I'm in New York

世界に平和を 僕等に愛を

ニューヨーク最終日

2010年05月22日 | Weblog
早いものでニューヨーク滞在も最終日に。
最終日といっても朝からバスでJFK空港へ向かい、11時には飛行機に乗ってしまうので、前日がちょっとはみだしたような1日。
荷造りを昨夜のうちに終わらせ(何よりiPadをしっかりパッキングし)、
あとは出発するだけにして朝の散歩へ。
といってもそんなに時間がある訳ではないので、
すっかり歩き慣れたタイムズスクエアあたりをひとまわり。

街中にたくさんあるわりに一度も利用しなかったスタバでコーヒーを買おうかと思ったのですが、
どの店も出勤途中のビジネスマンで列ができていて、
そうまでしてスタバでなくてもと、初めてホテルの中になるデリカへ。
日本にも出店している有名なデリカらしいので、
スタバ同様なんとなく避けていたんですよね。
NPTの関係で宿泊客の多くが日本人で、
その日本人の利用が多かったせいか店員の若いおにいちゃんが、
ミディアムサイズのコーヒーを頼んだところ、
「大きいの?小さいの?」と日本語で話しかけてきたので、
「違う、ミディアムは『中くらい』」と教えてやったつもりが、
何を聞き間違えたのかチョコレートをたっぷり入れたコーヒーを出しやがった。
チョコレートの入ったクロワッサンも買ってあったので、
やたらとスィートな朝食となってしまいました。
(結局甘すぎてコーヒーは全部飲めませんでしたが・・・)
教訓:ブロークンな日本語にはブロークンな英語でやりかえすこと!

JFK空港は着いた時以上に閑散としていて、
空港自体もさほど大きく感じられず、
日本でイメージしていたものとはだいぶギャップが。
前にトランジットで使ったヒューストン空港が大きすぎたのかも。
使い残したドルを売店で消化して、あとは電源のとれるところを見つけてニューヨークレポートを作成。
時差の関係で、5日の11時に乗った飛行機が成田に着くのは6日の16時。
とっても損した気分だけど、着いた時に1日得している訳だから、当然プラスマイナスゼロ。
で、到着する6日の夕方までにメールで機関誌に載せる文章を送らなければならず(このブログをそっくり載せてくれればいいんだけど)、
せっせとレポートを空港で打ってました。

帰国の途は機内で13時間。
ニューヨークレポート以外にも研修の資料作成などGWの宿題があったのに、
ニューヨーク滞在中に手を付けることはなく、
そのしわ寄せがすべて帰りの機内に。
休み休み、食事をしたり、映画を観たり、
(「シャッター・アイランド」は怖くて途中でやめ、「時をかける少女」を観て泣き)
ほとんど寝ることなく仕事をしあげて成田へ無事に到着しました。
一応機内で記入する税関の申告書にiPadを記入したけれど、
特に何も聞かれず、スーツケースを空けることもなく通関。
無事に帰国できて何よりでした。

ニューヨークで学んだこと

2010年05月07日 | Weblog
ニューヨークで学んできたことはたくさんあります。
一番確実な移動方法は徒歩であること。
信号を守っていたら置いていかれるけど、
自分の眼で安全を確認してからでないとクラクションの嵐に遭遇すること。
走っている車の8割はタクシーだけれど、
客を乗せていないタクシーを捉まえるのは運まかせであること。
地下鉄は東京の方がよっぽど複雑で、思っていたほど怖くないこと。
だから、東京の地下鉄で迷っている外国の方がいたら親切にすべきだということ。
ポストを探すよりスターバックスを探す方が簡単なこと。
ビールを買う時は身分証明書を携帯すること。
ピザは考えている以上にお腹にたまるので、1ピースで十分だということ。
タイムズスクエアに車を停めて立ち去る不審者には気をつけること。
常に監視カメラで見られているので、悪いことをしてはいけないこと。
(監視カメラのないところでも悪いことをしてはいけません)
核兵器を使用したことは過ちだったと考える米国人もいること。
二度と使ってはいけないと思っている米国人はたくさんいること。
そして、正しいと思う道を進むこと。正しいと思うことを、声に出して訴え続けること。

米大統領の「核なき世界へ」発言、米露の新戦略兵器削減条約、
米国務長官が明らかにした「5113」という、途方もない数字の、
それでも43年間で84%も削減された米核弾頭保有数。
国連で開幕したNPT再検討会議。
日本から持ち込んだ700万筆の署名を、
わざわざ受け取りに出てきてくれた再検討会議議長は、開会のあいさつで
「昨日署名を直接受け取った。市民社会の熱意を私たちは受け止めなければ」と述べ、
国連事務総長も「核兵器廃絶の明確な約束」の再確認を核保有国に対し求めました。
ニューヨークで行なった署名活動や集会、現地労組との交流などからも、
核兵器の廃絶は、夢の話しではなくなってきているんだという実感を持つことができました。

確かに流れは作られつつあります。
と同時に、それを好ましくないと考えている人も確実に存在しているはずです。
そうした脅威を押さえることができるのは、
僕ら市民の声だということも、ニューヨークで学びました。
国連事務総長しかり、NPT再検討会議議長しかり、広島・長崎県知事しかり、
誰もが、ここまで辿りついたのはは核兵器を廃絶しようと訴えるみんなの声のおかげだと。
そしてこの先、本当に核兵器が廃絶されるまで、
訴え続ける声が不可欠だと、彼らは僕たちに呼びかけました。

「No More Hiroshima, No More Nagasaki, No More Hibakusya」
被爆者を英語に訳すと「Hibakusya」だということも学んだことのひとつです。
二度と悲劇をくりかえさないという想いと、
5年前の教訓(前回の再検討会議への期待と失望)が、
今回の再検討会議までの運動をより強固なものにしたのだと考えます。
5年前との違いは、敷かれているレールに乗ったのではなく、
自分たちの手でレールを敷いてきたことでしょう(もっとも僕は今回初めてレールに乗った口ですが)。
5年前は、列車を走らせてみたら、途中でレールが途切れていた。
だから今回は、目的地まで自分たちの手でレールを敷き続けようということです。

雇用・賃金闘争で活動していたアメリカの労組は、
核兵器を廃絶して、予算を暮らしに回せと訴えて、
組合員の賛同を得て平和運動を課題に加えたそうです。
振り返ってみて、日本はどうでしょう?
自分は参加することになって、初めてこの再検討会議を知った僕を含め、
どれだけの日本人が興味と関心を持って、平和を考えているのでしょう?
今回の再検討会議が、日本でどれだけ報道されているのかわかりません。
ニューヨークでは、僕が見た限り連日爆弾テロ未遂事件とオイル流出のニュースばかりでした。
仕事ができることも、好きなサッカーができることも、
W杯が開催されることも、平和があってこそ。

核兵器廃絶の機会が訪れています。
でも、ここからが本当の闘いです。
オバマ大統領は「自分が生きているうちには難しいだろう」と云ったそうです。
長崎市長は「昔は核兵器というものがあってね、
でもみんなの力でなくしたんだよ」と語りたいと云いました。
僕も遅まきながら「あの2010年のNPT再検討会議の時にニューヨークへ行って、パ
レードにも参加したんだぜ」と、誰かに自慢できるようにしたい。
被爆者がイギリスを訪れ、被爆体験を話したあと、学生達が質問してきたことは
「自分たちには(核廃絶のために)いったい何ができますか?」ということだったそうです。
僕の(的外れな?)報告を読んで、何かを感じてもらえたなら、
あなたも今日から何か始めてみませんか?
原爆投下から65回目の夏、広島ではかつてない規模の原水爆禁止世界大会が計画されています。
一緒に広島へ行くのもいいかもしれませんね。
なにしろ新幹線で4時間で行けるんですから。

New York 4日目

2010年05月07日 | Weblog
ニューヨーク滞在も4日目。
明日はもう朝9時にはバスに乗って空港へ向かうため、
実質的にはこの日が最後です。

午前中はたなぼた半日観光。
当初の日程ではDコースは昨日の午前中が観光になっていて、
でも昨日はアメリカ労組との交流集会が組まれていたので、
当然観光には行かずそちらへ参加。
観光はないかなと思っていたら、
労組交流集会に参加した人のために今日もバスが出ることに。
福祉関係労働者の交流集会に行こうかとも思ってましたが、
そちらは福祉保育労の皆さん中心だろうから、
ここはお言葉に甘えて観光にしよう・・・と思ったのが間違いでした。

確かに観光といえば観光でした。
でも基本的には大型バスに乗せられて、市内をぐるっと走り回るのみ・・・。
途中停まりましたよ、信号で。
現地コンダクターが同乗して、
「ここがメトロポリタン・ミュージアムです。今ピカソ展やってます。
夕方閉まってしまうのが早いので、時間があったらどうぞ」とか、
「左側の工事をしている一帯がグラウンド・ゼロです。」とか、
走るバスの中から忙しく紹介してくれるだけ。
「どれどれ」と思っているうちに、通りすぎてしまうこともしばしば。
紹介してくれるのはうれしいんだけど、もう明日の9時には空港に向かうし、
今日だって午後から自治労連の集会があるし、
なんだか映画館に映画を観に行って、予告編だけ観て帰ってきたような・・・。
あ、一応自由の女神が対岸に見える公園に寄って、



そこでトイレ休憩があったのと、
ショッピングモールのようなところで眺めの休憩があって、
そこからブルックリン橋がきれいに見えたり、
多少は外の空気も吸えましたが、
基本的には4時間バスの中という半日観光でした。

午後は自治労連の集会に参加。
長崎と広島の県知事・県議会議長があいさつに来てくれて、
各地の活動報告などもあり、いい集会だったのですが、
当初予定していた会場が水漏れだかでエレベーターが止まってしまい、
急きょ別の会場となったため、
椅子が足りなくて床に座りながらの参加だったため、
結構しんどかったです。

ホテルに戻ったのが4時過ぎ。
最後の夜をどうしようかと思ったのですが、
やはりどうしてもここだけは行っておかなければと、
もう一度歩いてセントラルパークの西、ダコタハウスへ。



そう、ジョン・レノンが射殺された彼のアパートです。
ついでにメトロポリタン劇場とか、カーネギーホールとか、
途中にある建物に寄ったりして、結局また2時間以上歩き回りました。
食事を食べに出るのもおっくうだと思って、
また帰りにピザとビールを購入。
ホテルの部屋でまたひとり夕食。
とうとうこっちで誰かと一緒に食事をすることなく過ごしてしまった。

明日すぐ出られるように、今夜のうちに荷物を整理しておこうっと。



New York Special Event

2010年05月04日 | Weblog
スペシャルだか、メインだか微妙ですが・・・。
やはり購入してしまいました。
出発前に何人かから、
ニューヨークに行ったら当然買ってくるんだろうとか、
そのものを買いに行くんじゃないかとまで云われた例のもの。
もちろん「INY」のTシャツではありません。
そう、アップルストアで「iPad」を購入しました。



日本での発売は5月末、価格未発表ですが、
ニューヨークで買って日本で使ってもなんら問題ないようです。
絶対買おうと決めてきた訳では(本当に)ないのですが、
前日の朝、実物に触れた瞬間にもうだめでしたね。
あやうくその場で買ってしまいそうになりました(笑)。
さすがに早朝と違って店内は混みあっていて、
ほとんどの人が「iPad」を購入していました。
それも2台づつ!
僕も定員に「Two?」と聞かれ、あやうく「Yes」と云ってしまいそうに・・・。
どこで使うかと聞かれ「Japan」と答えると、
帰ったら最初にiTunesにつなぐようにと、
で、アメリカでダウンロードしたソフトは日本では使えないと(たぶん)云われ、
帰国前に「BookStore」で電子書籍を買おうという思惑ははずれ。
ホテルに戻り、夜更けまで楽しませていただきました。

あぁ、はるばるニューヨークまで来た甲斐があったぜ!


Photo Gallery 公開

2010年05月04日 | Weblog
とりあえず3日目までの写真をアップしました。

1日目 http://www.flickr.com/photos/107254779@N08/sets/72157637360764323/
2日目 http://www.flickr.com/photos/107254779@N08/sets/72157637378924534/
3日目 http://www.flickr.com/photos/107254779@N08/sets/72157637379519426/

結構削除したつもりが、まだまだたくさんありました。
解説を聞きたい方はご連絡下さい(笑)。

New York 3日目

2010年05月04日 | Weblog
ニューヨーク3日目の朝は電話のベルで起こされました。
東京自治労連代表団のスタッフからで、
午前中のアメリカ労組との交流会に行くために8時半ロビー集合という電話でした。
時計を見たら7時半。
そういえば目覚ましのアラームをセットしないで寝てしまったなと。
頭がクリアになってきたら、窓の外から聞こえていた音が雨の音だと理解でき、
カーテンを開けてみたらひどい雨でした。
大丈夫だろうとたかをくくって傘を持ってこなかったのですが、
さすがにこれは買わないとどうしようもないというくらいの雨でした。
シャワーを浴びて、早めにロビーに降り、
ホテル近くのスーパーマーケットへ傘を買いに行こうとしたら、
どしゃ降りだった雨がほとんどあがっていました。
我ながら見事な晴れ男ぶりと関心しながらも、
明日の予報も雨だというので、保険をかけたと思って10ドルで折り畳み傘を購入。
ついでにデリカでコーヒーを買ってホテルに戻り、
ここからちゃんと団体行動。

今回のNPT再検討会議に向けた日本代表団にはいくつかのコースがあって、
早めに日本を出てシカゴやラスベガスに寄ってからニューヨーク入りするものや、
逆に公式日程が終わった後に観光で何日か滞在するコースもあるのですが、
僕らが参加しているDコースはそういったオプションは一切なく、
直行直帰の最短スケジュールになっています。
それだけでも十分タイトなDコースにも、
おまけのようにニューヨーク半日市内観光というのがついていて、
公式スケジュールでは午前中バスに乗って観光のはずが、
東京自治労連のメンバーは「全労連/全米反戦労働者連合交流集会」なる集まりに参加するため、
観光バスには乗らずホテル近くの会場へと向かったのでした。
もちろん、組合のお金で来ているのだから不満なんてありません。
ただ、ちょっと云ってみたかっただけで・・・。

でも、この集会はとても参考になるものでした。
なぜこのように思ったかというと、
ちゃんと日本語通訳がついていて、
こちらの人たちが何を云ったか理解できたからなのです。
きっと昨日の集会もいろんな人がいい話しをしてくれたのかもしれないけど、
いかんせん僕の語学力ではその中の単語を拾うので精一杯で、
英語になっても被爆者は「Hibakusya」なんだというくらいで。
夕方から行なわれた公開シンポジウム
「核兵器禁止・廃絶のプロセスをいかに踏み出すか 政府代表と平和運動の対話」も
同時通訳のレシーバーが配られたので、
とってもよく理解することができました。
何を理解できたかは、またあらためて。

午前中の集会と夕方のシンポジウムの間を使って、
もう一度国連本部ビルへ行きました。
昨日は時間の関係で中に入ることができなかったため、再チャレンジです。
入ると云っても、飛行機に乗るのかと思うくらいのセキュリティチェックを受け、
ロビーの展示物やら、地下のスーベニアショップを見るくらいですが。
それでも興味深い展示物があったり、
他では買えない国連グッズ(?)など見ているうちに
意外と長時間いたことになり、そのまま昼食をとりシンポジウムの会場へ移動することに。

ここで僕は団体行動から離れ(一度ホテルへ戻りたかったので)
一人でデリカでホットサンドとコーヒーを買って、
ビルの谷間の緑地のベンチで食べるという、
ニューヨークのビジネスマンのような昼食をとり、
ホテル近くの駅からひとり地下鉄に乗ってシンポジウムの会場へ。
なかなか度胸が必要でしたね、地下鉄に乗るっていうのは。
もちろん映画のように怖い訳ではなく、
街中の路線だからか、みんな普通に乗っていましたが。
ニューヨークの地下鉄はわかりにくいといいますが、
東京の地下鉄の方が複雑で、外人さんは絶対わからないだろうなって。
最近は記号化と色別化で少しはわかりやすくしようという工夫が感じられますが。

シンポジウム会場のリバーサイド協会は、
マーチン・ルーサー・キング牧師がベトナム反戦演説をしたり、
南アフリカのネルソン・マンデラ大統領が初めてアメリカにきて演説をしたという、
建物自体だけでなく歴史的な建造物です。
1000人近くを収容できる大聖堂は、その威厳は言葉では表現しにくく、
ここで諭されたら改宗してしまうかもと思ってしまうような・・・。
僕の場合は何の宗教ももっていないから、改宗ではなく新規契約ですが。
シンポジウムが終わったのは6時半過ぎでしたが、
外に出るとまだまだ明るく、
朝の雨はなんだったというくらいの青空になっていました。
今日の公式スケジュールはここまで。
僕はまたここから単独行動に走り、
ひとりもうひとつのビッグイベントへと向かうのでした。

New York 2日目

2010年05月03日 | Weblog
ニューヨーク2日目です。
昨日の事件は朝になって大きく報道されています。
オバマ大統領も「テロからアメリカ国民を守らなければ」と発言したようですが、
ついでに僕ら観光客(?)も守ってほしいなと。
朝から緊急車両のけたたましいサイレンで起こされました。
朝の5時に、そんなに大音量で走らなくてもいいだろうと思うくらいの音でした。
窓の外を見た時には、そのまま車は走り去ったあとでしたが、
規制は解除され、バリケードも撤去されていたので、
せっかくなので散歩に出ることにしました。
事件現場のタイムズスクエアには、警察車両とマスコミのTV中継車が多く停まっていましたが、
緊迫感はなかったですね。
天気もよかったので、セントラルパークを目指して歩き出したのですが、
目に入った建物の写真を撮りながら歩いてるうちに、
なぜか方向の違う国連ビルについてしまいました。
せっかく間違えたので、近くのグランドセントラル駅を経由して、
もう一度セントラルパーク方面へ。
6時にホテルを出て、セントラルパークに着いたのが8時過ぎ。
セントラルパークの入り口近くにApple Storeがあり、
iPhoneやiPadの発売日には行列ができたと必ず中継される店なので、
特徴的なガラスの入り口だけでも写真に撮って帰ろうと思ったら、すでにオープンしていました。
そうなるとセントラルパークよりiPad!(笑)。
実際に手に取って操作してみると、思っていたよりひとまわりくらい小さく、
思っていたより少し重く、思っていた以上に操作感がよかったです。
ひとつひとつの操作に対する反応がよく、
最初のiPhone3Gに感じたような反応の遅れはなく、
設定で言語を日本語に変えれば日本語表記に変わり、
さすがにカナ入力はなかったものの、このまま持ち帰ってすぐに使える印象でした。
危うくそのまま買ってしまうところでしたが・・・帰るまでには買っているかもしれません(笑)。
そうこうしているうちに8時半に。
9時にホテルのロビーに集合して署名行動に行くスケジュールだったので、
セントラルパークの入り口あたりをかすめ、
近くのショップでコーヒーとクロワッサンを買って、ホテルに戻りながらの朝食でした。

午前中の署名は大胆にもタイムズスクエアの真ん中で。
英語が堪能ではないので、いったいどうやって道行く人から署名をもらうかというと、
大きな横断幕に核兵器廃絶の訴えを書き、
その近くで「シグネチャー、プリーズ」と英語で書かれた署名用紙を突き出すという戦法です。
引っ込み思案の僕は横断幕を持つ役をせしめ、
それでなんとかやり過ごそうと目論んでいたのですが、
わざわざ代わるよと云ってくれる人がいて、
大きなお世話だとも云えず(泣く泣く)横断幕を渡しました。
積極的に話しかけていくグループは、かなりの署名を集めたようですが、
単独行動の僕のところに署名してくれたのは1人だけ。
まぁ、いいさ。

午後は平和集会とパレード。
お腹が空いていなかったので、水だけ買ってそのまま集合地点へ向かうと、
会場といってもパレードのために車道に並ばされて、
そのままそこでスピーチを聞くのが集会のようでした。
それが延々と1時間半(通訳なしの英語のスピーチ!)も続き、
しかも気温30℃という真夏なみの暑さで、座り込む人たちも。
とにかく凄い混雑で、ほかの東京からの参加者ともはぐれ、
これ幸いにパレードの時に着るようにと持たされた
紫色のはっぴ(のようなもの?)はカバンにしまったまま、
アメリカの学生たちの後ろを歩いて、タイムズスクエアから国連ビル近くまでのパレードに参加しました。
パレードの解散地点でフェスティバルというスケジュールになっていて、
集会とフェスティバルの違いがよくわからなかったけど、
どうやら小さなステージでスピーチをしたり歌ったりしていたのがフェスティバルだったらしく、
そのまま流れ解散に。
朝の散歩で迷い着いたあたりだったので、そのまま歩いてホテルへ戻りました。
途中のお店でビールとプリングルスを、ホテルの隣の店でピザを買って夕食に。
ビールもプリングルスも日本のものより妙に大きく、
ピザも1ピース4ドル25セント(約400円)でずっしり腹持ちするサイズ。
一息ついたと思ったら、一日よく歩いたせいか、まだ6時そのまま寝てしまいました。
もの凄い雷の音で起こされたのが、深夜の0時過ぎ。
外は雨がぱらついている程度でしたが、疲れて飲んで寝ているところを起こされるくらいの大音量。
昨夜の緊急車両といい雷といい、やたら音がでかい。
そういえば集会を煽っていたなんとかいう見た眼ちょー怪しげな牧師の声もでかかったなと。



しばしTVを見て、昨夜の爆弾車両を置いて逃げた(と思われる)犯人の姿を捉えた
セキュリティカメラの映像や、
煙を見つけて警察に第一報を入れた露天商(たぶん「I♥NY」のTシャツかホットドック売り)と、
爆発物を処理したNYPDの警官をヒーローとして取り上げ、
警官の家族のインタビューまで入れて紹介しているのやらをCNNで見て、
今さらながらことの大きさに驚きながら、睡魔に負けて寝てしまいました。

事件でした!!

2010年05月02日 | Weblog
ホテルのすぐ前の劇場から人が大勢出てきたので、
その人並みに紛れて外に出てみました。
ホテルの前あたりはただ中に入るなというだけみたいだけど、
少し歩いてタイムズスクエアの方に回り込んでみたら、
警察官や消防士だけでなく、大型火器で武装した警官もいるわ、
FBIらしきスーツとか、もちろんTV局もたくさん。
コーラとポテトチップスを買ってホテルの戻ろうとしたら、
警官に中に入っちゃだめだと云われました。
目の前のホテルに泊まっていると云ってもダメでした。
やむなく、出かける前にホテルから眺めていて見つけた方法で規制線を突破。
ホテルの部屋に戻ってTVをつけたら、ニュースチャンネルで生中継が入ってました。
それによるとタイムズスクエアの不審車両から爆発物がみつかったとか!
英単語の直訳なのでうまく伝わらないのですが、
黒色火薬とプロパンタンクを積んでいたとか、
発火装置を積んだ不審車両とか、
タイムズスクエアの一部を封鎖して調査中とか、
とにかく物騒なことになっています。
こんなの見てたら寝られないや。