつかなくても刈取りすることになったりして…。神の国って面白いですね。
日本の孤児院の少なさについての気づき、考えさせられました...。どちらが神さまのみこころを痛めているのか、と…。
一方で、jnさんがタンザニアに行っても、日本のことを思い出してくださったことに、ふと嬉しく感じたりもしました...。
ところで、今週そちらでBIRTHDAYを迎えられたんですよね‥!遅ればせながら、おめでとうございます!!
素晴らしい一年になりますように~♪
お誕生日も覚えていてくださってありがとうございます!
日本のことは、アメリカにいてもアフリカにいてもいつも心にありますよ!
タンザニアでは意外と日本との関係があるのを発見してみんなで喜んでいたり!
やっぱり日本人です。
モービルの暑さはちょっと落ちついてきました。でも相変わらずハンドル触ってやけどしそうになりますが。