時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

世代を代表したヒーローたち

2021年10月21日 | 時のつれづれ・神無月

多摩爺の「時のつれづれ(神無月の23)」
世代を代表したヒーローたち (ハンカチ王子と平成の怪物が引退)

「盛者必衰」という言葉は・・・ 「平家物語」の一節として有名だが、
ひとたび勢いが盛んとなった者であっても、いつかは必ず衰えるときがやって来るという意味で、
人の世の儚さを憂う例えとして、ビジネスの世界で用いられることも多々ある。

先週末から今週にかけて・・・ かつて、夏の甲子園でマウンドに立ち、頂点を極めたのち、
ドラフト1位の指名を受けて、プロ野球に入団した二人のヒーローが、
相次いでマウンドに別れを告げた。

北海道日本ハムファイターズで背番号1番を背負った、
ハンカチ王子こと斎藤佑樹投手(早稲田実業学校・早稲田大学)

埼玉西武ライオンズで背番号18番を背負った、
平成の怪物こと松坂大輔投手(横浜高校)
後にハンカチ世代、松坂世代として、
同世代の選手たちを紹介する代名詞にもなったヒーローたちである。

プロ入りしてからの成績は、明暗を分けたものの、
両投手ともに、夏の甲子園で炎天下のなか、大接戦の延長戦を投げきり、
深紅の優勝旗を手にした優勝投手である。

斉藤投手は、進学した早稲田大学でも全国大会を制しており、高校・大学で日本一となったが、
松坂投手に至っては、春夏の甲子園を制したのみならず、プロ入り後はいきなり二桁勝利し、
日本シリーズを制するにとどまらず、日本代表のサムライジャパンのエースとしてWBCを制した。
そしてメジャーリーグに移籍後は、噂になったジャイロボールを操りワールドシリーズも制しており、
まさに・・・ 怪物の名に恥じぬ大活躍だった。

とはいえ、最後のマウンドに立った両投手は、本人たちが思う納得感とは別に、
往年の輝きを知ってるファンにとっては・・・ いささか、寂しさを隠せないピッチングだった。

斉藤投手は、打者1人に対し7球を投じたが、球速はMAX129キロだから、
大変申し訳ないが、高校生レベルの球速であり、
松坂投手に至っては、打者1人に対し5球投げたが、球速はMAX118キロだから、
野球経験者の若者が、公園でキャッチボールしている程度のレベルだった。

別に腐しているわけではないが、であるからこそ引退するのであり、引退せざる得ないのである。
そんなことは分ってはいるが、ファンという者たちの心理は別のところにあって、
応援できたことへの感謝と、現実を認めざる得ない寂しさが・・・ 複雑に絡み合っているのだ。

私はアスリートではないので、引退に至るプロセスの基準は分らない。
体力の限界を感じて、自ら潔く引退するアスリートがいる一方で、
ボロボロになるまで・・・ 諦めることなく、直向きに挑み続けるアスリートもいる。

諦めが悪いと言われようが、
それこそが・・・ 「好きこそものの上手なれ。」だと思うから、
環境と体が許すのであれば、とことん突き詰めるのも良いのではなかろうか?

プロの世界では、要らないと宣告されたり、そろそろと言って、肩を叩かれるのが常であり、
そこはビジネスの世界だから、
自分自身の思いよりも、所属するチームの都合が優先されることは致し方ない。


チームから指導者としての誘いがあれば、現役じゃないものの残留は可能だが、

それがなければ、新たな仕事を探さなければ、生活ができなくなるという厳しい世界でもある。

それでも、引退試合を企画してもらえる選手は、
チームにとっても、ファンにとっても特別な存在なんだと思う。

往年の姿と比べたら、それがどんなに無様な姿であろうと、
選ばれし特別な存在のアスリートは、その無様で残念な姿をファンの前にさらけ出さねばならない。

それが、どんなに辛くても・・・ ファンというものは、黙ってそれを受け入れてくれる。
なぜって・・・ ?
それは、愚問というものだ。

それこそが、スターと呼ばれる者の証だから
格好が良かろうと悪かろうと・・・ そんなことは、どうでも良いことであって、
ファンという者たちは、彼らが一番輝いていたときのことしか、
記憶にとどめるつもりなどなく、
引退試合をやった、見た、見に行ったというだけで満足しており、
内容などは、ホントにどうでも良いことなのである。

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