昨日からの続きです
不安のお話をします
昨日も読んでいただいた方は不安て、こういう感じかな?というところに手が届きましたか
もちろん、届かなくても全く問題無いです!
不安は「こうなるかもしれない」「ああなるかもしれない」という仮定のお話
これから先、未来のお話。今は起こっていません。
しかも悪い方だけに特化した仮定のお話 です。いい仮定は含まれません。
どうですか、そういわれるとそうかな?という感じでしょうか
まず未来の話です
だから解決策が出ません
今、起こっていないので解決できないのです
起こるかもしれないし、起こらないかもしれないからやりようがない
でも備えることはできますね
でも解決はできないのです
そして悪い想像でできています
構成成分はすべて悪い想像です
なので、自分を追い詰めることはできても助けられない
未来の話なので今、解決できない。
悪い想像だけでできているので、めちゃくちゃ追い詰められるけど救いがない。
不安、最悪・・・です(笑)
不安が大きくなりすぎて暴走するとなにが真実でなにが自分の悪い想像なのかよくわからなくなります
とにかく悪い想像で押しつぶされそうになる
いっそ今、ここで決着をつけたくて「もういい!」とか言って突然、相手を遠ざけたり最悪の結果を今作って落ち着くことを選んでしまうかもしれません。
ハイ、昔のわたしですね(笑)
不安が大きくならないように、不安は小脇に抱えられる大きさにできると、少し気が楽になるかもしれません
少しだけ自分の気持ちが楽になるように、よい方の仮定も考えるといいかもしません
そして~気分転換です
昨日お伝えしたように、不安にのみこまれすぎないようにちょっと一旦距離を取って、
それからもう一度不安と向き合ってもよいかもしれません
悪い方へ膨らんだ想像を少し修正したり、今できることをすることで備えたり。そうやって不安を小さくできるといいですよね。
『不安を小脇に抱えて生きていけるといいですね』と心理の先生は言ったのですが、衝撃的でした。
不安を小脇に抱える、そんなこと考えたこともなかったしできる気もしなかったです。
この不安に対する学びは、これまたわたしをおおいに助けました。
こういうこと、もっと小さいころから知りたかったなと心理の学び中は毎回痛感していました
心理もセラピーもわたしにとっては、生きるうえで困っていることの助けになる事ばかりだったんです
こういうことを必要としている人っているんじゃないのかな、と本当に思いました。
わたしが学んだことを少しずつ伝えてみる練習をこのブログを通してしているのです
不安の話を今日はします
季節の変わりめですし、環境もこれから変わります。
こんな時は不安になりやすいな、と思ったので今回は不安について共有します
自分が不安だな、と気づいたときは、「不安」な自分の状況をキャッチできたことが素晴らしいと自分を褒めてください
自分の状態を自分で理解できると自然と「ではどうしよっかな?」と作戦タイムに入れます
不安な自分をどうやって安心させようかな、どうやってこの不安な時期をやりすごそうかな、という感じです
ここ、すごいポイントなんです
いつでも自分の状態を言語化して説明できるとき、自然次の作戦タイムに移行できるのです。
それがわからないとき。よくあるのが「なんかモヤモヤする~」とか「ザワザワする」みたいな感じで、擬音語で表現はするものの自分の状況がわからないときです
こういう時は体感がある場合が多いです
「モヤモヤする~」と言いながら胸や喉のあたりをさすっていたり、「ザワザワする」といいながら体をゆすっていたり地団駄のように足が落ち着かなくなり、足元からへんな感じを感じてたりします
こういうサインも大事なんです
感情は身体にプリントされます
ここ大事。
感情は身体にプリントされるんです。
なので、体の感じに焦点を当てることで自分の状況に手が届くこともあります
この感じって不安な時に起こりやすいんだった、ということで自分が不安を感じていることに手が届くこともあります
なので、自分の状態を理解するためには、体のサインも見逃さずにいきましょう
自分になにが起こっているのかわかってあげましょう。
こんな感じで不安に手が届くことでまずは着地できます
「わたし不安です!」と。
その次はこの不安をどうするか、ですね。
不安な時どうする?という話に移行します
普段はどうしていますか
不安な時の対処方法
これ、あるといいですよ
しかもいくつもあるといいです
人に話す
紙に書く
歌う
踊る
走る
泣く・・・・・いろいろ。
他にもあると思うのですが、行動レベルでなにかするといいと思います。
映画をみたり本を読んでもいいんですが、読みながら観ながら頭の中で不安を繰り返し考えます
なので行動できる解消方法がおすすめです
他に注意を、集中を移して不安から距離を取る
いいですか、解決はしません。
不安は解決しないんです。
そもそも不安てなんだと思いますか。
その不安、なんでしょう。
と、まだ続くので、この続きは明日に続きます。
今朝は理由ははっきりしないのですが、なんだか調子が悪かったです
こういう時は決まって右側の肩と首と頭が痛みます
しかも強めに
なんでなんだろうな・・・と考えることでいろいろな思考が湧いて出るように垂れ流され、しかもどれも終着点がなくただただ何が悪かったのか、というところに思考のフォーカスがありました
こうなるとわたしは早めに鎮痛剤を使い体の痛みを改善し、気分を整えます。いつものパターンです
ですが今日はちょっと違うことを試しました
実は今、浄化ヒーリングを練習中です
なので、じぶんにやってみました
大天使ザトキエルさまのお願いをしてやることにしました。これまたお願いしたいな、と思った時にふっと浮かんだ方がザトキエルさまだったからです
ここからはわたしの妄想タイムです
そう感じた、というお話でございます
ザトキエルさまのすることを観察者の視点でわたしは見ることができます
わたしの姿もわたしは見ることができる状態です
見えたものは、右側の肩甲骨のあたりから頭に抜けて変な植物みたいなものがどんどん湧き上がるように生えている、その様でした。
間違った思い込みでまっすぐに生えていない、というようなことをぼそっとザトキエルさまは言っていました
特別でありたいこと、特別なんておこがましいということ、人よりできること、人よりできるなんて、そんな天狗になってどうするんだ、というような拮抗するエネルギーの流れのようです
これはとても腑に落ちました
わたしは、少しでも人と違うことに憧れているのに、いざ少し人と違うと不安になるし居心地も悪くなるし、良くないことのように感じるというパターンを確かに持っているのです
できるようになりたいのにそれをわたしがが許さないし、応援できない
わたしが私の成長の妨げになっている状態
得意とか、できるよ!というところまでやりきれない
そういうことは恥ずかしかったり生意気だったり威張っているような感覚
とても小さい子供のころの感覚な気がしますが、今でもわたしには確かにある感覚
間違った思い込みです
そんなわけがない。
できることと威張っていること、生意気なことが横並びなわけがない。
できることは特別だとしたら、みんな各々の特別を持っている。
ザトキエルさまの浄化ヒーリングを観察していますが、わたしも拝見しながら思うことがありました
この感覚を返そう、と。
わたしから外して、それこそ浄化しようと思いました
それが返そう、という感覚でした
だから、ザトキエルさまの浄化ヒーリングがうまく進むよう祈りながら見ていました
人ができることは、人それぞれでそれがまさしくこの世界
人と違うしかない世界
できるころは私が担当し、できないことは人に頼ろう、お願いしよう!ではないかと感じていました
すべてが終わったときに、なんだかすっきりしていました今も少し右側に違和感は残っています
でももう薬は必要ないです
この浄化ヒーリングがどうだ、ということよりもわたしはこのじぶんのなかにあった思い込みに手が届いたことが良かったです
こういういらない思い込みにもっと気づけていけたらいいな、と思います