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田中正明と松井石根の「陣中日記」-3

〈十二月一日〉

中央部は未だ十分目下の(119頁)
            ↓
中央部ハ未タ十分軍目下ノ(133頁)
 
 
〈十二月二日〉

今山支隊は(120頁)
      ↓
片山支隊ハ(134頁)
 
 
〈十二月三日〉

共同租界警察との間に(122頁)
          ↓
共同租界警察総監トノ間ニ(136頁)
 
 
〈十二月五日〉

軍今後南京攻略後の謀略は、宋派(124頁)
              ↓
軍今後南京攻略後ノ謀略ハ西山派(137頁)

 
西南派に対し謀略を(124頁)
          ↓
西山派ニ対シ謀略ヲ(137頁)
 
 
〈十二月七日〉

両軍の第一線部隊は漸次南京城外の敵陣地に接近す(126頁)
                        ↓
両軍ノ第一線部隊ハ漸次南京城外廓陣地ニ接近ス(138頁)
 
 
〈十二月八日、九日〉

明十日正午迄の期限にて回答を促す(126頁)
                  ↓
明十日正午回答ヲ俟ツ(139頁)
 
 
〈十二月十日〉

蒋介石は先日既に南昌に去り(127頁)
              ↓
蒋介石ハ昨日既ニ南昌ニ去リ(139頁)

 
第百一師団(三大隊)(127頁)
          ↓
第百一師団(三大隊)(139頁)
 
 
〈十二月十四日、十五日〉

敗残兵の各所に彷徨する者数千に達するとの事なるも未詳(128頁)
                        ↓
敗残兵ノ各所ニ彷徨スルモノ数万ニ達ストノ事ナルモ未詳(140頁)
 
(解説)敗残兵の数のケタが変わっている。この時点で敗残兵がかなりいたことが分かる。

 
急遽自治の実行は困難(129頁)
            ↓
急遽ナル自治ノ実行困難(141頁)
 
 
〈十二月十七日〉

幸に市中公私の建物は殆ど兵火に罹りあらず(131頁)
                    ↓
幸ニ市中公私ノ建物ハ殆ト全ク兵火ニ罹リアラス(142頁)
 
 
〈十二月十八日〉

午後一時宿舎を発し、城内飛行場に準備せる忠霊祭に参列し、祭典前参集せる両軍司令官、師団長に対し訓示を与へ、終て祭典に列す。
 
此朝各軍師団長参謀長を会し、軍参謀長より詳細なる指示及打合せを行はしめ、予は特に式後一同に対し
 
一,軍紀、風紀の振粛
 
二,支那人軽侮思想の排除
 
三,国際関係の要領に付訓示を与へたり(131-132頁)
                                ↓
此朝各軍師団長参謀長ヲ会シ軍参謀長ヨリ詳細ナル指示及打合ヲ行ハシメ予ハ特ニ一同ニ対シ
 
一,軍紀風紀ノ振粛
 
二,支那人軽侮思想ノ排除
 
三,国際関係ノ要領ニ付
 
訓示ヲ与ヘタリ(欄外)
 
午後一時宿舎ヲ発シ城内飛行場ニ準備セル忠霊祭ニ参列シ祭典前参集セル両軍司令官、師団長ニ対シ訓示ヲ与ヘ終テ祭典ニ列ス(143頁)
 
(解説)ここも順序が違っている。田中の著書によれば、三点の訓示を与えたのは「式後一同に対し」となっているが、『陣中日記』によれば、朝に師団長・参謀長に対し行っている。

 
〈十二月十九日〉
 
 
城内二,三ヶ所に尚兵火の揚れるを見るは遺憾なれど(133頁)
                            ↓
城内数ヶ所ニ尚兵燹ノ揚レルヲ見ルハ遺憾ナレト(144頁)

 
〈十二月二十日〉
 
 
殊に大使館の建物は内容共完全に保存せられあるは、支那側の措置としては寧ろ感服に値すべきか(134頁)
                                  ↓
殊ニ大使館建物ハ内容共完ク完全ニ保存セラレアルハ、支那側ノ措置トシテハ寧ロ感服ノ値アリ(144頁)

 
銀十万(134頁)
      ↓
銀十万(145頁)

 
尚聞く所、城内残留内外人は一時多少恐怖の色ありしが、我軍(による)治安漸次落付くと共に漸く安堵し来れり、一時我将兵により少数の奪掠行為(主として家具等なり)、強姦等もありし如く、多少は已むなき実情なれど洵に遺憾なり(135頁)
                                ↓
尚聞ク所城内残留内外人ハ一時不少恐怖ノ情ナリシカ我軍ノ漸次落付クト共ニ漸ク安堵シ来レリ一時我将兵ニヨリ少数ノ奪掠行為(主トシテ家具等ナリ)強姦等モアリシ如ク多少ハ已ムナキ実情ナリ(145頁)
 
(解説)ここはかなり悪質な書き換えである。田中の著書によれば、城内残留内外人は多少不安ではあったが、日本軍による治安回復により安堵していったことになるが、『陣中日記』によれば、城内残留内外人の不安の原因は日本軍にあることが分かる。日本軍が落ち着いてきたので城内残留内外人も安堵してきたのである。また、『陣中日記』には「治安」や「洵に遺憾なり」と言う言葉は見あたらない。この点は明らかに田中による書き加えである。田中が故意に『陣中日記』を改竄していることがよく分かる事例である。

 
〈十二月二十二日〉
 
 
多少市内に火災あるも大したことなし(136頁)
                  ↓
現ニ多少ノ火災アルモ大ナルコトナシ(145頁)

 
二十二日朝九時出港(136頁)
          ↓
朝九時出港(146頁)
 
 
〈十二月二十三日〉
 
 
此日南京占領後の我方の態度方針を説明する為め外人記者団と会見す。最初南京占領と其国際的影響を知るため紐育タイムズのアベンド、倫敦タイムズのフレーザーを招致し、然る後在上海の各国通信員と会見す。質問は主として、首都陥落後の日本の方針及パネー号に対する善後処置なり(137頁)
                          ↓

原本である『陣中日記』にはこのような記述はない。
 
(解説)ここは、かなり悪質な書き加えである。この日の『陣中日記』には、外国人記者団と会見したなど一切書かれていない。つまり、田中が勝手に書き加えたのである。さらに悪質なのが、この記述の後に「編者注」として「南京占領から十日を経た外人記者団との会見において、松井大将が「南京虐殺」に関する質問を受けたという様子が全く見られない点、注目すべきである。」(137頁)という注釈をつけていることである。ここについては申し開きが出来ないくらい悪質である。史料原本にはない文章を勝手に創作し、あたかも史料の一部であるかのように挿入するという行為が許されるはずがない。

 
尚在留外国人及権益に関して問題もなく無事なりしは幸なり(137頁)
                          ↓
尚在留外国人ノ問題モナク無事ナリシカ幸ナリ(146頁)
 
(解説)ここも書き加えである。「権益」という言葉は原本のどこにもはない。

 
〈十二月二十四日〉
 
 
上海問題に関し予ての注文を出したるも(138頁)
                  ↓
上海問題ニ関シ色々ノ注文ヲ出シタルモ(147頁)

 
パネー号事件に関しては予より遺憾の意を述べ(138頁)
                    ↓
パネー号事件ニ関シテハ予ヨリ一応遺憾ノ意ヲ述ヘ(147頁)

 
〈十二月二十六日、二十七日、二十八日〉
 
 
上海兵站病院を視察す。設備も漸次整ひ、現在傷病者約五千名に達す。(139頁)
                                ↓
上海兵站病院ヲ視察ス設備モ漸次整ヒ現在傷病者約五千名ニ過キス(148頁)
 
(解説)「傷病者約五千名」という数字が田中の「達す」と『陣中日記』の「過キス」では数字が表す意味が全く違ってくる。明らかに田中の書き換えである。

(解説)この日付の最後に「編者注」として田中の文章があるが、これが明らかにおかしい。田中は「松井大将は杭州付近の奪掠・強姦の風聞に直ちに幕僚を派遣して責任者を追及し、厳重に各軍に訓令している点注目すべきである。若し南京に“虐殺事件”等の風聞あらば、大将がこれを黙過するはずはない。」(140頁)と書いているが、『陣中日記』には、「南京、杭州付近又奪掠、強姦ノ声ヲ聞ク幕僚ヲ特派シテ厳ニ取締ヲ要求スルト共ニ責任者ノ処罰ナト直ニ悪空気一掃ヲ要スルモノト認メ厳重各軍ニ要求セシム」(148頁)とあるので、奪掠・強姦が起こっているのは南京と杭州なのである。しかし田中は、南京をはずし杭州だけにしている。この点も明らかに故意に南京をはずしたものと考えられる。

 
〈十二月二十九日〉
 
南京に於て米国大使館の自動車其他を我軍兵卒奪掠せし事件あり(141頁)
                              ↓
南京ニ於テ各国大使館ノ自動車其他ヲ我軍兵卒奪掠セシ事件アリ(149頁)
 
(解説)自動車その他が奪掠されているのは「米国大使館」という一国ではなく「各国大使館」という複数の大使館のものである。
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