偽史倭人伝 ~ Carnea Historia

march madness の次が April Foolなんて小粋ぢゃないか。

絶対零度と死刑判決と夏目漱石と

2020年03月17日 00時11分15秒 | ◎ツッコミ思案neo
絶対零度の最終回
主人公・井沢(沢村一樹)は妻子を殺害した篠田(高杉真宙)と対峙。
思わず引き鉄を引きそうになるが
「君はボクだ、ボクが君だったかもしれない」
と思いとどまる。
…そして彼を許す。
 本日、相模原の障害者施設「津久井やまゆり園」で19人を殺害した植松聖被告に死刑判決が下された。
 世間は
「でしょうね」
と溜飲を下げたのだろうが、なんとも気持ちの悪さを感じてしまう。
金のためでも、
怨恨でも、
またカッとしてといった衝動からでもなく、
薬物や精神疾患による心神喪失でもなく、
ある意味、純粋に「思想」に従って殺人は実行された。
 みんな「障害者を差別してはいけません」なんて生まれた時から知ってましたみたいな顔をしているけど、各種差別が「悪」だということは道徳的な学習において学んできたことであって、だれにも教えられずに平等意識があった人はむしろまれだろう。
 実際のところ、いい大人なのに人種差別的なモノ言いをする人々もいるし、国会議員にも「生産性」で人の価値がきまると信じているひとがいる。
 経済活動の自粛でも人が死ぬように、政治家のひと声で福祉が薄くなれば「犠牲者」は出る。つまり杉田水脈は植松聖被告と大差ないともいえる。
 キケン思想と思想の境界というのは、時代でかわったりもする。夏目漱石なんて今だったら完全アウトな侵略応援野郎だし、日本人が大好きなル・コルビュジエはとんだナチ野郎だ。ル・コルビュジエ作品は世界遺産登録されたと喜ぶくせに、ピエール瀧が出てる映画はお蔵入りにするってバランス感覚ダイジョウブか?
 「作品に罪はない理論」はどちらかといえばピエールのほうにあてはまる。だって建築家って都市計画にかかわるからナチのお仲間だったていうのは、もはや作品にも罪はある世界だ。
 キャンディーズが躍ってた時代にはまだ「バカチョンカメラ」なんて用語があって、街の「善良なる人々」も使っていたっけ。
 植松聖被告はどの時点でアウトだったのか?キケン思想を持った時点でしょっぴくべきか?思想に実行力が加わった時点でアウトというなら前出の差別政治家はアウトぢゃないのか?
 そもそも「バカチョンカメラ」ぢゃないけど、差別的な思想のやつは今でもそこらじゅうにいるし、それらを許容している社会もある。大手書店の「嫌韓本コーナー」なんてある意味昭和よりたちが悪い。
植松聖被告はすべての日本国民と地続きなんだよ。
 被告は判決が言い渡された後に「最後に一つだけ」と言って手を挙たそうだが認められなかったとか。裁判長は正義を気取ったのだろうが、控訴せずといっていた被告にとっては最後の発言だったわけだから、言わせてもよかったんぢゃね?いろんな意味で。そこになにかしこの国の未来にとってのら「手がかり」がないとも言いきれない。

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