http://web.archive.org/web/20071228202355/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/324.html
2006/12/7
「演奏会」
演奏会
皆が僕の悲しみを知る必要がないから
演奏会は独りでいい
皆はそれぞれの今を楽しめばいいのだから
演奏会の知らせは送らない
僕のメロディーはここで消えてゆく運命
それが僕の願い 何も痛みなどない
メロディーとともに悲しみも消えてゆくから
泣くこともない
それが僕の願いであり運命
人知れず始まり終わるプログラムに
誰の涙もいらない
星明りで君は今も,夜になると,君が摘んだ花をさがしにやってくると。またながい被衣(かつぎ)とともに水を臥床(ふしど)として色白なオフェリア姫が,大きな白百合のように浮いていたのを見てきたと。(オフェリアより)
皆が僕の悲しみを知る必要がないから
演奏会は独りでいい
皆はそれぞれの今を楽しめばいいのだから
演奏会の知らせは送らない
僕のメロディーはここで消えてゆく運命
それが僕の願い 何も痛みなどない
メロディーとともに悲しみも消えてゆくから
泣くこともない
それが僕の願いであり運命
人知れず始まり終わるプログラムに
誰の涙もいらない
星明りで君は今も,夜になると,君が摘んだ花をさがしにやってくると。またながい被衣(かつぎ)とともに水を臥床(ふしど)として色白なオフェリア姫が,大きな白百合のように浮いていたのを見てきたと。(オフェリアより)
幸福を追いかけている間は君は幸福であり得るだけに成熟していない。たとえ最愛のものがすべてお前のものになったとしても,失ったものを惜しんで嘆き色々の目当てを持ち,あくせくとしている間は,お前はまだ平和が何であるか知らない。
すべての願いを諦め目当てもなく欲望もなく幸福・幸福と言い立てなくなった時,その時はじめて君の魂は落ちつく。 「ハイネ」
2006/4/8
「 サラの祈り」
小さな麻袋に包まれたサラに再会した僕はバンコック発の日本航空に乗り心地よいジェット気流に身を任せていた。中国の煙突から吐き出される黄色い煙、工場からの鉛色の液体は長江 揚子江を茶色に染め遥かかなたのメコン河にたどり着く。
タイとラオスをはさむメコンからその支流に流れ込み、チャオプラヤに合流しパタヤの海に流れ込む。パタヤの海は悲しいほど変色し魚介類は奇形しその魚によって人は空腹を満たす。売られた少女の処女は奇矯な華僑に高値で買われ犯される。
その少女の涙は蒸発して雲になる。そして雨になり少女は汚れた体を洗い流す。流された水は再び雲となり大河に降り注ぐ。
タイには「雨季には魚が蟻を食べ、乾季には蟻が魚を食べる」という諺がある。その年60年ぶりにタイを襲った大洪水で多くの農民は生きる糧を失った。なんとか食いつないだ農民は翌年、今年こそはと種をまいた。しかし無常にも再び洪水が襲いかかった。ながい雨が続いたある満月の夜 黄色い海水が逆流し牛や豚までも飲み込んだ。「タムアライ メダーイ」どうすることもできないと農民は天にむかって悲痛な叫び声をあげた。しかし自然は容赦をしなかった。
バンコック市内中心部スリウォング通り、排気ガスで息も出来ない道路わきの小さな屋台のテーブルで一家4人家族の夕食風景を目にした。車のクラクシオンや近くで大声で怒鳴りあう声もきこえる。死にそうなくらいの排気ガスだ。父は労働者風,給料を手にしたらしく,イサーン名物ソムタムと牛の血のスープ,豚の腸,などが並んでいた。娘は13歳位 弟は5歳位だ。僕はこの娘が楽しそうにおしゃべりをしながら食べている姿に思わず足を止めた。久しぶりの一家団欒なのでしょうか,家族にとっては大変なご馳走です。
しばらくすると少女は籠をかかえ歓楽街に消えていった。少女は売れもしない駄菓子を一個15バーツで売り続けている。やがて疲れきった少女は地べたに座り込む。僕は少女に聞いた。名前は? 少女はびっくりした様子で「サラ」とちいさくはにかみながら答えた。タンモットタオライ(全部買ったらいくら?)と聞くと,少女は信じられないという顔で,ロイハースィップバーツ(150バーツ)とつぶやいた。僕は200バーツを出しおつりはマイペンライ(いらない)というとサラははじめて笑った。このときのサラの笑顔を忘れることはできなかった。しかし翌日からサラを見かけることはなかった。それから3年が経った。
歓楽街パッポンとは?
タイとラオスをはさむメコンからその支流に流れ込み、チャオプラヤに合流しパタヤの海に流れ込む。パタヤの海は悲しいほど変色し魚介類は奇形しその魚によって人は空腹を満たす。売られた少女の処女は奇矯な華僑に高値で買われ犯される。
その少女の涙は蒸発して雲になる。そして雨になり少女は汚れた体を洗い流す。流された水は再び雲となり大河に降り注ぐ。
タイには「雨季には魚が蟻を食べ、乾季には蟻が魚を食べる」という諺がある。その年60年ぶりにタイを襲った大洪水で多くの農民は生きる糧を失った。なんとか食いつないだ農民は翌年、今年こそはと種をまいた。しかし無常にも再び洪水が襲いかかった。ながい雨が続いたある満月の夜 黄色い海水が逆流し牛や豚までも飲み込んだ。「タムアライ メダーイ」どうすることもできないと農民は天にむかって悲痛な叫び声をあげた。しかし自然は容赦をしなかった。
バンコック市内中心部スリウォング通り、排気ガスで息も出来ない道路わきの小さな屋台のテーブルで一家4人家族の夕食風景を目にした。車のクラクシオンや近くで大声で怒鳴りあう声もきこえる。死にそうなくらいの排気ガスだ。父は労働者風,給料を手にしたらしく,イサーン名物ソムタムと牛の血のスープ,豚の腸,などが並んでいた。娘は13歳位 弟は5歳位だ。僕はこの娘が楽しそうにおしゃべりをしながら食べている姿に思わず足を止めた。久しぶりの一家団欒なのでしょうか,家族にとっては大変なご馳走です。
しばらくすると少女は籠をかかえ歓楽街に消えていった。少女は売れもしない駄菓子を一個15バーツで売り続けている。やがて疲れきった少女は地べたに座り込む。僕は少女に聞いた。名前は? 少女はびっくりした様子で「サラ」とちいさくはにかみながら答えた。タンモットタオライ(全部買ったらいくら?)と聞くと,少女は信じられないという顔で,ロイハースィップバーツ(150バーツ)とつぶやいた。僕は200バーツを出しおつりはマイペンライ(いらない)というとサラははじめて笑った。このときのサラの笑顔を忘れることはできなかった。しかし翌日からサラを見かけることはなかった。それから3年が経った。
歓楽街パッポンとは?
「さようなら サラ」
ある仏誕の休みに僕はたまたま暁の寺を訪ねていた。一人の少女が一本の睡蓮を手に祈っている姿が目にとまった。正座をしていた少女は立ち上がると何度もYをし立ち去ろうとした瞬間,僕と目があった。 サラ!僕を覚えているかい? あの時お菓子を買ったのですよ だがサラは怯えた様子で首を横にふった。サラはパッポンでお菓子を売っていてどうして突然いなくなってしまったの サラは思い出したようにぽつぽつと語りだした。
あの後父は建設現場で事故にあって死んでしまい,会社から少しの見舞金を貰い母と弟とサラはふるさとのイサーンに帰ったという。母はそのお金でなんとかやりくりし,米の苗を買い収穫寸前に大洪水にあってすべて失ってしまった。母は悲しみのあまり病気になってしまいとうとうお金もそこをついてしまった。
サラは17歳になったという。167センチ45キロ とても17歳にはみえ
あの後父は建設現場で事故にあって死んでしまい,会社から少しの見舞金を貰い母と弟とサラはふるさとのイサーンに帰ったという。母はそのお金でなんとかやりくりし,米の苗を買い収穫寸前に大洪水にあってすべて失ってしまった。母は悲しみのあまり病気になってしまいとうとうお金もそこをついてしまった。
サラは17歳になったという。167センチ45キロ とても17歳にはみえ
なかった 彫りの深い顔立ち,ひきしまった腰まわり 男たちは皆サラを見ると振り返って格別卑猥な厭らしい視線をなげかけた。サラはスクムビットのGOGOバーで働いているという。
店には18歳といってある奇矯な男と女が夜な夜な集まってくる 白髪の立派な紳士が今日も美少年を求めて夜の街を徘徊する。サラ目当ての男たちが今夜もサラを連れ出そうとしている 250バーツのペイバーすればあとはホテルに連れ出せる ナンバーワンのサラはショートで4,5人 最後は朝までのロングをいれた。サラはよく話してくれた。
コンドームをつけないで生でやると客は喜んでチップをはずむ 。だけど最近金持ちの中年レスビアン女につきまとわれて困っているという この女はフランス人でチップを相場の3倍くれるのでーーーという。
この女はサラの口を執拗に吸い何度も絶頂に達しても許してはくれなかった。そんなある日このフランス女がエイズで死んだといううわさがひろまった。サラは毎月故郷に送金した。このときがサラにとって徳を積む唯一人間にもどれる瞬間である。
サラの美貌にかげりが見え始めた。体重も落ちているようだった。もはや寝る前にガンチャー(マリファナ)を吸わざるをえないほど精神も体も荒廃していた。自分の欲望を満たすだけが目的の奇矯な獣たちにとって性的魅力のなくなったサラをもう誰も相手にはしなかった。 あるときサラはもう一ヶ月も収入がないので私を買ってといってきたことがあった。自分のアパートに来ないかという GOGOバーのダンサーが客を自宅に呼ぶことはありえない
家賃800バーツのアパートに着くとサラは服をぬぎ 水溜で体を洗い流した。よく見るとサラの腕にはエイズの初期症状がみられた 。サラは自分が陽転したことを打ち明けた。今バンコック郊外のロッブリにある寺院にたまたま空きができたので明日その寺へ行くという。
パッポンの一流のバーでは毎日医者の血液検査があるので、場末のバーで働いていたのだという。僕は翌日サラを会社の運転手に命じてロッブリまで送りとどけた。
会社は多忙をきわめた。日本から来るバイヤーなどは仕事など早くすませ皆若い女が目当てであった。必然的に変なものは紹介できない。パッポン中のポン引き、バーの店長、バングラック警察、などとはアウンの呼吸である タイの警察署はなんとか組も兼務していてパッポン界隈からの上納金は天文学的である。 この警察署の大尉クラスは日本と違って逮捕状が出せるので知り合ってて損はない。
毎月若干のお手当てはもちろんのこと 本庁の少将クラスとお友達になることは万一の場合の保険でもある。この辺のさじ加減を知らない新入りの日本人トップはみな罠にはまってしまう。スピード違反をしても免許証のあいだに200バーツはさめばどこでもフリーパス。
また警察官はアルバイトしてもいいことになっているので日本人ゴロの用心棒したり,なにせタイで経験の少ないトップはこのゴロと一緒に犯罪制圧本部の制服を着た現役がピストルさげてくるもんだから腰を抜かす。タイで働くにはやはり影響力のある弁護士事務所や警察 場合によっては検察庁の人間とまでお友達になっておく必要がある。なぜかはトップで働いたことのある人間にしかわからない。
ほどなく僕はロッブリのサラがいるはずの寺院に行った。入り口で車の整理をしている男性を見ると腕にはぶつぶつが大きく盛り上がっている。初期の患者である。 中期になると同じ寺院内にある医療施設で点滴などを受け 末期は近くの病院に収容される。僕は責任者の若者にサラのことを質問した。
若者はちょっとためらってから言った。丁度サラが来て2週間ほどで様態が急変して急きょ直接病院に送ったのだが、3日前亡くなりもうすでに荼毘にふされました という それでもサラは幸せなほうだという 今では一万人もの人たちが待機しているという サラの骨は小さな麻袋に番号がつけられていた。 近く死を迎えることを察知していた少女はなにを祈っていたのか 畏れなのか期待なのか僕にはわからない。
あるとき大きな慈善団体のパーティに呼ばれた そこにいたのは生活を保障された一皮むけば慈善に名をかりたエリート集団のでっぷりと太った奥様連中の集まりであった。 サラなどは一度も食べたことがないような料理には目もくれず ダイヤの大きさを競っている。
引き取り手のないまま荼毘にふされた抜け殻の布袋の山。このどこかにサラは眠っている。
店には18歳といってある奇矯な男と女が夜な夜な集まってくる 白髪の立派な紳士が今日も美少年を求めて夜の街を徘徊する。サラ目当ての男たちが今夜もサラを連れ出そうとしている 250バーツのペイバーすればあとはホテルに連れ出せる ナンバーワンのサラはショートで4,5人 最後は朝までのロングをいれた。サラはよく話してくれた。
コンドームをつけないで生でやると客は喜んでチップをはずむ 。だけど最近金持ちの中年レスビアン女につきまとわれて困っているという この女はフランス人でチップを相場の3倍くれるのでーーーという。
この女はサラの口を執拗に吸い何度も絶頂に達しても許してはくれなかった。そんなある日このフランス女がエイズで死んだといううわさがひろまった。サラは毎月故郷に送金した。このときがサラにとって徳を積む唯一人間にもどれる瞬間である。
サラの美貌にかげりが見え始めた。体重も落ちているようだった。もはや寝る前にガンチャー(マリファナ)を吸わざるをえないほど精神も体も荒廃していた。自分の欲望を満たすだけが目的の奇矯な獣たちにとって性的魅力のなくなったサラをもう誰も相手にはしなかった。 あるときサラはもう一ヶ月も収入がないので私を買ってといってきたことがあった。自分のアパートに来ないかという GOGOバーのダンサーが客を自宅に呼ぶことはありえない
家賃800バーツのアパートに着くとサラは服をぬぎ 水溜で体を洗い流した。よく見るとサラの腕にはエイズの初期症状がみられた 。サラは自分が陽転したことを打ち明けた。今バンコック郊外のロッブリにある寺院にたまたま空きができたので明日その寺へ行くという。
パッポンの一流のバーでは毎日医者の血液検査があるので、場末のバーで働いていたのだという。僕は翌日サラを会社の運転手に命じてロッブリまで送りとどけた。
会社は多忙をきわめた。日本から来るバイヤーなどは仕事など早くすませ皆若い女が目当てであった。必然的に変なものは紹介できない。パッポン中のポン引き、バーの店長、バングラック警察、などとはアウンの呼吸である タイの警察署はなんとか組も兼務していてパッポン界隈からの上納金は天文学的である。 この警察署の大尉クラスは日本と違って逮捕状が出せるので知り合ってて損はない。
毎月若干のお手当てはもちろんのこと 本庁の少将クラスとお友達になることは万一の場合の保険でもある。この辺のさじ加減を知らない新入りの日本人トップはみな罠にはまってしまう。スピード違反をしても免許証のあいだに200バーツはさめばどこでもフリーパス。
また警察官はアルバイトしてもいいことになっているので日本人ゴロの用心棒したり,なにせタイで経験の少ないトップはこのゴロと一緒に犯罪制圧本部の制服を着た現役がピストルさげてくるもんだから腰を抜かす。タイで働くにはやはり影響力のある弁護士事務所や警察 場合によっては検察庁の人間とまでお友達になっておく必要がある。なぜかはトップで働いたことのある人間にしかわからない。
ほどなく僕はロッブリのサラがいるはずの寺院に行った。入り口で車の整理をしている男性を見ると腕にはぶつぶつが大きく盛り上がっている。初期の患者である。 中期になると同じ寺院内にある医療施設で点滴などを受け 末期は近くの病院に収容される。僕は責任者の若者にサラのことを質問した。
若者はちょっとためらってから言った。丁度サラが来て2週間ほどで様態が急変して急きょ直接病院に送ったのだが、3日前亡くなりもうすでに荼毘にふされました という それでもサラは幸せなほうだという 今では一万人もの人たちが待機しているという サラの骨は小さな麻袋に番号がつけられていた。 近く死を迎えることを察知していた少女はなにを祈っていたのか 畏れなのか期待なのか僕にはわからない。
あるとき大きな慈善団体のパーティに呼ばれた そこにいたのは生活を保障された一皮むけば慈善に名をかりたエリート集団のでっぷりと太った奥様連中の集まりであった。 サラなどは一度も食べたことがないような料理には目もくれず ダイヤの大きさを競っている。
ブラックアジア