<平成24年5月下旬>
前回の津久井湖脇の公園や城山ダムを見たあとに、城山に登りました。
城山は、津久井湖の脇にそびえる低山です。
標高は375m。
かながわの景勝50選にも選ばれています。
実は城山は、典型的な山城としての遺構が残る、歴史的に重要な文化遺産だそうです。
鎌倉時代に、三浦氏の一族の津久井氏によって作られ、その後戦国時代に北条氏によって、
甲斐国境に近いこともあり有力支城として現在のかたちに整備したそうです。
豊臣秀吉の小田原攻めで、徳川家康の四天王の一人の本多忠勝勢など12000名の軍勢に攻められ開城したそうです。
ダム西側の花の苑地からは、国道413号を渡らなければなりませんが、ちゃんと歩道橋があります。

初めは舗装された散歩道をなだらかに登っていきます。
あずま屋の先からハイキングコースが始まります。
親切に入り口にハイキングコースのコピーがおいてありました。
初めは少し急な階段状の道です。
すぐに新緑の中のなだらかな気持ちがいい土の路になります。

大木もあり、新緑の中を気持ちよく進みます。

10分ほどで地図にくさり場と書かれた部分に差し掛かります。

特に問題なく通過します。
すぐ先の木の間から城山ダムが見えます。

さらに15分ほど進むと、尾根の出て、本丸方面と鷹射場方面の分岐になります。

左手、鷹射場に向かいます。
ここからは、尾根道です。
もともと山城ということもあり、山のピークごとに曲輪という二ノ丸や三ノ丸というような防御する
拠点のようなものを置き、尾根道でそれぞれを結んでいます。
そのため、尾根道をすんなり通れなくするために、道を狭くし両側に空堀にした「堀切」が設けられています。

数分で、小ピークに向かって登る道になります。

先が明るいので、その先が鷹射場でしょうか。
鷹射場に到着です。

鷹射場は開けていて、ベンチもあります。
ここからは、橋本方面の街と眼下に相模川が見えます。

元の道を戻り、さきほどの分岐を本丸方面に進みます。
すぐ近くに、「宝ケ池」といわれる湧水があります。

籠城の際には水は不可欠のものです。
数分で、飯縄神社に到着です。

ここもお城でいうと、飯縄曲輪となります。
飯縄神社の先に、津久井の名木の1つの「大スギ」があります。

樹高25メートル。推定樹齢900年。立派です。
飯縄神社からも尾根道を進みます。

すぐに、山頂(本丸)への1本道と、山頂下を周遊する道との十字路になります。
山頂(本丸)に向かって進みます。
ここからは登りになります。
太鼓曲輪という小ピークを超え、さらに進むと、途中に、引橋という尾根道を削り取り窪んだところを通ります。

引橋は、普段は橋をかけ、敵が攻めてきたときにその橋を落として守るたものものです。

城の曲輪の配置がわかりやすいので掲載します。
さらに少し進むと、山頂(本丸)に到着です。
丹沢の山並みが見えます。

山頂の広場と石碑。

津久井湖も見下ろせます。

山頂を後に、同じ道を戻ります。
山頂下を周遊する道との十字路まで戻り、湖と反対側に降ります。
湖と反対側には、根小屋地区という城山の南裾の斜面に遊歩道をめぐらして、広場や遊具を設けて整備したところに
向かいます。
登るにはすこし急な坂を下りていきます。

御屋敷広場という、戦国時代に城主の内藤氏の館があった場所が広場になっています。

なにもありません。
ただ、周囲には、いろいろな花や、耕作畑もあり、小麦が植えてありました。

一番公園の南西の端に、パークセンターやトイレなどがあります。

パークセンターが一番低いところにあるため、ここからは緩やかな登りになります。
四季の広場という、アスレチックがあるところを抜け、

整備された遊歩道を進んで行きます。

城山の西側を進んでいくと、展望デッキがあります。
津久井湖が目の前に見えます。

こちらは相模川の上流方面。

城山も良く見えます。

その後、なだらかな道を花の苑地に向かって歩きます。
途中までは、舗装された道を、小網諏訪神社から先は土の道ですが、若干のアップダウンはありましたが
ほぼ平坦でした。
ほどなくハイキングコースが始まる地点そばの東屋に戻ってきました。
城山は、鳥のさえずりがいたるところから聞こえていたように、自然が残る大事な地区だと感じました。
参考までに高度と距離の計測図をつけます。

※今まで紹介してきたGPSロガー「旅レコ」ですが、2014年4月で生産終了となっています。
Amazonではプレミアが付いて販売されていますが、参考までに希望小売価格8500円です。
前回の津久井湖脇の公園や城山ダムを見たあとに、城山に登りました。
城山は、津久井湖の脇にそびえる低山です。
標高は375m。
かながわの景勝50選にも選ばれています。
実は城山は、典型的な山城としての遺構が残る、歴史的に重要な文化遺産だそうです。
鎌倉時代に、三浦氏の一族の津久井氏によって作られ、その後戦国時代に北条氏によって、
甲斐国境に近いこともあり有力支城として現在のかたちに整備したそうです。
豊臣秀吉の小田原攻めで、徳川家康の四天王の一人の本多忠勝勢など12000名の軍勢に攻められ開城したそうです。
ダム西側の花の苑地からは、国道413号を渡らなければなりませんが、ちゃんと歩道橋があります。

初めは舗装された散歩道をなだらかに登っていきます。
あずま屋の先からハイキングコースが始まります。
親切に入り口にハイキングコースのコピーがおいてありました。
初めは少し急な階段状の道です。
すぐに新緑の中のなだらかな気持ちがいい土の路になります。

大木もあり、新緑の中を気持ちよく進みます。

10分ほどで地図にくさり場と書かれた部分に差し掛かります。

特に問題なく通過します。
すぐ先の木の間から城山ダムが見えます。

さらに15分ほど進むと、尾根の出て、本丸方面と鷹射場方面の分岐になります。

左手、鷹射場に向かいます。
ここからは、尾根道です。
もともと山城ということもあり、山のピークごとに曲輪という二ノ丸や三ノ丸というような防御する
拠点のようなものを置き、尾根道でそれぞれを結んでいます。
そのため、尾根道をすんなり通れなくするために、道を狭くし両側に空堀にした「堀切」が設けられています。

数分で、小ピークに向かって登る道になります。

先が明るいので、その先が鷹射場でしょうか。
鷹射場に到着です。

鷹射場は開けていて、ベンチもあります。
ここからは、橋本方面の街と眼下に相模川が見えます。

元の道を戻り、さきほどの分岐を本丸方面に進みます。
すぐ近くに、「宝ケ池」といわれる湧水があります。

籠城の際には水は不可欠のものです。
数分で、飯縄神社に到着です。

ここもお城でいうと、飯縄曲輪となります。
飯縄神社の先に、津久井の名木の1つの「大スギ」があります。

樹高25メートル。推定樹齢900年。立派です。
飯縄神社からも尾根道を進みます。

すぐに、山頂(本丸)への1本道と、山頂下を周遊する道との十字路になります。
山頂(本丸)に向かって進みます。
ここからは登りになります。
太鼓曲輪という小ピークを超え、さらに進むと、途中に、引橋という尾根道を削り取り窪んだところを通ります。

引橋は、普段は橋をかけ、敵が攻めてきたときにその橋を落として守るたものものです。

城の曲輪の配置がわかりやすいので掲載します。
さらに少し進むと、山頂(本丸)に到着です。
丹沢の山並みが見えます。

山頂の広場と石碑。

津久井湖も見下ろせます。

山頂を後に、同じ道を戻ります。
山頂下を周遊する道との十字路まで戻り、湖と反対側に降ります。
湖と反対側には、根小屋地区という城山の南裾の斜面に遊歩道をめぐらして、広場や遊具を設けて整備したところに
向かいます。
登るにはすこし急な坂を下りていきます。

御屋敷広場という、戦国時代に城主の内藤氏の館があった場所が広場になっています。

なにもありません。
ただ、周囲には、いろいろな花や、耕作畑もあり、小麦が植えてありました。

一番公園の南西の端に、パークセンターやトイレなどがあります。

パークセンターが一番低いところにあるため、ここからは緩やかな登りになります。
四季の広場という、アスレチックがあるところを抜け、

整備された遊歩道を進んで行きます。

城山の西側を進んでいくと、展望デッキがあります。
津久井湖が目の前に見えます。

こちらは相模川の上流方面。

城山も良く見えます。

その後、なだらかな道を花の苑地に向かって歩きます。
途中までは、舗装された道を、小網諏訪神社から先は土の道ですが、若干のアップダウンはありましたが
ほぼ平坦でした。
ほどなくハイキングコースが始まる地点そばの東屋に戻ってきました。
城山は、鳥のさえずりがいたるところから聞こえていたように、自然が残る大事な地区だと感じました。
参考までに高度と距離の計測図をつけます。

※今まで紹介してきたGPSロガー「旅レコ」ですが、2014年4月で生産終了となっています。
Amazonではプレミアが付いて販売されていますが、参考までに希望小売価格8500円です。