I'm in New York

世界に平和を 僕等に愛を

New York 3日目

2010年05月04日 | Weblog
ニューヨーク3日目の朝は電話のベルで起こされました。
東京自治労連代表団のスタッフからで、
午前中のアメリカ労組との交流会に行くために8時半ロビー集合という電話でした。
時計を見たら7時半。
そういえば目覚ましのアラームをセットしないで寝てしまったなと。
頭がクリアになってきたら、窓の外から聞こえていた音が雨の音だと理解でき、
カーテンを開けてみたらひどい雨でした。
大丈夫だろうとたかをくくって傘を持ってこなかったのですが、
さすがにこれは買わないとどうしようもないというくらいの雨でした。
シャワーを浴びて、早めにロビーに降り、
ホテル近くのスーパーマーケットへ傘を買いに行こうとしたら、
どしゃ降りだった雨がほとんどあがっていました。
我ながら見事な晴れ男ぶりと関心しながらも、
明日の予報も雨だというので、保険をかけたと思って10ドルで折り畳み傘を購入。
ついでにデリカでコーヒーを買ってホテルに戻り、
ここからちゃんと団体行動。

今回のNPT再検討会議に向けた日本代表団にはいくつかのコースがあって、
早めに日本を出てシカゴやラスベガスに寄ってからニューヨーク入りするものや、
逆に公式日程が終わった後に観光で何日か滞在するコースもあるのですが、
僕らが参加しているDコースはそういったオプションは一切なく、
直行直帰の最短スケジュールになっています。
それだけでも十分タイトなDコースにも、
おまけのようにニューヨーク半日市内観光というのがついていて、
公式スケジュールでは午前中バスに乗って観光のはずが、
東京自治労連のメンバーは「全労連/全米反戦労働者連合交流集会」なる集まりに参加するため、
観光バスには乗らずホテル近くの会場へと向かったのでした。
もちろん、組合のお金で来ているのだから不満なんてありません。
ただ、ちょっと云ってみたかっただけで・・・。

でも、この集会はとても参考になるものでした。
なぜこのように思ったかというと、
ちゃんと日本語通訳がついていて、
こちらの人たちが何を云ったか理解できたからなのです。
きっと昨日の集会もいろんな人がいい話しをしてくれたのかもしれないけど、
いかんせん僕の語学力ではその中の単語を拾うので精一杯で、
英語になっても被爆者は「Hibakusya」なんだというくらいで。
夕方から行なわれた公開シンポジウム
「核兵器禁止・廃絶のプロセスをいかに踏み出すか 政府代表と平和運動の対話」も
同時通訳のレシーバーが配られたので、
とってもよく理解することができました。
何を理解できたかは、またあらためて。

午前中の集会と夕方のシンポジウムの間を使って、
もう一度国連本部ビルへ行きました。
昨日は時間の関係で中に入ることができなかったため、再チャレンジです。
入ると云っても、飛行機に乗るのかと思うくらいのセキュリティチェックを受け、
ロビーの展示物やら、地下のスーベニアショップを見るくらいですが。
それでも興味深い展示物があったり、
他では買えない国連グッズ(?)など見ているうちに
意外と長時間いたことになり、そのまま昼食をとりシンポジウムの会場へ移動することに。

ここで僕は団体行動から離れ(一度ホテルへ戻りたかったので)
一人でデリカでホットサンドとコーヒーを買って、
ビルの谷間の緑地のベンチで食べるという、
ニューヨークのビジネスマンのような昼食をとり、
ホテル近くの駅からひとり地下鉄に乗ってシンポジウムの会場へ。
なかなか度胸が必要でしたね、地下鉄に乗るっていうのは。
もちろん映画のように怖い訳ではなく、
街中の路線だからか、みんな普通に乗っていましたが。
ニューヨークの地下鉄はわかりにくいといいますが、
東京の地下鉄の方が複雑で、外人さんは絶対わからないだろうなって。
最近は記号化と色別化で少しはわかりやすくしようという工夫が感じられますが。

シンポジウム会場のリバーサイド協会は、
マーチン・ルーサー・キング牧師がベトナム反戦演説をしたり、
南アフリカのネルソン・マンデラ大統領が初めてアメリカにきて演説をしたという、
建物自体だけでなく歴史的な建造物です。
1000人近くを収容できる大聖堂は、その威厳は言葉では表現しにくく、
ここで諭されたら改宗してしまうかもと思ってしまうような・・・。
僕の場合は何の宗教ももっていないから、改宗ではなく新規契約ですが。
シンポジウムが終わったのは6時半過ぎでしたが、
外に出るとまだまだ明るく、
朝の雨はなんだったというくらいの青空になっていました。
今日の公式スケジュールはここまで。
僕はまたここから単独行動に走り、
ひとりもうひとつのビッグイベントへと向かうのでした。

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