私はその日 五十肩の治療で 整形外科に 通っていました
病院の自動ドアが
開くと同時に
天と地が ひっくり返るかと 思う位の揺れが…
電柱はきしみ
空は 一瞬かきくもり この世の最後かと 思うような 景色を呆然と見ていた
いまおもうと
大きな窓の側は 危険だったと 思う
震源地から何キロも離れている北海道でこんなに酷いんだから、それは想像を絶しますよね!少し落ち着いて
待合室のテレビが
被害状況を 続々放送している ちょっと 気分がわるくなった
それでも 肩のリハビリの 治療が 始まり
ものすごく痛い
肩の注射は終わりました 汗
2011年の写真を
探してみた
全て消えていた
なんで?自分でも 解らない??
その前の年
旭山水族館に 行っていたんだよね
ペンギンの雪中行進
アザラシのトンネル抜け? ああ
前の年
被災された方にも
幸せな時間があったに違いないのに
一瞬にして 全てを失った
私たちにも いつおこるか解らないことだ 他人事ではない
未だに 北海道にも
二千人を越える方々が 避難しています
震災は まだ まだ
終わっていない
忘れてはいけない この日の事を
震災の年の 多分9月
くろたは 生まれた そして 翌年3月
家の子に なった
最初の写真は
ゲージに 引きこもりで オモチャも 遠慮して さわらないころです
被災者の方に自分で
協力できることは
いったい 何だろう
毎年改めて考え直さなくてはいけないことだと思いました。
3年前の今日…2時46分
忘れられない日
茨城も結構な被害があり
わんず達は恐かったと想います。
ハッピーも元気いっぱいだったあの日
被災された方の事。
いろいろな事を考えると
切なくなります。
忘れては行けない日。
まだまだ復興にはほど遠いですね
くろた君のお写真みたら
本当遠慮がちな感じですね
でも今はえふさんの家族になって
幸せいっぱいなお顔してます
くろた君よかったね
同じ時間2時46分には
黙祷を捧げたいと想います
忘れられない
忘れてはいけない日 改めて
震災はまだまだ
終わって居ないことを肝に命じていました
家の子
くろた かなり
俺様に なりつつあります 汗
震源地から遠く離れた富山で
いや~な揺れを感じた人はみな
自分の身体がおかしくなったのかと思ったんです。
私も脳の病気だと勘違いして、このまま倒れたら大変と
大急ぎで仲間の元に行きました。
その直後、上司から地震があったからと電話が入ったの。
実家がある福井は原発銀座と呼ばれています。
最早他人事ではありません。
2時46分・・・
義母と黙祷を捧げました。
一日も早い復興を願っています
私も 黙祷を捧げました テレビでは
記念番組がながれ
思いだしたら つらいですね
でも 忘れてはいけない日なんですよね!
原発事故が 無ければ
もっと復興は
早いはずなのにと 思います
忘れないこと
覚えていること
私達は
生かされてること
感謝して
生きないとね
普通の日常を感謝しなきゃね
復興はまだまだ
進んでいないかんじだから 何か協力できることがあれば
小さいことから していきたいと 思います