♪銀蝿ブンブン♪日本の危機ニダ♪

ヨン様と一緒♪で韓流ブログしてた通名トド子ニダ♪韓流の終焉であっちは放置したけれど♪新ブログはノンジャンルでやるニダ

キムコムロの謎の母親のルーツニダ♪ その2

2017-07-27 03:03:55 | 日記

解りにくい母親方のルーツを簡単に年表にまとめてみるニダ♪

1955年以前この母親の家族はどこから来たニカ?済州島四・三事件で朝鮮人が日本に大量に密入国した時期は1946年~1949年にかけてニダ♪もしキムコムロの曽祖父母はニダなら日本語が不自由だったろうし、難民みたいな姿で密入国ならお金も無い貧民窟で暮らしていたとしか想定出来ないニダね♪

1955年、昭和30年前後にキムコムロの母方の祖母八十子高校生、鎌倉市内のお寺の敷地内にあった3畳ひと間の借家に住む。曽祖父は下駄屋。

八十子の母(キムコムロの曾祖母)が女中をしていた横浜市内の寮に、3人家族で住み着く。

八十子が角田国光と結婚し、’66年にキムコムロの母、佳代が誕生。(結婚時期が64年か65年、つまり昭和39年か40年)しかし夫婦で横浜の寮で二世代暮らしは続く。

キムコムロの祖母、八十子、佳代と弟を出産直前くらいから、全身がリウマチになって外出出来ず (ここで障害者年金とか手帳をゲットしたとトド子の推定) 八十子、大山祇命神示教会 に夫婦とともに入信。佳代や弟の名前もそこからつけて貰う。相当ヘビーな信者♪

'74年ごろに寮が取り壊されるので退去。友人のつてで藤沢市内の平屋に引っ越し

キムコムロのパパと呼ぶ祖父、角田国光の稼ぎだけで一家6人食べていたので常に貧困だったはず

八十子がいつ亡くなったのか全く不明♪

佳代はずっと大山祇命神示教会の信者だった可能性高し。飲食店に関係者を連れて行ったり、時間外まで居座って泣き言を言ったりかなり情緒不安定な感じ。キムコムロも常に同伴されていた模様♪

全く普通の健気なシングルマザーでは無いニダね♪ 子供連れて飲食店で月に3回も食事って♪ 普通なら手料理を作らないニカ?だいたいキムコムロを国立音大付属小に入れるために国立と藤沢で別居していたニダよ♪その費用、単なる地方公務員の父親に捻出出来るニカ?バイオリンの個人レッスンだって相当高いニダよ?トド子もヤマハでバイオリンをしてたけど月1万円くらい月謝がかかったと思うニダ♪向いてないので途中でピアノに転向したけれど♪ソルフェージュとかしてたニダねえ♪幼稚園の頃は♪子供用のバイオリンもトド子の時代で3万くらいはしていたような記憶♪

霊能者がどうとかとかこの母親かなりおかしなものに嵌っていないニカ?八十子の知り合いがそこを辞めたのは藤沢悪魔払いバラバラ殺人事件があったからよね?それ1987年(昭和62年)の事件ニダ♪

>「圭くんが年長から10歳くらいのころまで、うちの店には月に2~3回、ご家族3人でいらっしゃっていました。

 旦那さんが亡くなったあと、30代くらいのその女性と圭くんの3人で店にいらっしゃって、“すごい方なので、ご紹介したくて連れてきました”と佳代さんから紹介されたんです。

 店に入ると“この絵がここに飾ってあるのは知っていました”と、店内にあるものがわかっていたような口ぶりだったことを覚えています。

 さらには、霊が見えると言って店内の空席を指さして“圭くん、あの席からお父さんが見てるよ”と圭くんに話していました。宗教関係の方だったようなので『A』の関係者だったのかもしれませんね」

90年前後に結婚してという事は平成2年♪ キムコムロが生まれたのが1991年10月5日、旦那が自死したのが2000年前後♪ キムコムロが本当に今25歳で10歳位にこの店に行っていたのならますます時系列がおかしいニダね♪ キムコムロが国立音大附属小に通っていたはずなのに、横浜の飲食店が行きつけで夜の10時位までいる母親???飲食店の主人の愛人でもしてたニカ?小学生のキムコムロはいつも母親と一緒だった訳?小学生で夜の10時に横浜の飲食店いて♪初期設定が奇妙過ぎないニカ?10歳位で霊能者とご飯を食べに来るということは確実に平成13年くらいまで親子してこの新興宗教に入会していたという事ニダ♪

ますますおかしいのでその3も書くニダよ♪

トド子の勘だと創価の信心をローカルな新興宗教に当て嵌めて捏造記事を週刊皿婆が書いているような気がするニダ♪

父親の自殺とか祖父の自殺が美談化されているけれど、母方の暮らしぶりを見ていると事件性のある変死で自殺処理されたというのが真相のような気がするニダ♪ あまりにも家族関係が歪みすぎ♪ まるで誰かの人生をトレースしたかのような嘘くさいお涙話♪

バッジもつけていないSPに同行されパート先に通勤するキムコムロ母

旧姓角田佳代さん、あなたの国籍は何?

トド子に教えてほしいニダ♪