映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「パンチ野郎」 黒沢年男&星由里子

2024-05-31 06:16:59 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「パンチ野郎」を名画座で観てきました。

映画「パンチ野郎」1966年(昭和41年)公開の黒沢年男主演の東宝映画。いつも通り藤本真澄がプロデュースで、監督は「エレキの若大将」岩内克己が引き続きメガホンをとる。実はこの映画の存在自体を知らなかった。名画座の特集で気付いた。dvdもない。主役の黒沢年男のWikipediaにもこの映画の記載がない。でも、東宝が黒沢年男を売り出そうとする試みが感じられて、星由里子も出演する。でも、加山雄三の恋人イメージを崩さないように、黒沢年男の先輩キャメラマンに過ぎない。

いかにも昭和の東宝コメディで、ストーリーはどうってことない。
若者の恋愛が二重三重に絡まる。

黒沢年男はキャパのようになりたいカメラマン、そのポン友が名脇役の砂塚秀夫、黒沢年男の妹役が後の加山雄三夫人の松本めぐみ。松本めぐみが好意を寄せる黒沢の友人でカーレースにのめり込む若者が和久田龍。黒沢年男の幼馴染で銀座のメンズショップの店員が沢井桂子で、沢井には和久田が好意を寄せる。

内田裕也が和久田のカーレースのライバルになる金持ちの息子で、内田は沢井桂子にも入れ込んでいる星由里子は雑誌社のカメラマンで、黒沢年男の先輩になる。女性ドライバーで黒沢に入れ上げる高利貸しの娘藤あきみと黒沢年男と砂塚俊夫が通うバーの女性斎藤チヤ子が恋愛相関関係に絡んでいく。

1966年(昭和41年)の東京の熱気が伝わる掘り出し物の映画だ。
見どころが実に多い。ストーリーよりも背景を楽しむ。

映画が始まる前に、日産自動車とVANジャケットが協賛という表示が出る。ファッションはIVYルック全盛時代で、銀座4丁目の三愛にメンズショップがある設定だ。男性陣はアイビールックに身を包む。石津謙介のほくそ笑む顔が目に浮かぶ。車はハコ型フェアレディが全面的に登場する。

主人公黒沢年男が昭和41年の銀座の街を写真を撮りながら歩き回る。勤める雑誌社は平凡パンチの編集部を意識して、たまり場はオレンジ色の銀座線が渋谷で地下から地上に出るあたりの横に位置する。自宅は川のそば、これは隅田川だろうなあ?昭和40年代までは多かった外壁も木の平屋の家だ。エレキブーム到来でゴーゴークラブで若者がモンキーダンスのような踊りをする。音楽は一世を風靡した11PMのテーマ曲を作曲した三保敬太郎だけど、エレクトーン基調で今観るとドン臭い音楽だ。三保はレーサーとしても有名でマカオグランプリにも出場している。


⒈VANジャケット
いきなり砂塚秀夫マドラスチェックのジャケットを着て登場する。これはVANだなと思いながら、その後もファッションはアイビーだ。みゆき族が話題になったのが1964年だけど、アイビールックは学生たちに根づいていたし、VANの全盛期だった。内田裕也「エレキの若大将」に引き続き登場する。彼のアイビールックは後10年したら出演するエロティック路線を知っている我々からすると妙におかしい。自分がアイビーを知るのは中学生になってからでもう6年後だ。


主演格で現役の慶応の学生和久田龍が登場、いかにも慶応ボーイらしい彼もアイビールックだ。残念ながらこの一作で芸能界は退く。雑誌の編集長役が若大将シリーズの常連江原達怡で彼も慶応だ。この映画の音楽担当でレーサー役で登場する三保敬太郎とプロデューサーの藤本真澄含めて慶応出身者が並ぶ。身内びいきだが、直近で早稲田の学生紛争の映画を観ているので映画のレベルはともかく親しみをもって映画に入っていける。

⒉フェアレディ
実は1966年に日産自動車プリンス自動車を合併して、スカイラインやグロリアも売るようになる。若大将シリーズでも新橋演舞場側の旧日産自動車本社が映る。この映画では、ダットサン箱型フェアレディを前面に押し出す。小学生だった自分から見ると,ヨーロッパ車には見劣りするが,フェアレディはかっこよく見えた。この映画のレースでライバル車となるのはポルシェで、乗り回すのは内田裕也だ。さすがに日産自動車協賛なので、フェアレディに軍配があがる。自分が最も好きな車のジャガーEタイプを金持ち娘が乗り回すのはうれしい。


飛ばす高速は第三京浜か?横浜新道か?当時のカーマニアからすると、冨士スピードウェーは羨望の眼差しで見る場所だった。映画ではレース場面のウェイトも高い。箱根の山のドライブの後、芦ノ湖で水上スキーをするのは若大将シリーズの二番煎じの香りがプンプンする。

⒊東宝の若手女優
星由里子以外の出演女優陣は見かけない女優が揃う。星由里子はすでに若大将シリーズでスターになっている。格でクレジットもトップ扱いとするけど、黒沢年男の恋人にはならない。恋人役が定まらないのは中途半端。東宝の看板内藤洋子はデビューしていたけどまだ16歳、酒井和歌子が17歳なのでちょっとこの映画には無理がある。むずかしい局面だ。黒沢年男の妹役は松本めぐみでなかったら、岡田可愛かな。

現在無名でも女優陣はみんな東宝らしい都会派の雰囲気を持っている。特にいいのが沢井桂子東宝女優らしい気品がある。同じように東宝女優らしい美貌を持つ藤山陽子の方が少し年上だ。「お嫁においで」では加山雄三のお相手だったけど、この後内藤洋子と酒井和歌子の人気に押されてしまったのが残念。


現在でも、TOHOシネマに行くと、次回作紹介で福本莉子が出てくる。彼女を見ると伝統的東宝女優らしさってあるのかなと感じる。
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映画「ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ」

2024-05-27 18:35:39 | 映画(日本 2022年以降 主演男性)
映画「ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ」を映画館で観てきました。


映画「ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ」は1972年11月革マル派の集団から中核派のスパイという疑いを持たれてリンチの末亡くなった早稲田大学2年生川口大三郎さんの話を中心に学内での内ゲバを描くドキュメンタリーである。監督は代島治彦だ。リンチの再現映像も組み込まれている。立花隆が綿密に調べて書いた「中核と革マル」を読んで、当時の大学構内での内ゲバの酷さは知っていた。自分は学生運動の連中は人間のクズと思っているクチで、大嫌いなやつらだが、怖いもの見たさで映画館に向かう。

早稲田大学第一文学部校舎の学内で、革マル派の闘士に囲まれた早稲田一文2年生川口大三郎さんがリンチを受ける再現映像からスタートする。当時、早稲田大学の自治会は革マル派によって牛耳られていた。川口さんは中核派からスパイで侵入している疑いをもたれて、オマエの同志は誰だと拷問を受けている。次々にゲバ棒で叩かれる。リンチは延々と続き、そろそろ終えようとした時に、川口さんがグッタリする。あわてて蘇生措置をしてもむずかしい。唖然とする革マル派の闘士を映し出す。


再現映像の後は、当時の学生集会などの映像が実際に残されていて、それをドキュメンタリータッチに編集する。「ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ」を書いた樋田毅をはじめとした当時の闘士たちの証言だけでなく、池上彰や佐藤優などもコメントを寄せる。この当時、それぞれの派同士の内ゲバで、100人以上が亡くなった。悲惨である。当時学生運動にうつつを抜かしたのは本当にクズな連中だ。

思ったよりもリアルで興味深い映画だった。
1960年代から1970年代の学生運動の歴史も日本現代史の暗部として語り継ぐべきものだとおもう。この映画を観ても、何てクズな奴らだと思うけど、みんな狂っていたのだ。川本三郎「マイバックページ」のように、現代の俳優が演じて当時の出来事を映すのもいいが、この映画には早稲田大学内での学生集会を映す8ミリ映像が多い。よくぞ残していたものだ。長髪の学生たちの風貌が、いかにも70年代前半だ。川口さん死亡事故のあと革マル派のトップ田中敏夫が吊し上げをくらう映像もある。そのため、リアル感が強くなる。


文学部にできた新しい自治会のトップである原作を書いた樋田毅が、革命であれば暴力も肯定する革マル派に対抗して非暴力思想で一般学生を集めた。樋田の立場が映画の基調になる。ただ、非武装の考え方自体が気にくわないと思うかつての闘士である論客もいるようだ。

映画内でインタビューを受ける当時の闘士は比較的現代のリベラルと言われる人たちだ。著者の樋田毅朝日新聞で長年幹部だったし、岡本厚「世界」の編集長の後岩波書店の社長になる。革マル側で親友を襲撃で亡くした石田英敬はフーコーを扱う元東大教授だ。

その他の元闘士も含めてインタビューされている部屋は大量の書物に囲まれたそれなりのレベルの生活をしていると思しき印象を受ける。それぞれの顔に鋭角的雰囲気を感じない。穏やかな印象だ。まさに「リベラル」という名で現在も金儲けしている人種だ。ピケティ的な言い方をすると「バラモン左翼」と言っても良いだろう。そんな嫌味な部分は強くても、当時を回想するみんなの言い分が興味深い。


たった5~7年くらいしか自分の歳と変わらないのに、70年代後半に入学した自分の大学にはほとんど学生運動系の立て看板はなかった。教室の中に飛び込んでくる変な左翼学生を数回見たが,ほとんどいない。早稲田では見たことはある。でも、学生運動に毒された早稲田に進学した高校の同期はいない。

一体70年代前半の異常な学生は何だったのだろう。ところが,自分と同じ時期に大学に通った佐藤優や百田尚樹のような同志社の同窓生の文章を読むと,学内に左翼学生が大勢いたようだ。ずいぶんと東西とで違ってたものだ。京都にはやっぱり左翼が多いのかなあ。
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映画「関心領域」 

2024-05-26 15:01:22 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「関心領域」を映画館で観てきました。


映画「関心領域」は悪名高きアウシュビッツ収容所の内部でなく、すぐそばに住む収容所長の自宅に焦点をあてる英国のジョナサン・グレイザー監督の作品である。カンヌ映画祭グランプリやアカデミー賞の国際長編映画賞と音響賞も受賞している。言葉はドイツ語でドイツ人俳優が演じる。妻役のザンドラヒュラー「落下の解剖学」でも主演だった。ナチスドイツを扱う映画は多い。ほとんどスルーだが、昨年の「アウシュヴィッツの生還者」は年間通じても指折りの傑作だった。怖いもの見たさで映画館に向かう。

1945年、アウシュビッツ収容所の隣で幸せに暮らす家族がいた。庭にはプールもあるその家の主は収容所長のルドルフ・ヘス(クリスティアン・フリーデル)で、夫婦と2人の息子と2人の娘と赤ちゃんがいる。のどかに生活している。
窓から見える壁の向こうでは大きな建物から赤い炎と黒い煙があがっている。そして、たえず音が聞こえる。収容所内部の光景は一切描かれず、ヘスの一家がそれを見ることもない。


どう解釈するのかむずかしい映画だ。
欧米では日本よりもアウシュビッツ収容所の存在は重く捉えれている感じがする。これまでの収容所を題材にした映画では残酷なシーンが続いていた。ここでは何もない。映画「オッペンハイマー」で最初から最後まで不穏な音が鳴り続いていた。この映画も同様である。

この音をどう表現するのかむずかしいが、コンサート会場やディスコの外で聞こえるドスのきいた音というイメージを持つ。そして、その中に銃声と思しき音や叫び声に近い音が混じる。そんな音を聞きながら、家族は生活している。壁の向こうの煙突からは勢いよく煙が上がっている。そんな場所でも、理想的な家庭というイメージしかない。妻(ザンドラ・ヒュラー)はこの地からの異動を恐れて、ずっといたいと思っている。


ハンナアーレントが戦犯アイヒマンの裁判で感じた「悪の凡庸」の言葉が脳裏に浮かぶ。映画の中で流れる音を聞くと、自分は極めて不穏な印象を持つが、家族がそれを不快に感じていないのが奇妙である。それでも、川遊びをした子供たちを風呂で丹念に洗うシーンが印象的だった。


映画のラストに向けて、ハンガリーのユダヤ人を大量に収容所に移送する話があった。独ソ戦に加えて、米国の欧州上陸で挟み討ちにあいナチスの戦況はこの時期最悪だったはずだが、この場に及んでまだまだ収容所で処理しようとする話に驚く。評価は高いけど、自分は苦手
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映画「ありふれた教室」 レオニー・ベネシュ

2024-05-23 19:54:02 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「ありふれた教室」を映画館で観てきました。


映画「ありふれた教室」はドイツのある初等教育7年生(12歳)の教室の話である。ここのところ邦画ばかり見ていたが,まともだと思われるドイツ映画を選択する。トルコ系ドイツ人イルケル・チャタク監督の作品。ドイツ映画界では各種賞を受賞している作品だ。大学でフランス語選択だったので,ドイツ語には馴染みが薄い。解説には中学校1年となっているが、ドイツと日本では教育体系も異なり映画内どおり7年生と呼ぶ。

予告編では暗そうな雰囲気であったが,観てみると最初から最後まで目が離せない展開であった。

熱心で、正義感の強い若手女性教師のカーラ(レオニー・ベネシュ)は,新たに赴任した学校で7年生のクラスを受け持つ。構内では盗難事件が頻繁に起きていた。その犯人として教え子が疑われる。校長らの強引なクラス内調査に反発したカーラが職員室に隠し撮りを仕掛けると、動画にはある人物が着ている洋服が映っていた。

服を着た当人を問い詰めると否定する。解決に校長を巻き込むと校内の関係がおかしくなる。校長を含めた対応は生徒にまで噂となって広まり,学校中を巻き込む騒動となる。


まぎれもない傑作である。
話の内容から,好きかどうかと聞かれると微妙だが、映画としてはすばらしいリズミカルなテンポと主演女優及びクラス内の生徒の掛け合いがリアルで実際の学校にいるような感覚を持つ。良い映画に出会ったと思う。

⒈リズミカルな展開
取り上げる逸話が多い。簡潔に一つ一つのシーンを要点がわかるように映し出してテンポよく次のシーンに移っていく。小さな山をリズミカルにつなぐ。緊張感が最後まで途切れない。長い上映時間になりつつある最近の日本映画では時間を費やすだけの無駄な長回しが多い。そんな日本映画を見慣れてきたので,逆にすばらしいと感じる。

⒉強い女
主人公は日本の小学校のように7年生に対して何でも教える数学も体育も教える情熱的な担任の教師だ。テキパキしているし正義感も強い。苗字がノヴァクと言うので,「めまい」の名女優キムノヴァクを思い出す。ポーランド出身の設定だ。でも、自分が生徒だったら最も怖い教師と思うタイプだ。授業中怠けづらいタイプだ。カンニングも見破る。体育の授業中外に退避した連中を強引に連れ戻す。ライターを持っている女生徒も見つける。

女教師が主人公になる映画やTV番組はあれど,この女性主人公カーラほどみんな強くはないすぐ泣いてしまう。絶対こんな形になったら,日本映画だったら泣くなと思っても、絶対に泣かない。女々しくない。本当に強い女だ。ただ、今回は泥沼に落ち込む。保護者会で問い詰められ、過呼吸症になってトイレのゴミ箱にあるビニール袋で息を吸う場面が見どころの一つだ。


⒊担当クラスの生徒をかばう主人公
実は、隠し撮りで引っかかる女性は学校の同僚教師で、担任クラスの生徒の母親でもあった。あり得なさそうなすごい状況だ。動画にはっきり映っていても否定されて、成績優秀な息子との関係も悪くなる。こんな事件があって母親は学校に来れなくなるが、息子は懸命に母親をかばう。主人公の立場は微妙だ。そんな時、教え子である息子が突然暴走するのだ。


暴走は危険領域を越える。でもそんな生徒を主人公カーラはかばう。微妙な瞬間が続く。そしてエンディングに向けて、伏線の回収でもあるルービックキューブがポイントになる。精一杯のラストへの持っていき方は悪くない。
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映画「碁盤斬り」 草なぎ剛&白石和彌

2024-05-22 21:21:39 | 映画(日本 2022年以降 主演男性)
映画「碁盤斬り」を映画館で観てきました。


映画「碁盤斬り」草なぎ剛主演の時代劇。メガホンは時代劇初の白石和彌監督が取る。監督の作品は必ず観るようにしている。予告編で古典的仇討ちの色彩を感じ取る。ストーリーには碁が絡む。大枠としては、太宰治「走れメロス」のような物語の構成である。時代劇となると年齢層が上がる。根強い時代劇ファンが映画館にも目立つ。これはこれで良いことだ。

江戸の貧乏長屋に暮らす浪人柳田格之進(草なぎ剛)とその娘お絹(清原果耶)は故郷の彦根を離れて暮らす。ひょんなご縁で大店の主人萬屋源兵衛(國村隼)と囲碁を通じて親しくなる。


故郷から同僚の武士(奥野瑛太)が来訪して過去に彦根を離れた理由がわかり,仇討ちをしようと旅立とうとする。萬屋の主人と碁をうっている部屋でなくなった50両のお金のありかがわからず,柳田に盗みの嫌疑がかかる。清廉潔白の柳田は無罪を主張するが,お金は見つからない。吉原遊郭の主(小泉今日子)にお絹を人質にして50両を借り、萬屋の弥吉に金を渡して仇討ちの旅に出て行く。

典型的な時代劇を現代の人気俳優と人気監督で撮った作品である。
十分堪能させてもらった。

松本幸四郎のわざとらしい演技でレベルを落とした「鬼平犯科帳」よりは出来が良い。演技派として力をつけている草なぎ剛もよく見えた。

時代に応じて的確にセットに落とし込んでいる。やじ馬町人が多い貧乏長屋も女郎が多い吉原遊郭の雰囲気も巧みに映像に反映されている。すると背景がよくできているので登場人物の存在がリアルになる。陰影を強調した撮影もよかった。

⒈碁盤斬りの題名
残念ながら自分は囲碁には明るくない。碁盤の上に映し出される対決の形勢は全く白黒で見分けがつかない。的外れかもしれないが,今回は囲碁を巧みにストーリーの中に盛り込んだ話だと感じる。國村隼と戦う場面だけでなく、最終的に斉藤工と草なぎ剛が碁で対決する場面なども含めて,形勢の有利不利をうまくストーリーの中に盛り込んでいた。

囲碁場面が多いので,題名が出たと思ったら,意外なところで題名の根拠がわかる。これはうまい!


⒉時代劇の典型
毎度同じような題材になるのは仕方ないだろう。それをわかって誰もが見に来ている。今回は仇討ちだ。亡くなった妻は自ら身投げしたわけだが,そのきっかけを作った男(斎藤工)を討つのが今回のテーマである。仇となる武士が弱いと,話が盛り上がらなくなる。相手も剣で相当な力を発揮する。囲碁もうまい。手怖い相手でないと観ていてドキドキしない斎藤工は割とチャライ役をやることも多いが,今回は荒くれ者の役をうまくこなしたと思う。


加えて、市村正親賭け碁の胴元の親玉を演じる。この使い方もうまい。いかにも江戸時代の任侠の男だ。現代時代劇としてはワンランク上の出演者が揃えられた。

⒊走れメロス
太宰治「走れメロス」では,主人公が妹の結婚式を見届けるために3日その場を離れて戻ってくると約束をする。もし戻ってこなかったら、親友の男を殺してもいいと言って、主人公は旅立つのだ。今回は,もし自分が戻って来れなかったら,娘を小泉今日子が主の吉原遊郭の遊女として働かせても良いと言う約束のもとに旅立つ。


小泉今日子に貫禄を感じる。清原果耶は自分が好きだった「青春18×2」で魅力的な主人公を演じた。それに比べると影が薄いが、演技の幅を広げた印象を持つ。
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映画「ミッシング」石原さとみ&中村倫也

2024-05-20 21:51:23 | 映画(日本 2019年以降主演女性)
映画「ミッシング」を映画館で観てきました。


映画「ミッシング」石原さとみ主演の行方不明になった娘を懸命に探す両親と事件を追うTV局との関係を描いた作品だ。「空白」吉田恵輔監督のオリジナル脚本である。ここのところ洋画にこれといった作品がなく、邦画を続けて観ている。「ミッシング」は後回しの予定であったが、石原さとみの熱演のうわさを聞き、とりあえず観に行く。

吉田恵輔監督作品は好き嫌いがあって、個人的には「空白」はイマイチで、負け続けるボクサーを描いた「BLUE/ブルー」と奇妙な三角関係の「さんかく」が好きだ。今度は気にいる気に入らないどっちに振れるかと思いつつ、映画館に向かう。

静岡の沼津、沙織里(石原さとみ)の6歳の娘が失踪する。預けていた弟と別れた後だった。夫(青木崇高)と共に街頭でビラを配り、懸命に捜している。TV局のディレクター砂田(中村倫也)は事件を取り上げ特別枠で放映される。しかし、娘の失踪時に沙織里がアイドルのライブに出かけていたことが判明して、ネットでは母親失格と中傷される。


視聴率を気にする局の上層部は、寸前まで娘と一緒だった沙織里の弟の証言に疑惑を持つ。上司命令で弟をテレビに登場させるように姉沙織里に依頼するが、SNSで犯人扱いされてしまう。

話自体に不自然さを感じて事前予想と異なる印象を持った。
石原さとみは好演だが、演じるキャラクターがイヤな女で好感が持てずまったく心を動かされない。むしろ、TV局のディレクターを演じた中村倫也板挟みの面倒な役柄をこなした印象をもつ。自閉症的な弟の存在も悪くはない。

舞台は静岡の沼津だ。人口20万程度の町の方が映画ロケはやりやすい。漁港のある沼津らしい海岸ぺりのシーンも多く、海辺の空気感もある。主人公の夫も魚市場に勤務している。ただ、こんな所で頻繁に誘拐事件が起きるのかな?といったそもそも論やSNSに振り回される住民がいるのかな?という疑問をもつ。「空白」の時も同じように思ったが、吉田恵輔監督が強引に話をつくっている印象をもった。犯人の存在を明らかにしない手法にも無理がある。

1.SNSによる誹謗中傷
事前情報では、SNSの誹謗中傷に翻弄される主人公という設定に思えたが、映画を観ると、それで落胆するような人物ではなかった。石原さとみが泣きわめいても常に強気でまったく何とも思っていない。途中でSNS上で中傷した人物を訴える場面があってもとってつけた感じを持つ。でも、SNS上に連絡先を伝えているためにイタズラする悪い奴が出てくる。

沼津に住んでいる主人公に愛知の蒲郡で見かけたとSNS上で発信。夫と蒲郡まで向かうが、途中で連絡がとれなくなる。挙げ句の果てにはアカウントがない。ひどい話だ。でも、こんな話はSNS上ではいくらでも転がっているかもしれない。

2.テレビ局の視聴率ねらいの取材
静岡のローカル局でしかも沼津、そんなに事件なんか起きるわけがない。少女の失踪事件でTV捜査網を張るなんて話はありえそうだ。ただ、それがエスカレートしていく。コンサートに行った時預かった主人公の弟に疑いの目が向けられているので、強引に嫌がる弟の取材をする。観ていてイヤなシーンだが、状況上仕方ない。TV局における視聴率への執着もテーマになる。


局の幹部と取材者との狭間にいるTVディレクターの存在は巧みにクローズアップできたと思う。地方都市では地元TV局に勤務する連中はエリートだ。中村倫也地方のエリートぽい雰囲気をかもし出していて適役だった。稚拙な若手女子社員特ダネに異様に執着心を持った男子社員との対比もいい。

被害者の親である主人公石原さとみがだんだんとTV局の言われるままになり、カメラ前で演技するようになる。印象に残るシーンとして、TV局が主人公石原さとみへのインタビューをしているときに、泣きながら答える石原さとみのセリフの中に「何でもないようなこと」と失踪事件を指すのを聞いたカメラマンがそれを訂正してやり直すシーンが気になった。


3,偽りの知らせ
もしかしたら、この映画のいちばんの見どころかもしれない。方々に手を尽くしてうまくいかない主人公の元に「お嬢さんが保護された」とTELが来る。歓喜して警察署にすっ飛ぶ2人のそばにはTV局のメンバーもいる。慌てて警察署に向かっていくと、対応する警察官からそんな知らせはしていないと。娘がいないで叫ぶ石原さとみが失禁している。ディレクターはその映像を撮るのを制止する。
蒲郡の件もそうだが、こんな悪さをする奴が存在するのかもしれない。最近のオレオレ詐欺の手口で電話番号を0110にして、相手を信用させるのがあるらしいね。何でこんなことやるんだろう。
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映画「赤頭巾ちゃん気をつけて」 岡田裕介&森和代

2024-05-19 20:21:07 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「赤頭巾ちゃん気をつけて」を名画座で観てきました。


映画「赤頭巾ちゃん気をつけて」は,1970年の東宝映画。芥川賞受賞作品で庄司薫の160万部を超える大ベストセラーの映画化である。監督は森谷司郎だ。当時、小学生だった自分はまだ学生運動にもベストセラーにもご縁がなかった。この小説を読むのは高校生になってからである。

戦前の東京府立一中時代からの流れで都立日比谷高校は, 1968年に灘高校に1名抜かれるまで戦後東大合格者高校別進学数で常にトップだった。首位奪還を明言こそしないまでも狙っていたであろう。

都立高校に学校群制度が導入され、日比谷高校が11群3校のうち1校にすぎなくなった。日比谷高校は,1969年に学校群前の最後の生徒が卒業する。しかも同じ年の東大紛争の後、東大入試中止が判明する。その直後の日比谷高校の3年生庄司薫の心の動きを示す物語である。作家の庄司薫はペンネーム日比谷高校のOBでずっと前に卒業している。主演は自ら日比谷高校出身者でもある後の東映社長岡田裕介である。

映画は東京タワー近くの上空から俯瞰する映像で始まる。現在の高層ビルが立ち並ぶ港区付近の光景とは全く異なる。唯一高いビルが霞ヶ関ビルであり,ホテルニューオータニである。その一角に日比谷高校は位置する。上空から日比谷高校を映し出す映像からこの映画はスタートする。

1969年2月東京の住宅地に住む日比谷高校3年生である庄司薫(岡田裕介)は、由美(森和代)と幼馴染で意識し合う間柄だったが、最近つれない。安田講堂に立てこもった学生たちが検挙された後で、東大は1969年度の入試を中止する。近所のおばさん(山岡久乃)からは、京都に行くの?一橋を受けるの?としつこく聞かれる。大学進学自体をやめようと考える薫がそういうと、やっぱ東大を目指すのねと言われて当惑する。

まさに昭和テイストの強い青春ものである。
名画座での昔の東京を題材にした特集の一本である。1970年は大阪万博の年であると同時に70年安保の年でもある。街にはゲバ棒を持った学生たちもまだいる。「赤頭巾ちゃん気をつけて」東大入試中止を題材にした当時としてはアップデートな話題を小説にして大ベストセラーになった。映像では手持ちカメラで粗く街行く人を映す場面も多い。今だったら肖像権で大騒ぎしそうだ。どんくさいしラフな印象だが悪くはない。


⒈昭和40年代半ばの光景
大谷石塀で囲まれた主人公薫の家は、閑静な住宅街の一角にある。広い庭があり。貫禄ある母親は着物を着ていて、自宅には若いお手伝いさんがいる。昭和40年代半ばまではこの手の家はよくあった。外にはブルーバードが止まっている。同じ車が自宅にあったので懐かしい。

ピンキーとキラーズの世紀のヒット曲「恋の季節」は1968年の大ヒット曲だ。歌謡映画のように本物の今陽子が出てくる。ゴーゴーガールが後ろで踊っている。男女が上半身裸になって踊りまくるが、こんな店あったのだろうか?

⒉意味不明な学生たちの言葉
日比谷高校の中にはカメラはさすがに入らない。赤坂見附の駅から急な坂を登る通学路の途中で、高校内の急進派と出会う場面がある。小説家志望だった友人が薫の家に遊びにきてだべるが、まったく意味不明なセリフを延々と話す。高校生にしても、大学生にしても学生運動にハマっている連中にろくなやつはいない

それこそ,日比谷高校の大先輩にあたる日本の知性加藤周一がこんなことを言っていた。
「左翼政治理論といったものは,耳慣れぬ抽象的な言葉がたくさん出てきて,どこがどこへ続くのかわからない。」
「そういう論文を書いた筆者である学生の知的能力の限界です。社会科学のもっともらしい言葉が、無数にくり出されてきて,それぞれの言葉の定義が明らかでなく,整理もつかず,辻褄も合わず,何を言っているのか、誰にもわからないと言うのは,筆者の頭の混乱を示していている。」
(加藤周一 読書術 p186)
まったくその通りだ。

⒊森和代のショートカット
この映画を観て儲けものだと思ったのが、幼なじみ由美役森和代の美貌である。早い段階で、芸能界から足を洗っているので,現在全く情報がない。ベリーショートに近いショートカットが似合う。ミニスカートに身を包むそのスタイルは抜群でテニスウェアも素敵だ。調べたら、何と森本レオと結婚しているらしい。ちょっと驚く。もったないないなあ。


⒋色っぽい医師の戯れ
こうやって、1970年のこの映画を見ていると,割とヌードシーンが目立つ。主人公が足の指を怪我して病院に行く。そこには薫の兄貴が昔付き合っていた女医がいる。その女医は白衣の下が裸のままだった。そこで思わず薫は妄想してしまう。その妄想シーンでバッチリ女医の森秋子のヌードが拝める。

ボリューミーではないがそそるヌードだ。最近の映画を見るとバストトップを隠す女優が多い。むかつく。むしろこのくらいの時代の方が気前が良かったのかもしれない。なかなか色っぽくていい女だ。


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映画「湖の女たち」 吉田修一&大森立嗣

2024-05-18 10:10:40 | 映画(日本 2019年以降主演女性)
映画「湖の女たち」を映画館で観てきました。


2007年のある時から、観た映画の題名をずっと記録している。ちょうど17年で3333本となった。3が並んだキリのいい数字の記念すべき作品になる。

映画「湖の女たち」は、大森立嗣監督が,吉田修一の原作を映画化した新作である。この2人は自分が好きな名作「さよなら渓谷」でもコンビを組んでいて楽しみにしていた。関西の湖のほとりにある介護施設で起きた事件の犯人探しに動く刑事と施設で介護職に就く人たちとのやりとりを中心にストーリーが進む。スタートから夜明けの湖の映像が不気味である。ムードは決して明るくない。

湖畔にある介護施設で100歳の寝たきり老人が亡くなった。事件の捜査にあたった西湖署の若手刑事の濱中圭介(福士蒼汰)とベテランの伊佐美(浅野忠信)が死因を確認すると、故意に人工呼吸装置が外されていることがわかる。これは殺人だ。

圭介は伊佐美から強い指示を受けて施設の担当介護士松本(財前直見)に執拗な取り調べを行なう。圭介は取り調べで出会った挙動不審な介護士佳代(松本まりか)に接近していく。


一方、事件を追う週刊誌の女性記者池田(福地桃子)は、この殺人事件と署が捜査を中断した薬害事件に関係があることを突き止めていく。調べていくと亡くなった老人が隠蔽してきた恐るべき真実に絡むことがわかる。

単なる老人の殺人にとどまらない重層構造のストーリーである。
取り扱う題材が多い。独立して映画ができるいくつもの題材を一つの映画に盛り込む。

ただ,主役2人の偏愛の意味は最後までよくわからない。

吉田修一、大森立嗣コンビの「さよなら渓谷」はじんわりと心に沁みる作品だった。真木よう子も大西信満もよかった。同じようなムードだけど、ただ長いだけになっているシーンも多かった。余韻ではなく無駄な時間が多い気がする。

松本まりかには偏愛も絡んだむずかしい作品だった。水中のシーンも含めて体当たり演技で頑張った。浅野忠信は性格の悪いパワハラ刑事役で福士のアタマを何度もこづく。刑事の熟練度で対比をみせるのは古典的刑事映画の手法だ。


題材が多い。
⒈介護施設において看護師と比較して地位の低い介護士
介護施設内でも序列があり、看護士より介護士の方が給与が低い。老人たちも看護士が薬を飲めと言えば飲むが、介護士の言うことは聞かない。犯人の疑いも介護士に向けられる。

⒉自白を強要する刑事の執拗な取り調べ
ベテラン刑事(浅野忠信)のパワハラがひどい。でも、警察署幹部は目をつぶる。財前直見演じる介護士はたぶん違うと若手が言っても、ベテラン刑事は他にありえないと若手刑事から無理やり自白させようとする。ひと昔前は常識と思われた自白の強要で、介護士の目の前に押印署名用の書類を置いて書けと強迫する。介護士が交通事故で負傷した後も繰り返す。


⒊第二次大戦中の731部隊の人体実験と薬害問題
ベテラン刑事は死者が50人も出た薬害問題の捜査に以前あたっていた。ところが、薬害問題を揉み消そうとする政治家からの圧力で捜査が中断する。今回は、週刊誌記者池田が問題の匂いを嗅ぎつける。そして、今回亡くなった故人の妻(なんと三田佳子久々見た)からも取材もしていくのだ。戦前あった故人の秘密があらわになる。戦後間もない帝銀事件の真犯人は平沢某ではなく、731部隊関係だと言われてきた。ずいぶんと壮大な話に転化する。


⒋優生思想
相模原の障がい者施設で起きた大量殺人事件とそれを題材にした映画「月」では、ヒトラー並みの優生思想で、生きている意味のないとされる障がい者が大量に殺される。それらに発想を得たのであろうか?同じように「生産性のない人は不要」と思う人たちが出てくる。それは意外な人物だった。

ネタバレに近いが、介護士の佳代を犯人のように仕立てて、ずっと追っていって、2つの事実を追う。この映画は最終的に断定しない。でも、万人がそうでないかと思わせる形で締める。くどいが、主人公2人の戯れはなんでこうなるのかよくわからない。
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映画「辰巳」 遠藤雄弥

2024-05-16 18:19:01 | 映画(日本 2022年以降 主演男性)
映画「辰巳」 を映画館で観てきました。


映画「辰巳」裏社会に生きる若者の仲間割れを描く現代のヤクザ映画。「ONODA 」小野田少尉を演じた遠藤雄弥が主演の辰巳を演じる。小路紘史監督の作品は初めて、監督自らのオリジナル脚本である。遠藤雄弥とちょい役で出る足立智充以外は知らない俳優ばかりだ。公開して久しいが、ずっと気にはなっていた。低予算の自主映画で感じる陳腐さを心配したが、その懸念は吹き飛んだ。

裏稼業で働く孤独な辰巳(遠藤雄弥)は、ある日元恋人・京子(龜田七海)の殺害現場に遭遇する。一緒にいた京子の妹・葵(森田想)を連れて、命からがら逃げる辰巳。片や、最愛の家族を失い、復讐を誓う葵は、京子殺害の犯人を追う。生意気な葵と反目し合いながらも復讐の旅に同行することになった辰巳は、彼女に協力するうち、ある感情が芽生えていく(作品情報引用)


序盤戦から電圧が体に響くレベルの高い作品となっている。よかった。
で生きるヤクザ集団の話だ。といっても、規模の大きなヤクザ集団の抗争をとり上げるわけではない。傘下組織レベルの男たちが仲間割れして殺しあうのだ。主人公辰巳は殺人があった後の始末が主な仕事だ。

取引する麻薬の数の辻褄が合わず、誰が犯人かと疑心暗鬼になり、巻き添いをくって女性が殺される。一方で殺した男の兄弟が殺された女の妹に殺される。徐々に殺し合いで入り乱れていくのだ。ある意味、辰巳も双方の争いに割をくった形だ。


理屈で動いているような連中ではない。ヤクザではない女も一緒だ。やっていることが全てハチャメチャでまともじゃない。瞬間湯沸かし器のように怒って暴れるアナーキーな連中ばかりだ。その連中を手持ちカメラで追う。臨場感がすごい。

あまり知られていない俳優が揃って低予算だと、軽い映画になって物足りないことが多い。ここではそうならない。俳優にもカネを使っていない上、ロケ地は廃車工場とか、セメント工場とか波止場で、高級車をつぶしたり海外ロケが多い韓国アクション映画のような予算取りではない。

それでもヤクザ役の俳優たちの熱気がすごく、パワー全開である。不自然さを感じさせない演技力で昇華する。演技力小路紘史監督の演出力も効いているのだろう。今回1番の悪役倉本朋幸「仁義なき戦い 広島死闘編」での千葉真一のように凶暴で猛獣性を兼ね備えていた。各俳優にこれをきっかけにメジャーになろうとする上昇志向を感じた。


最後に向けて,新宿歌舞伎町の風林会館近く裏手のごちゃごちゃした路地が映し出されるのに気がついた。あやしいエリアだ。自分も何度か行っている「上海小吃」という中華料理屋がある。気の利いた人が接待をしてくれたこともある店だ。店内がバトルの場面で使われているので驚いた。エンディングロールで「上海小吃」の名前が出てきて間違いないと確信した。よくロケさせてくれたなあ。そのおかげでこの映画の詰めが一層よく見えた
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映画「不死身ラヴァーズ」松居大吾&見上愛

2024-05-15 18:30:08 | 映画(日本 2019年以降主演女性)
映画「不死身ラヴァーズ」を映画館で観てきました。


映画「不死身ラヴァーズ」高木ユーナの同名恋愛漫画の映画化。「ちょっと思い出しただけ松居大吾監督がメガホンを持つことで気になる作品だ。あの映画が好きだ。主演の見上愛と佐藤寛太はあまりよく知らない。「青春18×2」観て以来、ラブストーリーが急に見てみたくなった。映画ポスターで主演は小松菜奈かと思ったら,見上愛だった。2人はよく似ている。

長谷部りのは幼い頃生死をさまよう病気をしたときに,ベットで同世代の少年甲野じゅんと出会い,思いがけずに回復してしまう。


やがてりの(見上愛)は中学生になり、甲野じゅん(佐藤寛太)と再会する。陸上部員として苦楽を共にして「好き」と打ち明けた時、突然じゅんが目の前から消えてしまう。高校生になってからも音楽部に所属するじゅんと出会うがまた消える。やがて大学に進学したりのが部活勧誘を受けてじゅんに再び再会した後で、じゅんが病気を抱えていることを知る。

ほのぼのとしているムードでも一途なラブストーリーである。
田舎町が舞台でのんびりとしたムードでストーリーが進む。エンディングロールで山梨県上野原市がロケ地とわかるが近くに水量の多い川が流れる緑あふれる場所だ。甲野じゅんが住む家は和風の古家だけど雰囲気がある。大学に入ると海辺の家だ。それも含めてロケハンには成功している作品だ。

見上愛小松菜奈に似ている。カエルのような顔をしている。一途な愛情を保つりのにぴったりの愛嬌のある女の子だ。実は出演作を見るとこれまで見てきた映画が多い。あ、そういえばあの時出ていたのかと思ってしまう。今まで存在を意識した事はなかった。ある男性のことを思い続ける、まさに愛の肯定だ。ロマンチックな話だけど、そこに難病の存在で変化をつける。


そもそも人が目の前から消えてしまうなんてありえない。まさに漫画チックなファンタジーだ。成長していくたびにじゅんに出会う。まさしく反復だけど、予想通りに進む寸前で若干の変化をつける。この辺りのかわしはうまい。あとはりのと同級生の男の子田中の使い方も上手い。途中から行きつけのバーのマスターになる。普通なら三角関係になるのにならない。徹底的に恋愛の肯定を追求する一方で、男女間の友情も追う二股がめずらしく成功する。


あとは最後の主題歌澤部 渡(スカート)「君はきっとずっと知らない」が良かった。
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