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日本共産党についての考察

2021-10-16 12:07:00 | 日記
ひるおびでコメンテーターが「共産党は暴力的な革命を党の要綱として廃止していない」などと発言し、番組スポンサーが降板するなど物議を醸している。
これを機に日本共産党の暴力革命について、Facebookでもあちらこちらで議論が展開されているが、議論に参加している共産党員と思しき人たちの多くは、
「共産党と暴力革命をセットにして政府が共産党潰しを企み、マスコミがそれに乗っかって大騒ぎした結果、共産党は破防法に基づく調査対象組織に認定されたことで悪い印象を植え付けられてしまった」
みたいな反論をし、共産党は暴力革命など考えたこともなく、またこれからも暴力を持って革命を起こすことはない。共産党は何も悪くないと言うことをことさらに強調する。

いずれにしても過去の暴力革命路線を掲げていた事実は歴史上確かにあったわけで、それについての総括をせず、過ちも認めず、反省もしない。
過去の共産党の歴史を偽りなく総括した上で、平和路線への方針転換を明確に説明すべきだったのに、未だにそれができていない事が問題だと私は思うのだが。

まあ、こう言う主張を私がすると、返ってくる言葉は、
「暴力事件を起こしたのは共産党から弾かれ、出て行った者たちが勝手にやったことで、共産党が起こしたわけではないし、指示したわけでもない。一部の暴挙のために共産党は多大な迷惑を被っている」
などと主張するのだが、ヤクザの抗争事件で組織ぐるみの犯罪を捜査当局が立証しようとする時、捜査当局から組織を守るためにやむなく事件を起こした鉄砲玉を破門にすることがあるのだが、共産党の主張はそれと何ら変わらないのであって、しかもその主張が正しいと思い込んでしまっているから厄介なのだ。

共産党は間違っていない、正しいのだと言う主張は、社会主義や共産主義といった宗教的政治思想を運動に持ち込んだ結果の必然的帰結な訳で、そのため今も尚、多くの市民運動の先頭には共産党系が蔓延り、共産党なくしては市民運動を語れないと言う風潮になってしまっている。
これも本当に困ったことなのだが、それを誰も指摘しないから共産党は正しいとされてしまうのだ。
反省がないのだから進歩も望めないのであって、共産党アレルギーを持つ人の多くは、共産党のこうした体質が気持ち悪いと考えるのではないだろうか。

そもそも武力による革命は悪だと言う考えが、共産党の過去の歴史を語ることさえできなくさせてしまい、共産党を支えて来た幹部党員の根底に武力による革命は認めないと言う考えが根付いてしまっていて、その結果、過去の歴史を綺麗事で終わらせようとして、真実を語れなくなってしまったのだ。

これまでの歴史の中で暴力革命を肯定せざるを得ない時だって実際には何度もあったはずだし、それが起きた時はその行動は正義だったはずだ。時が経ち、今思い起こすから、あの時のことは過ちだったと気付くことができるわけで、それを否定するから、未だに過去の総括も出来ないでいるのではないのか。
自民党が大戦後の慰安婦問題を始めとした歴史的な大罪を認めることができないために平和外交という国家にとって一番大切な部分を怠り、公に認めさせないために教科書を書き換え、歴史修正しようと目論むのと何ら変わらない気がする。

今は平和路線の王道を行く共産党だが、差別問題も、障害者の諸問題も、原発の問題についても共産党の主張は一貫しているとは思えないが、思考や思想はある時突然変わることだってあるのだし、変わることで進歩する場合だってあるのだから、何も恥じることではないはずだし、真実を語ることができるからこそ、その先に正義があるのであって、共産党の主張は全くブレていないということをことさら主張する必要はないと思う。
しかし、ひるおび発言を受けて小池晃書記局長が
「だいたい、志位委員長とか、私の顔を見てほしい。暴力革命の党に見えますか? 極めて平和的な人間だ。根拠のないデマを打ち返していこう」
と声を張り上げていたが、根拠があるからデマになるのであって、火のないところに煙が立つことはあり得ないのだ。

そう言えば、確か60年前にソ連の核はきれいな核だと核を肯定した事もあったわけで。笑


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