この時期 多くの人の悲しみを観たり聞いたりするにつけて
十年たとうが二十年たとうが 最愛の人の死というのは 心の中でずっと悲しみの塊としてあると思う
それが 自然の災害であろうと 不慮の事故であろうと 病での別れであろうと、、、、
5年前に亡くなった父、3年前に亡くなった母
いい年したおばちゃんなのに 若い時にはなかった両親への思いが最近強くて
一人 両親と過ごした昔を思い出しては 涙する事がある
遠い昔 貧しくて 長屋の6畳一間に三人 共同台所 共同便所(トイレというものではない)風呂無し
スパルタの父
よくテレビでコントであるようなちゃぶ台ひっくり返すなんてよくあったし
食事の時 正座してなくて 太ももを 叩かれたり、、
何か機嫌が悪かったのかその日 私が口答えしたのか ビンタが。。。
翌日 頬が紫の私を心配して保育園の先生が 来てくれた(^^ゞ なーんて事も
母は 私の友達がみんな可愛い紙の着せ替え人形をもってて ねだったけど貧しくて買ってもらえなかった
でも、 母が手作りで作ってくれた それはそれは素敵な紙の着せ替え人形だった
資生堂さんの包み紙やきれいな包み紙でドレスや振袖まで作ってくれた 嬉しかったな~~~
私が若い頃はいろいろと 父と嫌な事も多く反発してきたけど
いい年になった時 いろんな話できるようになった矢先の病気
それはそれは 見ているだけでもかわいそうな状態だった
悪性リンパ腫で 皮膚が剥がれ落ちて やけどのように神経が表面に出ているような状態
少しの風も痛みを感じて 薄いガーゼを頭といわず顔、体中に覆っていた、、、
亡くなる直前は せん妄状態になって うわ言のように 仕事の指示をしたりだれかの名前を呼んで確認したりしてた
ずっと長いこと造船マンとしてバリバリ働いていた頃を思い出していたんだろうな
そんな父を 在宅で看取って やっと母も楽になって いろいろ楽しみが待っていると思ってたのに
その7年前にしたすい臓がんの手術でほとんど完治したように安心していたけどやはりゆっくりと全身転移で
血糖値がコントロールできなくなり 父が亡くなって二年後 亡くなってしまった
辛かったなぁ~ 大好きだった 本当に大好きだった
今いるこの家には その両親を介護したり看取ったり思い出が至る所にあって 心が少し落ち込んだり弱ってるときは
自然と涙がこぼれる
いい加減 気持ちの切り替えをして 前向きにならないといけないんだけど、、
親離れできないおばちゃんは いつまでも 思い出の中で 二人の娘でいる
ここの家もどうなるか、、、
もう少し 思い出に浸らせてもらいたい、、、