2019.7.15
ワーグナー/マゼール編曲
言葉のない指環(楽劇「ニーベルングの指環」(管弦楽抜粋)
指揮:キンボー・イシイ
墨田.トリフォニーホール
マゼールが亡くなって5年になる(私は一回だけ氏の指揮する演奏会に接した)。亡くなった日は7月13日。今回のシンフォニカは偶然かもしれないが、
その逝去日から5年と2日経過した7月15日!彼の編曲したワーグナーを鑑賞した。
まだまだアマチュアオ-ケストラは本格的にワーグナーを取り上げていないと思う。アマオケがワーグナーとなるとほぼ100%、序曲や前奏曲だろう。
それだけでは、ワーグナーの入り口にすら立てないと思う。
私がアマオケでワーグナーをしっかり聴いたのは新交響楽団の「ワルキューレ」第1幕(演奏会形式)のみ。今回のシンフォニカがそれ以来となった。
「指環」全曲は16時間ほどを要する大曲、それを80分程度の管弦楽作品にどうやって集約するのか?「言葉のない」ということで歌手も皆無。
正直、どんなものか?という考えを抱きながらトリフォニーに着いた。
演奏が始まった。ステージ上はオケのみなのだが、早々に乙女達が踊っていたり、あるいは、声や歌が聞こえてきたり..、そんな幻を何度となく体験。
私は1F席中央やや右(Vla、Cb側)で聴いたのだが、場所的な事情だったのか、ヴァイオリンがあまり聞こえてこなく、それが少々残念ではあった。
とにかく弦はかなりの人数(いつもより多いのでは?という位)。
しかもトラは僅か数人というシンフォニカの恐るべきセクションだけに、ヴァイオリンはもっと派手に奏でても良かったように思えた。
しかし、80分の管弦楽版は危惧していた妙な編曲の「指環」ではなく、しっかりした編曲で、マゼールの達人振りを改めて感じた。
ただ、「指環」を聞き込んでいる方には、120分いや、それ以上にしても良かったと思った。あれ?もう次に行っちゃうんだ!という場面も。
今回の演奏にあたり、シンフォニカの団員達は「指環」についていろいろ分析したと思う。
貴重な経験をされただけに、今後は新響のように「ワルキューレ第1幕」のような演奏会形式も検討して欲しい。
フライングブラヴォーなし。周辺の客の質も良かった。
開場前は団員達が何人も外に出て、並んで待っている聴衆に丁寧に挨拶。「ご来場ありがとうございます。もう少しお待ちください」の声々...。
こういう情景を見るだけで、ここのオケは違うぞ!といつも感じる。
今回、唯一、残念だったのは、私が密かに敬愛しているコンミスさんがお休みだったこと。
次回は1/26。中井美穂のナレーションでプーランク、そしてプロコフィエフ第5!指揮は矢崎彦太郎氏。楽しみだ。