南夕陽探偵事務所オフシャルブログ

2022.02.18.より北のこぐま 演歌のシンガーソングライターの書いていたブログを引き続きます

母の日です。

2021-05-09 21:41:00 | 日記
昭和や大正のおかあさんは、苦労の絶えない、頑張り屋のおかあさんが多かったようです。作詞の三条定子さんも今は80歳をすぎていますが、そのおかあさんとなるストーリーのおかあさんは大正から昭和を生きた頑張り屋さん
夜なべをしながら縫い物をしたり朝から晩まで寝る間もなく一生懸命だった時代背景も分かります。どこのおかあさんも(おしん)のような苦労をされていたのですね
おかあさん 歌北朝日旭(きたあさひ あきら)作詞/三条定子 作曲/岡崎有希

世界中のおかあさんにプレゼントします。おかあさん 歌/北朝日旭

2021-05-09 16:04:00 | 日記
昭和の元気な働き者のおかあさんを作詞の三条定子はリアルに描写しております。
世界中のおかあさん毎日ご苦労様、そして私たちを産んでくれ、元気に育ててくれて有難う
いつまでも元気でいて下さい。
2021年コロナ禍の中今日5月9日は母の日です。連絡の取れる人は今からでも感謝の気持ちを伝えましょう
毎年5月の第2日曜日が母の日です。

マイクくん第6回改定原稿

2021-05-08 11:53:00 | 日記
この年に三浦綾子さんの小説「氷点」か映画化され、市内のだいえい映画館から封切になったのです。
現作のロケ地が旭川である事もあり
ヒロインの陽子役の安田道代さんが映画の放映に先立ち今で言うキャンペーンに来られたのです。
だいえい映画館の支配人から市内の高校生が試写会に招待され私が高校生アナウンサーとして司会やインタビューなどを担当したのです。

旭川駅前にはホテルやテナント、飲食店の入ったビルがあり
ビルの中にHBC旭川放送局があったのです。
夏休みのアルバイトでリクエスト番組のはがき整理などしていた事もあり、
伝助(録音機)を借りインタビューするのでした。
そしてこの収録されだ内容の一部はローカル番組の中でも紹介されました。

校内放送でとんたハプニング

ある日の高校放送でスタジオと体育館を繋ぐ2元放送を体験しようと、
初めての中継を計画していた日の事です。
生放送本番の昼休みにスタッフが誰も来ないのです。
腹をすかせたスタッフは授業中に弁当を食べ先生に廊下に正座させられていたのでした。

そのスタッフの一人は今東京の歌声喫茶の役員として活躍されているようです。

カラオケが世に出る前に

テープレコーダーが欲しく父にお願いして中古のテープレコーダーを買ってもらいこの頃、HBCラジオで毎朝放送している歌の無い歌謡曲と言う番組から今で言う
カラオケの前進の演奏を録音して、コレクションを作っていたのです。
テープレコーダーも当時ではとても高価なもので私の大卒初任給4万円の4.5年前で2万円もしていたので、一般の家庭では持っている人は少なかったのです。
ですから学校祭ののど自慢を主催した伴奏で歌のない歌謡曲を使った初試みは市内の高校中に話題を呼んだのです。
第七回につづく

連載ブログ小説 マイクくん3

2021-05-08 00:00:00 | 日記
△○□さんは、外国映画の吹き替えの仕事もしていて、
アナウンサーに興味があった私は、吹き替えやアフレコ、アテレコをしているスタジオにも連れて行ってもらい声優になるチャンスを掴もうとしていました。
読売テレビから送られてきた沢山のテレビを見ましたと言うファンレターの中から国分寺の中学生と大学1年生の私は文通していました。
やがて私が大学2年生になり彼女も高校に入学した時に会う事になったのです。
アイドルスターのそっくりさんなのに私はファッションに無頓着で、サラリーマンのような服装でした。
都会のませた少女はタレント志願で有名な先生に歌も習っていました。
タレントの世界はテレビに出た回数やオーディションに合格したなどが凄い世界でいくら高い授業料を払って有名な作曲家の先生に習ってもコネでもないかぎり、テレビ局のプロデューサーの目に叶った私の方が凄い事に私は全く気がついていませんでした。
まして当時のアイドルスターのそっくりさんなのに上京する時に母から
派手な服装をしたり、長い髪をしてパーマなんかかけたりしたらいけませんと言われ真面目な髪や服装をしていました。
家が衣料品の卸屋なので自分で服など買った事は無かったのです。
しかもアイドルスターのOOちやんは
当時流行りのJUNやVANなどのブランドのファッションモデルのような
服装を着ていたのです。
だから彼女から北海道の田舎の服屋はダサいものしか無いのねとか?
クソ味噌に言われました。
都会の女子校生は私のいくつも上の大人のように感じました。
そして、私は彼女を心の中で国分寺の女王様と慕っていました。
最終的に彼女とはお別れするのですが私が声優の仕事をしたいと言った時女王様の鶴の一声でやめてしまうのでした。
当時の平尾昌晃さんの歌う
みよちやん
僕のかわいいみよちやんは
色が白くちっちやくて
前髪たらした可愛い子
あの子は高校2年生

と言う歌のように私の初恋は見事に
失恋に終わるのでした

このブログでは、他のブログでかいている
連載を追加して掲載のため
連載番号は原作の倍数です。
甘酸っぱい思い出
国分寺の女王様は、みよちやんのような高校生でしたが、
このころもう一人アナウンサーを目指して東京に上京したいと言う女子がいました。
東京にアナウンスアカデミーと言う所があってそこに行こうかな?
と言った相談に私は冷たくあしらったのでした。
と言うより、私の高校の先輩がそのアナウンスアカデミー出身でポルノ物の裏テープの仕事をしてみだらな生活をしてしまった馬鹿ものが一人いたせいで、とても伝統ある養成所なのに悪印象を与えてしまったのです。
本来なら少しでも多くの同じ道をめざす友達と情報を共有しなければならないのに、そんな所入ってもダメだよと言ってしまったのです。
彼女にとってそれは、私が国分寺の女王様から言われた鶴の一声で、それ以来彼女から連絡がなくなり彼女がどんな道に進んだのかもわかりません。又合唱部の先輩はH大に入学していました。
私達の時代は終戦後の第一次ベビーブームの時代で受験も就職も内緒で行動する者が多く、遊んでいると見せて敵を欺く事で勝と言う事を教えられた先生の影響を受け友達にも内緒で色々な事にチャレンジしてきました。
東京に在住していたH大の先輩も全てが事後報告です。
先輩の大学にプロダクションに所属している人がいて、この間OOと言うTVに出たよとかO△と言う番組に出るよとか?言うのです。
同じ郷里の先輩なのに水臭いと思いながら、自分も先輩に内緒で歌謡番組の予選に出たりしていたのです。
今考えると馬鹿なようなお話です。
4へつづく