たまたま友人が『格』について言及しておられた。
読む程に成程と思う事がある反面、私はチョット視点が違うなと、
やはり十人十色さまざまな考え方があることを楽しんでいる。
会社なら上司は偉く、学校なら、病院なら先生が偉くて当たり前
そう仰っておられたのだが、私はちょっと違うのですよ。
『偉い』という言葉なんだけど、「すぐれている。尊敬されるべき立場にある。」という("褒め称える"を内包する)意味のようだ。
#ちなみに『偉い』そのまんまの意味を表す英語は存在しないらしい(?)
あ~ 三河弁だと「エラい」は"しんどい"という意味でもある。 意味深?ww
今の世の中、情報伝達が非常に速いし、内容も動画付で詳細だったりする。
政治屋先生が基本ハラ黒いってのは誰でも知っているし、
#そうでもなければ某※国と対等にやりあえる筈もないのだがw 加えて薄っぺらいのが難点なのか
警官でも官僚でも教師でも医師でも少数ではあるだろうが悪いヤツはいる。
肩書きを尊敬しろと申しましても無理難題を押し付けられるのと変わりませんわなw
職業、職責や肩書きはその人の収入の手段などを示すものであって、人の出来を指すのではない、と。
『1アマだからって、知識技能はあるかもだけど尊敬できる人物像とは限らない』wwww
人は、人を心底尊敬した時、人に心底感謝した時には自然と頭が下がるもので、
それは強要されても無理、またはポーズだけになってしまう。
甘んじて受け入れてしまうことも人としてどこか捻じ曲がってしまうような気もする。
地位で以って礼を強要し天狗になってしまうのもやはり人としてどうかと思うのであります。
あからさまに他者を軽蔑したり、軽んじたり、媚びへつらったりしてしまうことも同様にどうかと思うのでありますな。
ウチで他所のお宅の子の事が話題に上ったり、親子の対話をしていて最近気が付いたんだけどね、
「とーちゃん物知りだ!」「かーちゃんすげー!」な小さいけど子供の感動とかね、
良い事、正しい事をしたらきちんと褒める。 悪いことをすれば叱られる、反省を求められる。
夫婦がお互いを卑下したり軽蔑するような発言をしていないとか。
話す時は目を見て!とかw
感謝することだけでなく、様々な感性を刺激する小さな小さなことの積み重ねが、
10年20年後のその人の『格』に繋がるんじゃなかろうか?
最近そう思うのと同時に、「とーちゃんお仕事がんばってね~」の子供の目を見るにつけ、
「オイラもっとしっかりしなくちゃ!」と気が引き締まるのでありますよ><
老子の一節に"未孩"(※)などという言葉があって私は非常に好きなのだが、
職業や肩書きや他者との比較に自己を限定し過ぎると、
まだまだ自分を成長させられそうな筈の可能性全てに蓋をしてしまいそうな気がして勿体無いと思うのよさw
・・・ふむ。 オイラって意地汚いのかなぁ?
偉そうに書き連ねてみたが、まだまだ道半ばにも満たず己の出来の悪さに辟易する部分でもある;;
良いきっかけを友人に戴きまして、また考える素振りをしてみた。
(※)老子 第20章に・・・我獨怕兮其未兆 如孾兒之未孩 儽儽兮若無所歸・・・とある。 興味深い。
読む程に成程と思う事がある反面、私はチョット視点が違うなと、
やはり十人十色さまざまな考え方があることを楽しんでいる。
会社なら上司は偉く、学校なら、病院なら先生が偉くて当たり前
そう仰っておられたのだが、私はちょっと違うのですよ。
『偉い』という言葉なんだけど、「すぐれている。尊敬されるべき立場にある。」という("褒め称える"を内包する)意味のようだ。
#ちなみに『偉い』そのまんまの意味を表す英語は存在しないらしい(?)
あ~ 三河弁だと「エラい」は"しんどい"という意味でもある。 意味深?ww
今の世の中、情報伝達が非常に速いし、内容も動画付で詳細だったりする。
政治屋先生が基本ハラ黒いってのは誰でも知っているし、
#そうでもなければ某※国と対等にやりあえる筈もないのだがw 加えて薄っぺらいのが難点なのか
警官でも官僚でも教師でも医師でも少数ではあるだろうが悪いヤツはいる。
肩書きを尊敬しろと申しましても無理難題を押し付けられるのと変わりませんわなw
職業、職責や肩書きはその人の収入の手段などを示すものであって、人の出来を指すのではない、と。
『1アマだからって、知識技能はあるかもだけど尊敬できる人物像とは限らない』wwww
人は、人を心底尊敬した時、人に心底感謝した時には自然と頭が下がるもので、
それは強要されても無理、またはポーズだけになってしまう。
甘んじて受け入れてしまうことも人としてどこか捻じ曲がってしまうような気もする。
地位で以って礼を強要し天狗になってしまうのもやはり人としてどうかと思うのであります。
あからさまに他者を軽蔑したり、軽んじたり、媚びへつらったりしてしまうことも同様にどうかと思うのでありますな。
ウチで他所のお宅の子の事が話題に上ったり、親子の対話をしていて最近気が付いたんだけどね、
「とーちゃん物知りだ!」「かーちゃんすげー!」な小さいけど子供の感動とかね、
良い事、正しい事をしたらきちんと褒める。 悪いことをすれば叱られる、反省を求められる。
夫婦がお互いを卑下したり軽蔑するような発言をしていないとか。
話す時は目を見て!とかw
感謝することだけでなく、様々な感性を刺激する小さな小さなことの積み重ねが、
10年20年後のその人の『格』に繋がるんじゃなかろうか?
最近そう思うのと同時に、「とーちゃんお仕事がんばってね~」の子供の目を見るにつけ、
「オイラもっとしっかりしなくちゃ!」と気が引き締まるのでありますよ><
老子の一節に"未孩"(※)などという言葉があって私は非常に好きなのだが、
職業や肩書きや他者との比較に自己を限定し過ぎると、
まだまだ自分を成長させられそうな筈の可能性全てに蓋をしてしまいそうな気がして勿体無いと思うのよさw
・・・ふむ。 オイラって意地汚いのかなぁ?
偉そうに書き連ねてみたが、まだまだ道半ばにも満たず己の出来の悪さに辟易する部分でもある;;
良いきっかけを友人に戴きまして、また考える素振りをしてみた。
(※)老子 第20章に・・・我獨怕兮其未兆 如孾兒之未孩 儽儽兮若無所歸・・・とある。 興味深い。
「教師」とか書いていますが
これは「教員免許保持者」ではなく「教え導く立場にある者」との意。
それに対し「生徒」は「教えてもらう立場の者」ですわな。
常識的に「立場」をわきまえなさい、と…
それが私の言う「格」なのですね。
以下、「上司対部下」とかも基本的解釈は一緒。
ウチの子を見ている限りではございますが←
概ね就学前、幼児期の養育者に依存するのではないかと非常に感じております。
『常識』そのものを言葉で知るのではなく、基本的な他者に対する考え方
とでも申したらよろしいのでしょうか?
言葉の使い回しに、「親の顔が観てみたいわ!」というのがございますけれども、
実はコレ、非常に良く練られているからこそ地味に残り続けているんじゃなかろうかと。
偉そうに書いておりますが、書いてて恥ずかしくなってきた;;
先生に従うべきで
オイラの子供のころはどんなに暴力教師でも
お前が悪いで済んできたんですよね。
それが今ないので学級崩壊が起こるわけでして
日教組バンザーイ
とーちゃんもかーちゃんも、そして先生だからって常に正しいとは限らないぞ、と(ぉ
個人的には、"地位や力で以って押さえつけたから学級崩壊しませんでした"はどーよ?ってね。
子供の前ではお母ちゃんはお父ちゃんを批判しない
そうゆうのって秩序維持には大事かも…
"地"とは人を樹に例えるなら幹であり、芯の部分でございます。
芯さえある程度出来ておれば、枝葉末節を整えるのは然程難しくはないと思うのですよ。
芯の土台は親が創り、社会生活の中で太く真っ直ぐ伸びてくれれば言う事無いかって。
逆に芯が曲がっていてはどんなに上辺を繕ってもなぁと。。。
最近良く思うのヨサ
『親の顔を見てみたいわ!』
・・・よく出来た言葉だよねぇと(ぁぅぁぅ