「お看取り」
の説明をすることが多いです。
主治医が
医学的見地から
もうこれ以上の回復は見込めない
との診断をした場合、
積極的な医療は望まずに
自然な形で最期まで施設での生活を望まれますか?
という問いになります。
実際に親が「お看取り」の時期になり、
家族の反応はさまざまですが、
今日お別れかもしれない
明日お別れかもしれない
という中で、毎日毎日面会に来られる家族は
とてもいい時間を過ごされているなぁ、と感じています。
本当は
「今は」健康であったとしても、
「今は」まだ若いとしても、
みんな同じ。
今日お別れかもしれないし、
明日お別れかもしれない。
でもなかなか
「もうお看取りの時期に入りましたよ」
って、偉い人に宣言されないと、そう思えない。
そのように接することは難しいと感じます。
でも、そこを頑張って
恥ずかしさもありますが、
今日お別れかもしれないし、
明日お別れかもしれない。
と、いうつもりで家族との時間を過ごしたいと思います。
恥ずかしくて
言葉には出せないとしても、
態度で、表情で、気持ちで、雰囲気で、
思いを伝えられたらいいな、と思います。
いつお別れが来ても
悔いのないように
接しよう。