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第3回「大マンガラクタ館」-「戦前の童画雑誌『カシコイ』の世界」

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2019年1月15日 「京都新聞 web」

 

 

 

 

 

開催日:2018年12月1日(土) 〜 2019年3月31日(日)

(1)『カシコイ』に掲載されていた童画の原画24点 ※入れ替えあり
 (2)『カシコイ』本誌や付録他、同誌を出版していた精文館の出版物
 (3)『カシコイ』で執筆していたマンガ家・中島菊夫の作品が掲載されたマンガ雑誌・単行本

〈荒俣大マンガラクタ館館長のコメントより〉
今からおよそ90年前、戦前の数年間に出版されたまま埋もれてしまった童画雑誌に『カシコイ』という共通タイトルがついた学年雑誌がありました。講談社や小学館のような大手出版社が出した人気学習雑誌と違って、小さな出版社ががんばって、当時いちばん才能のあった童話と童画の作家、および漫画家を起用した、個性ある雑誌でした。その雑誌に使われた原画や編集資料がひとまとめで見つかったのです。奈良にお住いの行司ぎょうじ千絵さんという方が、昔おじいさまの藤本卯一ういちさんが編集されておられた出版物に関心をもたれたのが、発見のきっかけでした。おじいさまの従兄弟である北村宇之松うのまつという方が創業した「精文館」で出版された『カシコイ一年小学生』と『カシコイ二年小学生』(昭和7=1932年創刊)です。この原画類が北村家と行司さんの手元に大切に保管されていたのです。
いわば学年雑誌の先祖のひとつですが、中身は今と大違いで、教科書風なところは少なく、当時有名だった童話作家の作品を、じつに美しい「童画」といっしょに載せた、子供の感性をはぐくむ絵本のように作られていました。それもそのはず、童謡顧問に北原白秋、童話顧問に浜田広介、童画顧問に初山滋、といった一流の先生方がチームを組んでいたのですから。漫画も、横山隆一や中島菊夫という人気画家が担当していました。そこで、この絵本みたいな学年誌を「童画雑誌」と呼びたいのです。
手塚治虫が登場するまで、子供の本や雑誌の花形といわれたのは、童画や漫画のタッチを生かした「挿絵」でした。当時人気があった描き手は、いま「絵本作家」として尊敬されていますが、じつは漫画の発展史をかんがえる上でも貴重な仕事を残しています。当マンガミュージアムの書庫を探したところ、『カシコイ』誌の現物をはじめ、漫画家として作品を寄せた中島菊夫の本や原画がたくさん保存されていました。この展示がきっかけになって、これからたくさんの発見が生まれることが期待されます。

https://www.kyotomm.jp/event/exh_kashikoinosekai/


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