富士山鳥居講っていったいいつから??
僕の予想では大正時代位かな~って思っていた。
なぜって、富士山に登るって常識的に簡単っでないことと、
まだ、川を使った水運(川を渡ったり登ったり)の仕事がないと
鳥居を奉納しようって話が発生しない。
僕も子供のころから、「船の安全祈願」のためと聞いていたから。
でも明治時代や江戸時代は富士山に登るにも道が無い。
無理だろう~って思っていた。
しかし、資料によると、慶長7年(1602年)だそうです。
それから12年に一度、富士山山頂に鳥居を建てることになったらしい。
多分、江戸時代には牛で材料を運んで、道なき道を
上って、いったのでしょう。
因みに僕のFBやLineのプロフィール写真の背景は前の岩淵鳥居講です。
こちらは大正9年に行われたときの富士宮の浅間神社での記念撮影。
草鞋で上るようです。
この頃も子供でも登れるのですね。
気になる人は、詳細はこちらを拡大して見て下さい。
僕の予想では大正時代位かな~って思っていた。
なぜって、富士山に登るって常識的に簡単っでないことと、
まだ、川を使った水運(川を渡ったり登ったり)の仕事がないと
鳥居を奉納しようって話が発生しない。
僕も子供のころから、「船の安全祈願」のためと聞いていたから。
でも明治時代や江戸時代は富士山に登るにも道が無い。
無理だろう~って思っていた。
しかし、資料によると、慶長7年(1602年)だそうです。
それから12年に一度、富士山山頂に鳥居を建てることになったらしい。
多分、江戸時代には牛で材料を運んで、道なき道を
上って、いったのでしょう。
因みに僕のFBやLineのプロフィール写真の背景は前の岩淵鳥居講です。
こちらは大正9年に行われたときの富士宮の浅間神社での記念撮影。
草鞋で上るようです。
この頃も子供でも登れるのですね。
気になる人は、詳細はこちらを拡大して見て下さい。
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