時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

日本三名橋 錦帯橋

2021年10月16日 | 旅のつれづれ

多摩爺の「旅のつれづれ(その5)」
日本三名橋 錦帯橋(山口県岩国市)

春の桜、夏の清流、秋の紅葉、冬の雪景色、四季を通して映える・・・ 故郷の名橋「錦帯橋」は、
日本三名橋(東京・日本橋、長崎・眼鏡橋、山口・錦帯橋)であって、
日本三奇橋(山梨・猿橋、徳島・かずら橋、山口・錦帯橋)でもあり、
いつ来ても、いつ見ても、誰と来ても、誰と見ても・・・ その美しさに、
感嘆の声を上げずにはいられない。

この3月に父が亡くなってから、申し訳ないことに半年以上も壺に閉じ込め、
すっかり待たせてしまったが、
季節外れで、ちょっと蒸し暑かった10月の初旬
母、妹、女房、娘、そして私の5人で、広島県内にある墓園を訪れ、やっと納骨することができた。

その帰り道、少しだけ時間に余裕があったので、岩国ICを降り、清流「錦川」の河原に車を止めて、
五連のアーチが美しい・・・ 名橋「錦帯橋」を眺めながらひと休み。

周防国(山口県東部)と長門国(山口県西部)の防長二州からなる長州藩(山口県)において、
芸州藩(広島県)との国境(岩国口)を守っていた岩国藩(長州藩の支藩)は、
関ヶ原以後の築城において防御に重きをおき、天然の外堀「錦川」を挟んで城下町を造ったことから、
政治と暮らしが分断され、流出することのない橋を造ることが命題となり・・・ 悲願になった。

1673年(延宝元年)、ついに完成した橋は、
その後、幾度となく洪水による流出と、架け替えを繰り返しながら現在に至っている。

最近では、昭和25年に台風で流出し、2年がかりで架け替えられたのち、
2001年に「平成の架け替え」と呼ばれる大規模な点検を兼ねた、架け換え工事が行われており、
現在、清流「錦川」に架かる「錦帯橋」は築20年目となり、今年で成人を迎えたことになる。

川床からの高さは約13メートル、幅5メートル、全長193.3メートルの美しい五連のアーチ
幾何学的な木組みを、緻密に組み合わせて造られており、
かつては、釘が1本も使われてないと言われていたこともあったが、
和釘や・かすがい等が使用されており・・・ 現在は、そのような表現をすることはない。

たしか10数年前だったと思うが、岩国市と山口県は共同で、
「先人の夢と英知が創った未来への架け橋(錦帯橋)」を、
世界遺産に登録しようと・・・ 頑張ってきたと記憶してるが、
未だに、その朗報を聞かないと言うことは、
暫定リスト入りするための諸課題が、クリアできずにいるのだろう。

「錦帯橋を世界遺産に推す会」のホームページによれば、
下記のような課題があるらしいが・・・ 正直なところ、これはけっこう厳しい課題だと思う。

 ・木造橋及び、河川を中心に両岸の町並み等、文化的景観の保全
 ・橋梁は景観として優秀な価値は認めるが、材料の真実性が低い点を配慮して、
  技術の継承及び技術者の育成を含め,真実性総体に関する証明が必要
 ・登録基準で土地利用の観点
 ・創建時の橋脚や橋げた等、部材が残っていないので遺跡ではない。 など

洪水で、なんどもなんども流出を繰り返し、その都度、その都度、架け換えしていることから、
創建時の部材なんか・・・ そもそも残っているわけがない。
技術の伝承はともかく、これ(創建時の部材)が条件になるなら・・・ 登録は如何ともし難い。

郷土が誇る名勝であって、世界に誇れる遺産と思うがゆえに、
なんとかして登録してほしいと思うものの、

原型は約300数年の歴史があるが、架け替えがなんども行われており、
直近の架け換え工事により、現在の錦帯橋には、20年の歴史しかないので、
これも、世界遺産を目指す上では・・・ 厳しいのかもしれない。

そんなことを話ながら、河原から約15分程度、錦帯橋を眺めたあと帰路についたが、
ここから片道約2時間の道中、母の口があまりに滑らかだったことには、正直驚いてしまった。
まるで機関銃か高速の連射砲で、休むことを知らないぐらいタフで、喋る、喋る、ホントによく喋る。
そして、信じられないぐらい多くのネタを持っている。

1週間に1度は、妹夫婦が孫と一緒に、ご機嫌伺いをしてくれているが、
一人暮らしは・・・ やっぱり寂しいのだろう。

母の相手(聞き役)をするのは、いささか疲れたが・・・ 付き合うのも親孝行だと捉えれば、
こちらから話しかけることは控えられるが、母が話したいと思っているときだけは、
なんとしてでも、期待に応えねばならないのだろう。


定番の撮影スポットは、橋の東側の河原からの1枚で・・・ 山頂に建つ岩国城も小さく写っている。

もう少し時間があれば、橋の下から幾何学模様の木組みの写真を撮りたかった。

コメント (4)    この記事についてブログを書く
« バラマキ合戦ならまだ良い。 | トップ | 肉天うどん »

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (tsubone)
2021-10-16 07:37:25
おはようございます
錦帯橋には以前広島のお友達に案内していただいたことがあります。
近くに宇野千代さんのご実家もあり見学してきました。
橋って、大袈裟に言えばその両岸の人々の生活を支える物で、架けるにあたって色々なドラマや先人の苦労もあったのだろうなぁとなんとなく感慨にふけっちゃいますね。
それにしても美しい形、世界遺産にならないのは残念です。
Unknown (多摩爺)
2021-10-16 10:57:08
tsuboneさん、こんにちは

山口には、本州と九州を結ぶ関門橋、沖縄のようなターコイズブルーの海に架かる角島大橋、
数年前に外国船がぶつかって水道管が破れた周防大島大橋など、美しい橋がありますが、錦帯橋だけは別格です。
一番古くからある橋なのに、架け換えを考慮したら一番新しい橋なんですから、世界遺産は無理かもしれません。
あの・・・ (くちかずこ)
2021-10-16 14:12:19
岩国ご出身なのですか?
先日来、くちこが、アサギマダラを探しに行っては、ソフトクリームを食べて帰ったあの公園は、錦帯橋たもとにある、吉香公園なんですよ。
結局、家の近くでアサギマダラは見ることになりましたが。
以前、一緒に働いていた医師は、岩国高校ご出身で、高校時代は、未だ、旧校舎だったので、毎日、錦帯橋を渡って通学したそうですよ。
旧制高校の校舎???
桜に、紅葉に、雪景色、とにかく絵になる橋と風景ですよね。
角島大橋、多分、来月行くかも?
萩に行こうと思っているので。
雲の動きに連動して万華鏡のように変化する海の色が綺麗な場所だなあと思っています。
関門橋が架かる時、下関の高台に住んでいたので、毎日、工事を見ていました。
関門橋が完成した時に渡り初め、人が歩く最初の終わり?両親が歩いたんですよ。
懐かしいです。
Unknown (多摩爺)
2021-10-16 17:23:52
くちこさん、こんにちは

私の実家は下関ですが、両親のルーツは島根県西部なので、
山口県内はもとより、島根県や広島県には親戚、知人がたくさんいて、帰省した際はちょくちょく寄っています。
時間に余裕があったら欽明路沿いの山賊で、山賊おにぎりと山賊焼きを食べたかったのですが残念でした。

コメントを投稿

旅のつれづれ」カテゴリの最新記事