(記事より一部抜粋です。)
――ツキを取り戻すために、何かしていることはないんですか。一生懸命、落ちてるゴミを探すとか(笑)。
「それはないですね。ツキはもう、どうにもできない。短いスパンで見たときのツキは、運の良し悪しでしかないと思うんです。これが10年、20年、30年となれば、ゴミを拾うとか、普段の行いが周りとの関係を作ってくれて救われることもあると思います。でも打球が抜けるかどうかは、野球の神様のみぞ知るところで、その要素を験担ぎによって広げようということはありません。ただツキがなかったな、と解釈したほうが、自分がやろうとしていることは間違ってないと正確に測れますからね」
「それはないですね。ツキはもう、どうにもできない。短いスパンで見たときのツキは、運の良し悪しでしかないと思うんです。これが10年、20年、30年となれば、ゴミを拾うとか、普段の行いが周りとの関係を作ってくれて救われることもあると思います。でも打球が抜けるかどうかは、野球の神様のみぞ知るところで、その要素を験担ぎによって広げようということはありません。ただツキがなかったな、と解釈したほうが、自分がやろうとしていることは間違ってないと正確に測れますからね」
――でも、高校生のときには他の人が捨てた運を引き寄せようとゴミを拾っていたんですよね。そうすれば野球の神様も味方してくれるんじゃないか、みたいなところから始まっていたんじゃなかったんですか。
「打球が抜けてくれたらいいなと思ってゴミを拾っていたわけじゃないんです。それが野球につながるからではなく、人に対してどういう自分でいられるか、というところにつながっていると思っています。たとえば挨拶しない人と挨拶する人が僕の前にいて、どちらを僕が大事にしたいかと思ったら、絶対に挨拶する人に好印象を持つじゃないですか。そういう人と友だちになりたいなと思うし、優しくしたいな、僕も何かしてあげたいなって思うでしょう。審判に挨拶するのもそうだし、相手の選手に対してリスペクトの気持ちを持つこともそう。勝負の世界で生きていれば、敵になることも味方になることもあります。僕が野球を辞めたあとも、自分がどういう人でいられるか……それを運と呼ぶかどうかはそれぞれだと思いますが、運を呼ぶためにゴミを拾うというのは、そういうことだと思っています」
(感想)
ゴミ拾い=運を呼ぶため
と言わせたい!というインタビュー内容です、笑
が、「運を呼ぶためではないです。」と言っています。
「自分がどういう人でいられるか」
を極めていく中で自然とゴミを拾っちゃうということだと思うんですよねぇ〜