武弘・Takehiroの部屋

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血にまみれたハンガリー(8)

2024年05月03日 02時10分24秒 | 戯曲・『血にまみれたハンガリー』

第四場(ブダペストの首相官邸。 ナジがいる所に、国防相のマレテル・パール将軍が入ってくる)

マレテル 「総理、お呼出しにより参りましたが、どういうご用件でしょうか」

ナジ 「将軍、一体、ソ連軍の動きはどうなっているのかね」

マレテル 「東部国境から進攻してきたソ連軍は、一向に撤退する気配を見せていません」

ナジ 「うむ、アンドロポフ大使からの報告によると、ソ連政府はハンガリーにいるソ連人の生命と安全を保護するために、やむなく必要最小限の兵力を投入しており、それを認めてほしいとわが政府に連絡してきた。

 確かに、地方の各都市では、武器を持った労働者達がソ連人を威嚇しているのは事実だが、それにしても、相当の大部隊がブダペストを目指して進んでいるようだ。 まさかソ連が、本格的に軍事介入してくるとは思えないが、どうも気がかりでならない。 将軍はどう思う?」

マレテル 「わが国は昨日、ワルシャワ条約を廃棄して中立を宣言したのですから、こちらの要請もないのに、ソ連の大軍がハンガリー領内に続々と進入してくれば、これは正しく“侵略”です。 ハンガリー軍としては、20万の将兵が一致結束してソ連の侵略軍と戦う以外にありません」

ナジ 「いや、そういうことではなく、ソ連は本気で軍事介入を目論んでいるかどうかということなんだ」

マレテル 「それは分かりません。 ソ連軍の撤退交渉については、先方も誠意ある態度で臨んでいるように見えますが、真意がどうなのかはつかむことができません」

ナジ 「ふむ・・・ ソ連政府はここ数日、柔軟な姿勢を見せている。昨日、わが国の中立とワルシャワ条約廃棄を宣言した後でも、ソ連は特に抗議らしいことは言ってこなかった。 しかし、かえって不気味な感じがするな・・・ しかも、わが政府は国連に対し、ソ連軍駐留問題で提訴している。

 この問題では、いかにスエズ戦争で忙しい国連といえども、大多数の国がわが国に同情を示している。 従って、国際世論を無視し、ハンガリー国民と戦闘までして、ソ連が“中立国”であるわが国に侵略してくることはあり得ないと思うのだが、そう考えるのは楽観的すぎるだろうか」

マレテル 「さあ・・・楽観的とは思えませんが、なにしろ、相手はロシア人のことです。彼らは腹の中で、何を考えているか分かりません。 こちらが強ければ攻めてこないでしょうが、弱いと見れば、なり振り構わず付け入ってくるのが連中のやり方です。

 正直言って、ハンガリー軍の上層部や治安警察の中には、依然としてモスクワに忠実なスターリニストが大勢います。 従って、ソ連がこちらの団結が弱いと見越したとなると、何を仕掛けてくるか分かったものではありません。

 さらに、問題は社会主義労働者党の中にもあります。 党は本当に一丸となって、総理の政治路線を支持しているのでしょうか。 ポーランドの場合でも、ソ連はロコソフスキーにクーデタを起こさせようと、陰謀を企んだではありませんか。

 幸い、あれは失敗に終りましたが、わが党は本当に一致結束して、総理を支持してくれると信じて良いのでしょうか。 老婆心かもしれませんが、その点が心配です」

ナジ 「うむ、確かに党内には、まだ“隠れスターリニスト”どもが“うようよ”している。 しかし、カダルもアプロもミュニッヒも、新しい指導部は私を全面的に支持しているし、これまで私の政治路線によく協力してきてくれた。 党が私を裏切るようなことは、絶対にないと断言してもよい」

マレテル 「それを聞いて安心しました。 ただし、カダル第一書記はともかくとして、あのアプロやミュニッヒ達は、これまでの経歴から見れば、油断のならないオポチュニストですからね。十分に御用心された方がいいと思います」

ナジ 「うむ、しかし、アプロ達はラコシやゲレーとは違うからな。勿論、十分に用心するとしよう。 ところで、明日のソ連との撤退交渉はどこで行なわれるのだ」

マレテル 「先方は、テケルのソ連軍司令部にしてほしいと言ってきました」

ナジ 「テケルだって? キリアン兵舎にソ連軍の代表団を呼んだらどうなのだ」

マレテル 「いえ、向うが是非そうしてほしいと言っていますので、緊急の折でもありますし、テケルに行くつもりでいます」

ナジ 「うむ、それでは、ソ連軍の早期撤退を実現するよう頑張っていただきたい」

マレテル 「承知しました。全力をあげてやってみます。 それでは、総理、私はこれで失礼してキリアン兵舎に戻ります」

ナジ 「うむ、御機嫌よう」(マレテルが退場)

 

第五場(ブダペストの社会主義労働者党[旧勤労者党]の本部。 カダル第一書記の執務室。カダル、アプロ、マロシャン、ミュニッヒ)

マロシャン 「ハンガリーが中立国になり、ワルシャワ条約から脱退したというのに、ソ連軍の撤退交渉は一向に進展していないようだ。 いや、むしろ、ソ連軍は増強されつつあるという情報が入っている。ソ連は、本気で軍事介入するつもりじゃないのだろうか」

ミュニッヒ 「そういう心配もある。もしそうなったら、いくら20万のハンガリー軍が抵抗しても、又、いくら国民がゲリラ闘争をしても、精強なソ連の機甲部隊に太刀打ちできるわけはない。 第一書記はどうお考えですか」

カダル 「ソ連軍が何十万も攻めてきたら、到底、勝つことは無理だ。 しかし、ナジ総理やマレテル将軍は、ソ連軍が介入してくるとは考えていないようだ。われわれも、それに望みを託す以外にないでしょう」

マロシャン 「しかし、ナジ総理の情勢分析は甘いとしか考えられない。 中立国になりさえすれば、国際法の立場から侵略されないと思っているのだろうが、ナチス・ドイツだって、どこの軍事大国だって、これまで“いざ”となれば、中立国を侵犯してきた歴史があるではないか。 ソ連だって、その例外と思える根拠は何もないのだ」

ミュニッヒ 「大体、ナジ総理は一般民衆の声を聞き入れすぎて、冒険をしたとしか思えない。極めて軽率だよ。 一国の総理たるものは、民衆の威勢のよい要求をむしろ抑えて、慎重に対処していくべきなのに、総理といったら、民衆の進軍ラッパにそのまま乗っかって、自分が突っ走ってしまうんだからな。

 ワルシャワ条約廃棄と、中立化を決めたこの前の党幹部会の時も、ルカーチを始め何人もが、もっと慎重にやるべきだと主張したのに、ナジ総理は『もう時間的な余裕がない』などと言って、自分の方針を強引に決定させてしまったではないか。 第一書記もアプロ同志も黙っていたままでしたが、ああしたやり方で、本当に良いと思っているのですか」

カダル 「私は、ナジ総理に終始協力することを約束しているのだから、基本的には、あれで仕方がなかったと思っている。 ただし、あの時の党幹部会の決定については、確かに急ぎすぎた“きらい”があったと言えるかもしれない」

マロシャン 「ナジ総理は、国民に迎合しすぎますよ。 なるほど、ハンガリーはこれから民主化を進めていかなければならないが、それは何も、民衆の意見や要求を一から十まで受け入れるというものではないはずだ。 政府は高い立場から見て、是々非々の姿勢で、民衆の要求を取捨選択していかなければ、混乱や摩擦が広がるだけだ。

 それなのに、総理のやり方は、まるで民衆におもねりへつらう態度に終始している。 ああやれば、国民の人気を勝ち取ることは出来るだろうが、行政はかえって混乱し、収拾がつかなくなる場合だってある。 ナジ総理は、自分が“英雄”になったつもりで、人気取りばかりに気を遣っているとしか思えない。

 国内政治の面だけなら、混乱が起きても後で十分に修復することが出来るだろうが、外交問題で軽率なことをやれば、国家の命取りにもなりかねない。 今回のワルシャワ条約廃棄、中立宣言も、民衆の声に押し流された、極めて危険な選択だったと思わざるを得ない。 事を急ぐあまりに、ソ連の出方についての分析が、十分に行なわれていたとは思えないのだ」

アプロ 「それは、確かにそうだ。 私も基本的には、中立国になるのは反対ではない。国民の大多数がそれを望んでいるのなら、最終的にはそういう方向にハンガリーが進んでも良い。 しかし、ソ連の出方など、社会主義諸国の対応振りがはっきりしていない内に、ワルシャワ条約を一方的に廃棄して中立国になったのは、極めて危険な賭けだと思わざるを得ない。

 私も、もっと慎重にやるべきだと、ナジ総理に言っておくべきだった。その点は、私も反省している。 ただし、ナジ総理は、あなた方が言うような単なる人気取りの政治家ではない。彼は、むしろ“理想家”肌の政治家なのだ。

 これが良いと思ったら、一にも二にもそれに飛びついていく男なのだ。骨も実もある政治家だが、ただ理想家だけに、現実の情勢を無視して突っ走る危険がある。 今度の場合だって、そういう面が現われたと言えなくもない」

ミュニッヒ 「アプロ同志、今は政治家・ナジを論評している場合ではないですぞ。 私の不吉な予感では、ソ連は間違いなく軍事介入をしてくるとしか思えないのです。そうなったら、われわれはどうすべきなのだ。 銃を持って、愛国の情熱に盲(めくら)となっている民衆と共に、強大なソ連軍と戦わなければならんのか、それとも・・・」

カダル 「それともだって? 私はアンドロポフ大使にもはっきり言ってやった。『もし、ソ連軍がブダペストに侵入してきたら、私は国民の先頭に立って素手でも戦う』と。 われわれは、ラコシやゲレー達のような、腐り切ったスターリニストではないはずだ。

 ハンガリーを愛し、自由で民主的な社会主義国家を目指している、愛国者だという自負があるではないか。 われわれが断固戦うという決意を、ロシア人にはっきりと見せつけてやれば、ソ連といえども容易に攻め込んでくることは出来ないはずだ。

 ユーゴだってポーランドだって、そうした断固たる姿勢を示したからこそ、ソ連も諦めて手を引いたではないか。 ナジ総理をとやかく言うのもいいが、すでに采は投げられたのだ。もはや、われわれは、中立国・ハンガリーの一員として行動するしかないと思う」

マロシャン 「第一書記の言われることはよく分かります。 しかし、ハンガリーとソ連は、同じ社会主義国同士ですぞ。敵対していがみ合うよりも、仲良く友好関係で結ばれている方がいいに決まっている。 ソ連がわが国を収奪して支配下に置かない限り、同じ社会主義陣営の友邦同士として、共存していく方が望ましいではありませんか」

カダル 「すると、あなたは、ハンガリーが中立国になることに反対なのか」

マロシャン 「いや、中立国でやっていけるなら、それもいいでしょう。 しかし、ソ連は、わが国が中立国になることを絶対に望んではいないでしょう。だから、われわれとしては・・・」(その時、カダルのデスクの上にある電話が鳴る)

カダル 「ちょっと、待って・・・(カダルが受話器を取る) もしもし・・・えっ、アンドロポフ大使ですか・・・ええ、しかし・・・・・・分かりました、暫く考えさせて下さい。後でご返事します。 それでは」(カダル、受話器を置く)

ミュニッヒ 「アンドロポフ大使から電話ですか」

カダル 「そうです。 至急に是非、ソ連大使館に来てほしいということだ。一体、なんだろう。 政府に用があるなら、ナジ総理の所へかけるはずだが・・・」

マロシャン 「それで、暫く考えさせてほしいと答えたわけですね」

カダル 「うむ」

ミュニッヒ 「すぐ行った方がいいではありませんか」

カダル 「それが、『ナジ総理には、絶対に内密にして来てほしい』と言うのだ。その点が気になる」

マロシャン 「これは、何か重大な意味が隠されている。 思い切って行くべきでしょう」

カダル 「しかし、ナジ総理に内密というのが面白くない。一体、どういう了見なんだろう」

ミュニッヒ 「それは分かりませんが、第一書記を特に指名してきたのは、何か重大なことに違いありません。 情勢は切迫しています。アンドロポフの求めに応じて、すぐに行かれてはどうですか」

カダル 「・・・」

マロシャン 「まさか、第一書記を“生け捕り”にしようというのでもないでしょう。 ブダペストは、まだ完全にこちらの統制下にある。安心して行かれるのがいいでしょう」

カダル 「そんなことは心配していない。私はいつでも、ハンガリーのために死ぬ覚悟は出来ている。 しかし、どうしたらいいものか・・・アプロ同志、あなたはどう思いますか」

アプロ 「お二人が言うように、これは重大なことに違いありません。 構わんでしょう、一つ条件を出して、われわれも同行させてもらうということで、ソ連大使館に行きましょう」

カダル 「うむ・・・よし、それでは行くとしよう。 あなた方も同行するという条件で、アンドロポフに連絡しよう」(カダル、受話器を取り上げ、ダイヤルを回し始める)

 

第六場(テケルのソ連軍司令部。 マレテル将軍らハンガリーの軍人数人と、ソ連軍のマリニネ将軍ら数人が、長いテーブルを挟んで座っている)

マレテル 「貴国の軍隊の撤退問題については、ようやく原則的な合意に歩み寄ってきたようだ。 後は、細部の技術的な問題だけが残っているようだが、そのように理解してよろしいだろうか」

マリニネ 「そう理解されて、よろしいでしょう」

マレテル 「それでは、撤兵の具体的な期限を明示すべき時がきたと思うが、その問題の協議に入ってよろしいですか」

マリニネ 「結構でしょう。 ただし、先ほどから何度も言っているように、ハンガリーにいるソ連人の生命、安全については、万全の保障措置を重ねて確約してくれますね」

マレテル 「それは万全の措置を取ることを約束し、すぐ文書にしてあなたに提出します」

マリニネ 「ありがとう。 それでは、撤兵の具体的な期限を明示する問題について、協議に入りたいと思うが・・・」

マレテル 「その前に一つ、うかがっておきたい事がある。 われわれは今、貴国軍隊の撤退問題について交渉しているが、わが国の東部国境から、数個師団と見られる貴国軍隊が新たに越境し、デブレツェンからソルノクに至る付近に、進駐しているという重大な報告が先ほど入った。 これは一体どういうことなのか、説明してもらいたい」

マリニネ 「いや、そのような話しは一切聞いていない。 なにかの間違いではないですか」

マレテル 「いや、わが地方軍司令部からの報告だから、間違いない。撤兵交渉をしている最中に、貴国軍隊がハンガリー領内に新たに侵入してきたとなると、これは破廉恥極まる重大な問題だ。 この撤兵交渉自体が、まったく無意味なものとなる。しかと御返答願いたい」

マリニネ 「そんな新たな越境行動など、私は本国政府から何も聞いていない。 そんなことはあり得ないと思うが・・・」

マレテル 「それなら、この件については、直ちに本国政府に照会してもらいたい。 貴国軍隊の新たな越境があれば、この交渉自体がまったくの“茶番”ということになりますぞ! 一体、あなた方は本気で・・・」 (その時、ソ連秘密警察長官のセーロフ将軍が、緑の軍帽をかぶった、20人ほどのソ連内務省の民兵を引き連れて入ってくる)

セーロフ 「マレテル将軍、ならびにハンガリーの代表団諸君、あなた方を全員逮捕する!」(ソ連の民兵達、一斉に機関銃を構える)

マレテル 「なんだ、これは! われわれは撤兵交渉をしているのだぞ。誰の命令と権限によって、われわれハンガリー代表団を逮捕しようというのか!」

セーロフ 「そのことを、ここで一々言う必要はない。 さあ、大人しく外に出てもらいたい」

マレテル 「なんだと! 謀られたか・・・おのれ!」 (ハンガリー側の2人の警備兵が、機関銃をソ連側に向けようとするが、その瞬間、ソ連の民兵達10人ほどが襲いかかり、格闘の末に取り押さえられる)

ハンガリー代表団員一 「謀略だ! こんなことが許せるか!」

ハンガリー代表団員二 「汚いぞ! これがロシア人のやり方か!」

マレテル 「やむを得ん、私が甘かった。ロシア人の誠意を信じていたのが間違いだった。 さあ、どこへでも勝手に連れていくがいい!」(セーロフの先導に従って、ソ連の民兵達、マレテルらハンガリー人に機関銃を突き付けたまま、連行して退場)


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