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傷痍軍人京都療養所

場所:城陽市青谷

最寄り駅:京阪宇治交通バス国立病院前

 

 

 

 

現在、城陽市にある南京都病院は、もともと傷痍軍人京都療養所として結核にかかった将兵を収容するために
 
造られたところであった。
 
戦争遂行のために兵数を確保したい軍にとっては、結核という病気はやっかいなものであった。当時は根本的な
 
治療方法がなかっただけでなく、感染するということで患者は隔離し、なるべく一般人とは触れることがないよう
 
にしての治療が行われた。
 
当時の治療方法としては次の四つがあった。
 
第一,大気安静療法-空気がきれいなところで安静にする。
 
第二,栄養療法-カロリーの高いものをたくさん食べ、結核に打ち勝つ体力をつける。
 
第三,人工気胸療法-肋骨と肋骨の間に針を刺し肺へ。そこから空気を送り込み肺を圧縮し結核菌の排出を抑
 
える。だいたい一週間に一回、五〇〇CCの空気を入れる。
 
第四,外科療法。人工気胸療法と同じ理屈だが、肋骨を何本か抜き取り結核菌がある部分の肺を圧縮。それに
 
よりけ結核菌の排出を抑える。
 
以上の方法でも根本的な治療とはならなかったので、ここ傷痍軍人京都療養所でも毎日何人か死亡していた。
 
死体安置所の隣には解剖室があり、親族が死体と対面した後、結核治療確立のためすぐに解剖された。
 
この傷痍軍人京都療養所では、京都、福井、滋賀、岐阜、三重、奈良、大阪の結核にかかった軍人が収容され
 
た。
 
下記は開設時の流されたラジオ放送の概要。
 
「昭和十四年一月廿八日   
 
                    傷兵保護院業務局医療課長   
 
          京都府学務部長殿   
 
               傷痍軍人京都療養所業務開始ラヂオニユース放送依頼ニ関スル件   
 
   傷痍軍人京都療養所ハ、第一期工事ヲ完了シ、愈々近ク業務開始ノ運ビト相成候処、之ヲ貴地方一般ニ
 
周知徹底セシムル為、来ル二月一日傷痍軍人京都療養所ニ於テ同療養所ノ入所区域ノ各県学務部長及社会
 
課長並陸海軍病院関係者ノ事務打合会開催当日ニ左記概要ヲラヂオニユーストシテ貴地方放送局ヨリ放送セ
 
ラルル様可然御配意相煩度。此段及御依頼候。   

               ラヂオニユース放送概要(京都療養ノ分)   
 
   傷痍軍人京都療養所ハ、予テ綴喜郡青谷村ニ健(ママ)設工事中デアツタガ、此程第一期工事ヲ完了シ、
 
内部設備モ整備シタノデ愈々近日業務ヲ開始スルコトニナツタタメ、本日午前十時カラ同療養所デ同所ノ入所
 
区域タル京都、福井、滋賀、岐阜、三重、奈良、大阪各府県ノ学務部長及主務課長、関係陸海軍病院係官等ノ
 
出席ヲ得テ事務打合会ヲ開キ、傷兵保護院カラハ浜野医療課長、陸海軍省係官ガ臨席シテ、開所後ノ事務取
 
扱ニ付キ打合ヲ行ツタガ、近ク名誉アル傷痍軍人ヲ収容スルコトトナツタ。
 
   同療養所ハ、京都市ノ南方約四里、有名ナ青谷梅林ノ近クニアリ、北ニ山ヲ背負ツタ理想的ナ地ニ建テラ
 
レ、主トシテ結核患者及胸膜炎患者ヲ収容スルモノデアツテ、敷地面積ハ四万七千余坪、建物ハ百四十三棟、
 
此延坪数三千三百八十余坪ノ木造平屋建、一部ニ階建デアル。建築工事ニ先立ツテ京都府下ノ小中学校生
 
徒、男女青年団員、在郷軍人分会員、其他有志延二万九千七百名ガ敷地ノ整理ニ勤労奉仕ヲセラレタ。而シテ
 
之ガ設計ハ傷兵保護院、京都府庁監督ノ下ニ京都ノ山城市太郎氏ガ工事ヲ請負ヒ、昨年九月十五日着工、以
 
来鋭意工事ヲ急イデ昨年末第一工事ヲ終リ、本年五月末ニハ全工事ガ竣工スル予定デアル。   
 
   而シテ療養所ニ勤務スル医官ノ詮衡ニ当リテハ、文部省ノ協力ヲ得、所長ニハ京都帝国大学医学部助教
 
授タリシ寺内博士、以下優秀ナ人材ヲ得タコトハ銃後ノ施設トシテ洵ニ慶賀ニ堪ヘヌコトト謂フベク、又熾烈ナル
 
祖国愛ニ燃ユル看護婦志願者ハ三百三十一名デアツタガ、此ノ中カラ四十四名ヲ選抜シ、之等女性ハ昨年十
 
月以来日本赤十字社京都支部病院ニ委託シ、約三ヶ月間所定ノ教育ト実地訓練ヲ受ケテ白衣ノ勇士ニ奉仕ス
 
ル為待機シ、総テノ準備ガ整ツタノデアル。   
 
   此ノ療養所ニ入所スルニハ、現在陸海軍病院ニ在院中ノ方ハ其ノ病院長ヲ経由シ、及既ニ帰郷セラレタ方
 
ハ居住地府県庁ヲ経由シテ療養所長ニ入所申請書ヲ差出スコトニナツテ居リ、其ノ手続ニ就テハ陸海軍病院、
 
府県学務部社会課、市区町村役場、傷痍軍人身上相談所等ヘ申出レバ詳シク御話スルコトニナツテ居ル。」(京
 
都府立総合資料館所蔵 京都府行政文書昭14-107 「昭和十四年 傷痍軍人医療関係一件 社会課」)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
これに関する史料としては、管理人のサイト内にある「「昭和十四年 傷痍軍人医療関係一件 社会課」 京都府行政文書昭14-107」を参照。
 
 
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